東日本大震災により被害を受けられた皆様に,心からお見舞いを申し上げます。
『交通死』(岩波新書,1997年)は,大学の経済学部に所属され,経済学の研究をされている,二木雄策さんの著書です。
二木さんは,1993年1月16日に,翌日に成人式を迎えるはずだった,最愛のお嬢さんを交通事故で亡くされた方です。
大学生だったお嬢さんは,青信号の横断歩道を渡っていた途中で,信号無視して交差点に侵入してきた車にはねられたのです。
自分自身も,そして亡くなられたお嬢さんも運転免許を持っていなかったのですが,二木さんは突然,車社会の悲劇に遭われたのです。
そして二木さんは,その後車の運転者の刑事裁判を,被害者の遺族として経験し,現在の刑事裁判実務に愕然となります。被害者側に全く落ち度がないような二木さんのお嬢さんの事件なのに,車の運転手だった被告人に科された刑は驚くほど軽い,と言われます。
お嬢さんの命を奪った運転手に科された刑は,懲役2年,執行猶予3年だったのです。
また二木さんは,当時の刑事訴訟法の下では,被害者側が裁判に参加することが許されず,単に傍聴席から形式的に言い渡される執行猶予判決を見ていただけであった,と語られたのです。
二木さんの裁判制度における驚きは,さらにその後の,運転手に対する民事裁判でも続きます。亡くなられたお嬢さんにつき,失われた利益の損害賠償を求める裁判を起こそうとした二木さんは,それまでの保険会社とその代理人弁護士との話し合いの段階で,亡くなられたお嬢さんの失った命が,すべてお金に換算される賠償実務の現実を目の当たりにします。
亡くなられたお嬢さんが一人の人間として扱われていないのではないか,と感じた二木さんは,「事故で奪われたあの子の生命を,モノとしてではなく,人間の生命そのものとして最後まで扱ってやることが,娘に対する私たちの義務であり責任である」(同書107頁)と考え,弁護士に依頼せずに民事訴訟を提起したのです。
二木さんは,交通事故の実務の立場を踏まえた地方裁判所の判決についても,お嬢さんを一人の人間として扱っていない,と感じます。そして二木さんは,さらに高等裁判所へと控訴したのです。
実は,その後出された高等裁判所の判決も,二木さんの主張を全面的には受け入れるものではありませんでした(それは,請求している金額の全ては認められなかったことを意味します)。
ただ二木さんは,その高等裁判所の判決文全体に,亡くなられたお嬢さんを抽象的なヒトとしてではなく,一人の個性ある人間として扱うという姿勢を感じ,そのこと自体に納得された結果,最高裁判所への上告は行わなかったそうなのです。
最愛のお嬢さんの死により,初めて法律制度,さらには裁判制度に関わることになった二木さんが感じられたことは,現在のそれら制度が見過ごしてきた側面があることを,私達に教えてくれているように思います。
刑事裁判では,その後刑事訴訟法等の改正により,裁判への被害者の参加が認められるようになりました。多くの犯罪被害者の方々,そしてそのご遺族の方々の声が,制度を動かしたのです。
二木さんは,刑事裁判と民事裁判の経験を踏まえ,次のように言われています(同書213頁)。
「英語では,法曹界のことをバー(the Bar)と言う。これはもともと法廷と傍聴席とを仕切る横木から来た言葉なのだが,こと交通事故に関しては,法曹界と被害者との間には超えがたい意識の柵(バー)が厳然として存在する。」
法律制度,そして裁判制度は,社会の喜びが発現され,また社会の悲しみを救う場でなければなりません。
交通事故の被害に遭われた方々,さらにはその他の事件の被害者の方々がそれら制度に求めているもの,実現を求めているものを心で感じ,それを実現できるような法律家でありたいと思っています。