小宮山厚労相が,たばこの税額を毎年増やし,少なくとも1箱を700円程度にするべきだ,との考えを示したそうですね(毎日新聞9月5日配信の記事より)。
ハンガリー政府は1日ね国民の肥満防止を目的にねスナック菓子や清涼飲料水など塩分や糖分が特に高い食品に課税する通称『ポテトチップス税』を導入した。
ハンガリーは財政再建を進めており,政府は税の導入で,毎年7400万ユーロ(約81億円)の税収を見込んでいるという。
欧米メディアによると,包装された市販のケーキやビスケットなども対象で,1キロ当たりの課税額はポテトチップスが200フォリント(約80円),包装されたケーキ類は100フォリント。
ハンガリーの政治家はフランスメディアに『不健康な食品を取るべきではないというメッセージを消費者に送りたい』と説明している。
一方,地元経済団体は税導入で国内の複数の工場が閉鎖され,多数の従業員が解雇される可能性があるとしている。」
たばこ税もポテトチップス税も,国民の健康のためである,という立法目的を有するものの,ポテトチップス税についての記事の最後に書かれてあるように,それはたばこメーカーやポテトチップスメーカーにとっては営業の自由に対する大きな制約でありまして,課税により経営そのものが立ちゆかなくなってしまう可能性すらあるのです。
その意味において,このような課税は健康のため当然許される,とされておらず,メーカーの経済活動の自由という基本的人権に対して必要以上の制約ではないか,という憲法適合性のチェックが必要となってくる問題であります。
実は第1回の新司法試験の論文式試験の憲法では,たばこからの健康予防のための立法に対し,たばこメーカーがそれは憲法違反である,という主張をしていく,という問題が問われたのでした。ご関心をお持ちの方は,以下に添付しております問題文をお読みいただければと思います。
http://www.moj.go.jp/content/000006520.pdf
さらに申しますと,課税の問題は経済面において大きな影響を及ぼします。アメリカの経済学部における代表的な教科書である『マンキュー経済学Ⅰミクロ編』(東洋経済新報社,2005年)180頁には,次のような興味深い問題が書かれています。
「奢侈税を支払うのは誰か
1990年に,アメリカの議会はヨット,自家用飛行機,毛皮,宝石,高級車といった品目に対する奢侈税を新たに採択した。
新しい奢侈税の目的は,税を最も容易に支払うことができる人たちから収入を調達することにあった。
そのような贅沢品を買うことができるのは金持ちのみなので,贅沢品への課税は金持ちに課税する論理的な方法であると考えられた。
しかしながら,需要と供給の作用が働きはじめると,その結果は議会が意図したものとまったく異なってきた。たとえば,ヨットの市場を考えてみよう。ヨットに対する需要はきわめて弾力的である。億万長者はヨットを買わなくても全然構わない。そのお金でもっと大きい家を買ったり,ヨーロッパでバカンスを楽しんだり,あるいは相続人に巨額の遺産を残すこともできるのである。
対照的に,ヨットの供給は,少なくとも短期においては比較的非弾力的である。ヨットの工場は代替的な用途に簡単に転換できず,ヨットを製造する労働者は市場状態の変化に反応して進んで転職しようとはしない。・・
奢侈税の帰着に関する想定が間違っていたことは,税が施行されるとすぐに明らかになった。贅沢品の供給者は,いかに経済的な困難を経験したかを議員たちに十分に認識させた。その結果,議会は奢侈税の大部分を1993年に廃止した。」
現在,家族間の問題を扱う特別な手続の下での裁判所として家庭裁判所がありますが,税の問題も,実はそれが与える経済的な影響を踏まえた上で,その法解釈を行わなければならないという専門性があることから,税の専門家が裁判官とともに判断をする「租税裁判所」を作るべきだ,という意見があります。
その一方で,アメリカの陪審裁判では確定申告の時期には量刑が重くなるというブラックジョークがあるように,税は私達の生活に密着した問題です。そのような側面から,「税の問題を扱う訴訟にこそ,裁判員裁判で判断をするべきだ」という意見もあるのです。
なんとなく,いやなイメージがつきまとう税ですが,そのような観点から見ますと,法律論として,そして経済政策問題として,とても興味深いものを有している分野なのだと思います。