民事訴訟法には,「私知」という概念があります。
交通事故の民事訴訟が提起されたとします。原告の車と被告の車が交差点で衝突した事故で,事故が起きた原因につき,原告は被告に過失(落ち度)があると主張し,被告は原告に過失がある,と主張しているような事件です。
その民事訴訟の担当をすることになった裁判官が,たまたまその交通事故の両方の車が衝突した現場にいて,事故発生の瞬間を見ていたとします。
その裁判官は,判決を下す際,自分が目撃した記憶からすると被告の方に過失がある,と判断してよいか,という問題が「私知」の問題です。判断を下す裁判官自身が直接見ているのだから,その記憶も判断の根拠としてよいか,という問題ですね。
一見,中立の立場の裁判官が直接見ているのだからよいのではないか,と思いがちですが,実は民事訴訟法はそれを認めていないのです。民事訴訟法の教科書(上田徹一郎『民事訴訟法』(法学書院,第5版,352頁))には「裁判官が職務外で私的な経験として知った事実(裁判官の私知)は,判断の客観性・公平さを疑われないように証明を要する(民事訴訟法23条1項4号参照)。」と書かれています。
そこに引用されている民事訴訟法23条1項4号の規定は,裁判官が事件について証人又は鑑定人となった場合には,その事件を裁判官として担当することができない,という規定です。例え裁判官が事件現場を目撃していたとしても,人間である以上その記憶に変化があったり,思い違いがあったりする可能性があるのですから,その記憶を証拠として用いるのであれば,証人として証言を行い,相手方当事者の反対尋問を受けた上でなければ,証拠とできませんよ,という規定なのです。
その民事訴訟法23条1項4号の規定は,鑑定人についても同じ規律をしています。医療過誤訴訟でたまたま裁判官が医師の方々との研究会に参加した経験があり,ちょうど争点となっている問題について専門的な意見を勉強していたとしても,それを裁判官の「私知」として判決の根拠として用いてはならない,ということです。それを用いる場合には,やはり鑑定人として用いる必要があり,鑑定人としての役割と裁判官としての役割は両方できない,ということですね。
例え裁判官であっても,その「私知」を判決の根拠とすることはできない,という民事訴訟法の立場は,「人は完全ではないのだから,記憶違い,思い違いがあるのだ」ということを前提としていると言えます。このブログでもお話してきましたが,法律制度は「この世には完全な人はいないのだ」ということを前提としています。この「私知」の問題も,そのことの現れと言えるのではないでしょうか。