フランスの民法は,別名「ナポレオン法典」と呼ばれています。1800年に起草委員4名が任命され,完成後1804年に公布され,1807年にナポレオン自らが「コード・ナポレオン(ナポレオン法典)」と改名し,現在に至っています。
フランスは日本と同様に,弁護士の数が少ないことで知られています。でもそれでも市民生活に支障が出ないのは,このナポレオン法典である民法が,大変読みやすく分かりやすい内容だからではないか,と言われているそうです。法律の専門家ではない市民の誰が読んでも,一読して法の内容を理解できるように書かれた法典という意味なのです。
実際に,『赤と黒』で著名なフランスの文豪であるスタンダールは,日々の執筆活動を始める前に,必ずこのナポレオン法典である民法の条文を,数ヶ条読んだ上で,執筆を始めていたというエピソードが残されています。文豪が参考にするような文章なのですね。
実は,ナポレオンはこのナポレオン法典である民法について,とても興味深い命令を出しています。それは「この法典を解釈することは許さない」というものです。
普通「法の解釈」とは,議会により制定された法に不明確な点があったり,社会の変化により生じた問題に対応できる規定が欠けていたりする場合に,司法により新しい意味が与えられることを言います。
とすると,ナポレオン法典と言えども市民生活で生じるありとあらゆる問題について規定を設けるなどということはできないはずですし,当然時代の変化とともに生じる新しい社会問題についての規定は欠けていることが予想できるわけですから,「解釈をしてはならない」というのは,いかにも無理な命令であるように思えます。でも,きっとナポレオンは,自分がその時代における最高の法律家を任命して制定した法典は,完全な姿に違いなく,その完全性は時の経過によっても失われない,と思ったのだと思います。
このナポレオンによる自負と自信も,やはり時代の変化には勝てずに,ナポレオンのなき後には法典の解釈が行われるようになったということです。ただ,このエピソードは,とても興味深いことを私たちに教えてくれているように思うのです。
ナポレオンは自らが作り上げた「法典」そのものを,あたかも美しい芸術作品のように捉えていたのだと思います。でも,私たちの社会において,「法典」や「法律」そのものの制定や存在が重要なわけではありません。
私たちの社会において重要なのは,「正義」の実現であって,決して「法典」や「法律」の制定・存在ではないのです。その意味で,私たちが法を制定するのは,あくまでも目的である正義の実現のための手段としてである,ということができるのかもしれません。
このように考えてみますと,なぜ「法の解釈」が行われるのか,という点も自然に理解できるところだと思います。「法典」や「法律」の制定・存在そのものが私たちの目的であったとすれば,その法の解釈など不要なはずです。
でも,時代の変化とともに法の解釈が行われることは,法の制定が正義という目的実現のための手段であることを意味していると思うのです。
法の内容が時代の変化に対応できず,形式的な適用を行ったとすれば,あまりに不公平・不正義な結果となってしまう場合,その「正義を実現するべきである」という社会の要請が,法に影響を与え,法に与えられる意味が変化するわけです。これを私たちは「法の解釈」と呼んでいるのだと思います。
特に憲法訴訟などを行っている時,法というのは人が意味を与えなくても,社会の変化・時代の変化に合わせて,自然に自らの意味を変え,姿を変えていく存在なのではないかな,と感じる時があります。
その時私が感じたこと,それはきっと,一人ぼっちで苦しんでいる方が助けを求める声と,その方を救おう,助けようとして,社会が正義を実現するためにうねりを上げて動こうとしている,地響きの音だったのかもしれませんね。