『パリで娘が殺された』(草土文化,2011年)は,藤生好則さんが書かれた本です。藤生さんは,1995年にお嬢さんの藤生朱美さんがフランスのパリで殺され,その後フランスの裁判所で行われた刑事裁判の手続に,被害者のご遺族として参加されました。その過程をまとめられたのが,その本なのです。
お嬢さんの朱美さんは,当時の文部省からユネスコ本部に派遣されていました。外国語大学を卒業された朱美さんは,得意の英語を生かしたい,世界中の教育事情を研究したい,との希望からユネスコで働くことになったのです。
世界の人々のために精一杯人生を生きていらした朱美さんは,25年のあまりにも短い人生を終えなければなりませんでした。その無念さを考えると,心が痛みます。犯人は下宿先の関係者でした。
フランスの刑事裁判制度には,付帯私訴裁判という犯罪被害者の方々が参加できる制度があります(検察官が予審判事に予審開始請求をした後に,被害者が損害賠償を求めて私訴原告人となる申立を行い,刑事裁判手続の中で,その判断が行われるものです)。そして,そのフランスの刑事裁判は,市民の方々が参加される参審制で行われたのです。
当時の日本には,現在のような犯罪被害者の方々が刑事手続に参加できる制度はまだありませんでしたし,現在のような裁判員裁判も始まっていませんでした。1995年から2004年にかけての藤生さんのご経験は,変革期にあった日本の刑事裁判手続の関係者からも大きな関心を寄せられたそうです。
お嬢さんの無念をせめて裁判に反映させようとされた藤生さんの思いを集約したのが,御著書の『パリで娘が殺された』になります。出版されたのは,お嬢さんの十七回忌の日だったそうです。
藤生さんが参加されたフランスでの刑事裁判は,1995年10月の事件発生から,2004年2月の控訴審判決まで,実に8年4ヶ月という歳月が費やされました。しかも,被告人の一人は無罪,もう一人は懲役10年という決して長くはない刑罰の判決で確定しました。そして,民事の損害賠償もごくわずかの金額が判決で認められたにすぎず,かつその賠償金は未だに支払われていないそうです。
それでも藤生さんのご家族は,刑事裁判に参加してよかった,と思われているそうです。藤生さんはその裁判について,「私たちも当事者になってあれだけていねいに裁判をやってくれた。私たちは朱美のためにやれるだけのことはやることができた。だから結果には納得できないけれど裁判には満足している」との感想を持たれているそうです(同書114頁)。
その後,日本でも刑事裁判への被害者の方々の参加が法律制度として認められました。2008年に刑事裁判への被害者参加制度と損害賠償命令の制度が始まったのです。そして翌2009年には裁判員裁判が始まりました。
外国にいらしたお嬢さんが殺されるという,これ以上ないショックを受けられた藤生さんは,それでもご自身が刑事裁判に参加して,何があったかの事実を知り,さらに遺族としてお嬢さんの思いを裁判に反映させることで,せめてお嬢さんの無念を晴らしたいと思われたのです。そのお気持ちを思うと言葉もありません。
かつては刑事裁判は被告人の刑を決める場であり,そこに被害者の方々が参加することは認められていませんでした。それは,現在の刑事裁判の諸原則が構築されたフランス革命当時は,あるフランスの裁判官は「自分は今までに一万人を死刑にした」ということを自慢していたとの話があった時代であり,いわば不当な刑事裁判にかけられる被告人自身を守る必要性から,「無罪推定の原則」などの諸原則が生まれた,という歴史的経緯とも関係していると思います。
でも,長い間刑事裁判に関与できない状態が続いた被害者の方々は,運動を行われ,それが上述した日本の制度改革につながったわけです。法の解釈は,人の人生観,価値観,そして社会を変えたい,という情熱が法に反映されて行われます。それと同じように,法制度の改革も,とても辛い思いをされている方々の情熱が,それを導き,実現されるのだということを,この御本を拝読し,改めて感じました。
藤生朱美さんのご冥福をお祈りいたします。