東日本大震災により被害を受けられた皆様に,心からお見舞いを申し上げます。
9月末の1週間で,広島弁護士会国際委員会の方々とご一緒に,ハワイ州の司法制度視察に行ってまいりました。具体的には,ハワイ州で行われている陪審員の方々による裁判の様子と,ハワイ州立大学のロースクールの様子を視察できました。今回の記事ではまず,ハワイ州の陪審裁判の様子をお伝えいたします。
ハワイ州裁判所です。
これから刑事事件の裁判が行われる法廷です。中央にあります多くの椅子が置かれている場所が,陪審員の座るところです。開廷前でしたので,特別に写真を撮らせていただきました。
これから行われる刑事裁判で,被告人の弁護を担当される弁護士の方です。写真を撮らせてほしいとお願いしましたら,少し照れた様子で,でも快く応じてくださいました。奥に見える2本の星条旗の間が,裁判官の席になります。
この日の見学では,刑事裁判における陪審員の選定手続を,まず見ることができました。日本の裁判員裁判では,裁判員の方々の選定手続は非公開で行われます。でもアメリカでは公開の法廷で行われるのですね。
選定手続では,陪審員候補者の方々と被告人との間に特別の関係がないか,陪審員候補者の方々が,最近警察や検察に悪感情を持つような事件はなかったか,などとても細かい事実の確認が続きました。
その手続を見ていた広島弁護士会のある方が,「民主主義とは時間がかかるものだ」と言われたのが,印象に残りました。陪審員の選定手続は民主主義そのものではありませんが,手続保障の観点からすると類似した存在ですね。たとえどんなに時間がかかっても,どんなに手間がかかっても,厳格な手続を貫くことが,司法手続における正義の実現とその正当化理由につながるのだ,と感じたのです。
また同じ日には,民事事件の陪審員裁判も傍聴することができました。医療過誤があったとして,患者が病院を訴えている事件です。
その医療過誤訴訟では,病院側の弁護士による最終弁論を傍聴することができました。もちろん,陪審員に対する最終弁論です。
その最終弁論の最初の部分で弁護士は,「陪審裁判がどんなにすばらしい制度なのか」という点を力を入れて訴えていました。また,弁論の内容も,外国人の私が聞いてもとても分かりやすい内容で,かつ声のトーンや弁論の態度なども,心を揺さぶられるものでした。
陪審裁判については,アメリカにおいても,その母国のイギリスにおいても,非難する声があるそうです。多くの冤罪事件がある,との報道は,新聞等で目にすることがあります。
ただ,その一方で,実際の陪審裁判に関わられている方々,法律家だけでなく陪審員の方々,さらには陪審員に選ばれなかった陪審員候補者の方々の様子を見ると,「自分たちがこの社会で正義を実現するのだ」という使命感にあふれているように感じました。
元々社会制度には完全なものは存在しないのでしょう。陪審裁判にも欠陥があると言われていることは,既にお話したところです。でも,それにも関わらず,陪審裁判を廃止しようという動きがなく,実際の裁判が正義感あふれるものであったことに触れますと,アメリカがこの制度をとり続けている理由は,そこにあるのかな,と思ったのです。
日本でも2年前から裁判員裁判が開始されています。陪審裁判と裁判員裁判は制度としては異なりますが,いずれも司法判断に市民の方々の正義感を反映させる,という目的では共通いたします。
日本の裁判員裁判も,ハワイで傍聴した陪審裁判のように,見る者に感慨を与えるような制度に育ってほしいな,と思ったのでした。