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ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ,1789-1874)は,申すまでもなく「ひまわり」など,独創的な画風で有名な画家です。
ゴッホは,当初は聖職者を志していたのですが,その道を断念し,画家になる決心をします。そしてほとんど独学で,デッサンを描き始めたのです。27歳の時のことでした。
そして,後に独創的な画風で知られることになるゴッホは,その初期において,農民や労働者の姿を描いた,ミレーの作品の素描模写を行ったのです。
以下の作品は,著名なミレーによる「種まく人」です。ゴッホは,この絵について「たとえばミレーの種まく人は畑にいるただの種まく人ではなく,むしろその魂そのものなのだ」という言葉を残しています。
そして,ゴッホがこのミレーの「種まく人」を素描模写した作品が以下のものです(1881年)。
そしてゴッホはさらに,著名な「ひまわり」をフランスのアルル滞在中に描いた1888年と同じ年に,再度ミレーの「種まく人」をモチーフとした作品「太陽と種まく人」を描いています。以下の作品です。
私が今日の記事で皆さんとご一緒に考えたいと思っていますのは,これらは「コピー」なのか「オリジナル」なのか,ということです。
世界各国で制定されている著作権法は,作品を生み出した著作者の「オリジナリティ」を保護するためのものです。では,ゴッホの上記2作品は,保護に値しないのでしょうか。
逆に申しますと,ゴッホの作品も「オリジナル」である,とするならば,私達が社会において保護しようとしている「オリジナル」とは,どのようなものなのでしょうか。
以前の記事「シェイクスピアと著作権」では,さまざまな分野について傑作を作成したシェイクスピアは,実はその当時既に存在していた多くの作品をモチーフにして,それら傑作を生み出したのであり,それは当時のイギリスでは著作権の保護が強くなかったから,なしえたことでもある,というお話をしました。
「オリジナリティ」を保護するはずの著作権法が強くなかったがために,「オリジナリティ」溢れる傑作であるとされるシェイクスピアの傑作群は生み出されたわけです。
とすると,私達が著作権法を制定し,著作権を保護せんとしているのは,なぜなのでしょうか。逆に,私達が著作権法を動かし,実現しようとしている社会とはいかなるものなのでしょうか。
今年(2011年)に公開された映画に「トスカーナの贋作」という作品があります。イランの監督が,イタリアを舞台にして,描いた作品です。
映画では,贋作についての本を書いた英国人作家ジェームズが,イタリア・南トスカーナの小さな町で講演をし,地元でギャラリーを営むフランス人女性と出会います。
翌日再会した2人は,美術品の本物(オリジナル)と偽物(コピー)について語り合います。
ジェームズは講演などで「贋作には本物よりも本物らしい作品があり,本物の価値を証明するという意味で,贋作にも価値がある」と述べます。
さらに2人は,長い間真作であると信じられていた「トスカーナのモナリザ」という贋作の絵を見ます。その作品は,贋作であることが明らかとなった後も,贋作としての価値のため,展示が続けられているのです。
そしてジェームズは,「レオナルド・ダ・ビンチの『モナリザ』も,モデルとなった女性のコピーではないか」と述べたのです。
映画では,ジェームズと女性との間で「見る人の意識が芸術に意味を与える」という会話が交わされています。おそらくこの映画の監督のメッセージは,美術品だけでなく,この世に存在するすべてのものの価値は,それを見て,それと向き合っている人の意識そのものが決定するのだ,ということではないかと思うのです。
仮にそうであるとするならば,私達は著作権法を通して,何を守ろうとしているのでしょうか。
芸術作品について,もう一つ面白いお話があります。以下で引用いたします,朝日新聞掲載の記事をご覧下さい。
「2011年1月19日付朝日新聞(岡山版)掲載の記事より
元倉敷市立美術館長で洋画家の岡本悍久(かんきゅう)さん(67)が,10月に米ニューヨークで個展を開く。即興で描いた絵が時間の経過とともに消えてしまう『消滅のアート』を披露する予定で,『現代アートが盛んなニューヨークの皆さんがどう見るか,反応が楽しみ』と期待している。
ニューヨーク日系人(JAA)の主催。10月3日から5日間,中心地にある5番街近くのギャラリーで約30点を展示する。消滅のアートはその目玉。灰色のキャンパスに無色透明な絵の具で描くと,1~2分後にその筆痕が白色に浮かび上がる。その後,除々に薄くなり,8時間ほどで完全に消滅する。
2007年に,日本画の顔料や砂などを混ぜて塗りつけたキャンパスの上に,水を含んだ絵の具が過ってこぼれたことがきっかけだった。翌日,キャンパスを見ると,こぼれた絵の具の痕跡がきれいに消えていた。
不思議に思って原因を突き止め,半年かけて特殊処理したキャンバスと絵の具を開発。2010年4月に倉敷市立美術館で実演したところ,『絵画は永久的に残すものという固定観念を覆すアート』と好評だったという。
岡本さんは,『消滅のアートは『もののあわれ』や『はかなさ』を悟る禅の『無』の世界観に通じると思う。』と話している。」
著作権が,「オリジナル」の作品を社会で保護するためにあるのならば,8時間後に消滅して社会から消え去ってしまう作品に,著作権は認められるのでしょうか。もしくは,著作権を認める必要はないのでしょうか。
芸術家の方々と芸術作品は,とても興味深い問題を,私達に投げかけているように思うのです。