東日本大震災により被害を受けられた皆様に,心からお見舞いを申し上げます。






私は,日弁連裁判員本部公判PTという,裁判員裁判のための法廷技術研修などを行う組織に所属しております。



以前,まだ裁判員裁判が開始していないかった頃,ある弁護士会からお招きをいただき,裁判所の裁判員裁判用法廷を使用して行われた,法廷技術研修会に講師として参ったことがありました。



その研修会の開催に先立ち,地元の弁護士会の司会の方が,「皆さん,今日は大貫弁護士がこの研修会に来られています」と言われました。すると参加者の皆さんが,その場にいらした年配の弁護士に視線を移したのです。



実はその大貫正一弁護士は,1968年に発生した「尊属殺人事件」の弁護人を務めた方でした。「尊属殺人罪」とは,現行刑法199条の普通殺人罪に対し,自分の親などの尊属を殺した場合には,死刑もしくは無期懲役というとても重い刑が科された犯罪類型が,以前の刑法には規定されており,それを指します。



そして大貫正一弁護士が担当した事件は,29歳の女性が,父親から10年以上に渡り夫婦同然の生活を強いられた末,その父親を殺した,というものだったのです。



事件を最初担当されたのは,大貫正一弁護士の父であった大貫大八弁護士でした。大貫大八弁護士は,事件の経緯から,その被告人を刑務所での服役という実刑に服させるべきではなく,執行猶予判決が相応しいと考えました。でも刑法の規定によると,死刑か無期懲役刑しか選択できない尊属殺人罪については,執行猶予を付けることができなかったのです。



大貫大八弁護士は裁判で,普通殺人(刑法199条)に対し,自分の親を殺したという理由で刑を加重した尊属殺人(刑法200条)の規定は,法の下の平等を定めた憲法14条に違反して無効である,という主張をしました。



日本国憲法には,確かにその81条で,国会の立法が憲法に違反する場合には,それを無効であるとする権限を,裁判所に与えていました(違憲立法審査権)。でも,大貫大八弁護士がこの事件を担当した当時,裁判所がその権限を行使して,国会の制定した法律を憲法違反で無効であるとした判決など,一度も出ていなかったのです。



地方裁判所で始まった大貫大八弁護士の弁論は,「被告人の女としての人生は,父親の強姦によって始まるのである。このような悲劇がこの世で他にあるであろうか。」という一文で始まりました。



そして地方裁判所判決は,大貫大八弁護士の主張を受け容れ,刑法200条の尊属殺人の規定は,不当な差別であり,憲法14条違反として無効である,としたのです。



ところが検察庁の控訴により,事件は高等裁判所に移りました。そして高等裁判所の判決は,刑法200条の尊属殺人の規定は憲法には違反しない,というものでした。



大貫大八弁護士は,上告手続を終えた後,ガンのために入院し,裁判の結果を見届けないままこの世を去ります。そして事件は,息子の大貫正一弁護士に引き継がれたのです。



そして大貫大八弁護士,さらには大貫正一弁護士の意思が最高裁判所を動かすことになります。最高裁判所は,現行憲法において初めて,国会が制定した法律である刑法200条の尊属殺人規定を,憲法14条の法の下の平等に反して無効である,との判決を下したのです。



最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決

「尊属に対する尊重報恩は,社会生活上の基本的道義というべく,このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は,刑法上保護に値するものであるから,被害者が尊属であることを類型化し,法律上,刑の加重要件とする規定を設けても憲法14条に違反しないが,刑法200条は,尊属殺の法定刑を死刑又は無期懲役のみに限っている点において,その立法目的達成のための必要な限度をはるかに越え,憲法14条1項に違反して無効である。」









この判決後,平成7年になり,刑法200条の尊属殺人の規定は国会により削除されました。現在では,六法を見ていただいても,刑法200条の箇所には[削除]と記載されているだけとなっています。



本来憲法は,国民の人権を国家機関による権限の濫用から守るために存在しています。憲法は国民を拘束するのではなく,国家機関を拘束するための法です。



とすると,そこに登場するのは公務員の方々だけのように思えますが,実は唯一規定されている民間の職業があるのです。それは何か,そしてそのことは何を意味すると思われますか。



実は唯一規定されている民間の職業が弁護士です。



憲法は,国家権限を担う公務員の方々が守るべき法です。その憲法に民間の職業である弁護士があえて規定されているのは,憲法は弁護士に,社会の少数派の人権を守るという憲法の理念を実現するための役割を担うことを期待しているからです。


例えば弁護士は,いかなる国家機関にも所属していない存在です。最高裁判所にも,法務省にも所属していません。弁護士自治と申しまして,弁護士は弁護士会という国家機関から独立した団体を作り,弁護士は必ず弁護士会に所属しなければ,弁護士としての活動を行うことはできないことになっています。



その国家から独立した弁護士であるからこそ,国家を相手に,そして社会の多数派の人達を相手に,少数派の人達の人権を守る活動ができるのですね。憲法は弁護士にその役割を期待しているのです。


弁護士法1条1項が「弁護士は,基本的人権を擁護し,社会的正義を実現することを使命とする。」と規定しているのも,その現れです。


憲法が,この社会で声を上げて助けを呼ぶこともできないでいる人を救うために人権を保障して,その実現のための役割を弁護士に委ねたのだとするのなら,大貫大八弁護士,さらには大貫正一弁護士は,まさにその憲法の理念を実現する活躍をされたわけです。



この「尊属殺人事件」の経緯と大貫弁護士の弁護活動については,夏木静子『裁判百年史ものがたり』(文藝春秋,2010年)171頁以下に,詳しく掲載されています。ご関心をお持ちの方はぜひお読みください。



研修会では,少しでしたが,大貫正一弁護士と直接お話をさせていただきました。正義感と情熱により歴史を作られた方から,その正義感と情熱を吸収し,忘れがたい機会となりました。