法曹三者制度,さらにそこにおける弁護人の役割について,とても興味深い事件があります。
第一審で死刑判決を受けた被告人が控訴し,控訴審で国選弁護人が就任しました。
ところがその国選弁護人は,第一審訴訟記録を検討しただけで,「被告人の行為は戦慄を覚えるものがあり,死刑もやむをえない。控訴する理由は何もない。」という趣旨の控訴趣意書を裁判所に提出したのです。
弁護人ですので,当然事件における被告人にとって酌むべき事情を指摘し,原審で死刑判決を受けたなら,死刑が相当ではないという理由はないかを探索するのが,法曹三者制度における役割となります。ところが,この事件の控訴審での国選弁護人は,そのような指摘をせず,被告人は死刑が相当である,との意見を控訴審裁判所に提出した,というのです。
この刑事事件は,最終的に最高裁でも被告人に対する死刑判決が確定しました。その後,刑事事件が最高裁の死刑判決で確定した後の段階で,被告人が,この弁護人に対して民事訴訟(損害賠償請求事件)を起こしました。
この民事訴訟(損害賠償請求事件)において東京地裁昭和38年11月28日判決は,弁護人に損害賠償を命じたのです。
ここで,皆さんに注意していただきたいことがあります。刑事事件は最高裁で死刑が相当であるとの判決が出たのですから,形式的に見ると,「被告人には死刑が相当である」という控訴審の国選弁護人の意見は,最高裁と同じ意見だった,ということになります。
それにもかかわらず,被告人から後になされた民事訴訟(損害賠償請求事件)で,東京地裁が弁護人に損害賠償を認めたのはなぜでしょうか。それがまさに,弁護人の役割に関わるものだと思うのです。
弁護人の役割は何か。それは,発生した刑事事件につき,被告人に最も良い光を当てることです。被告人にはこんなに悪い面がある,ということを指摘するのは検察官です。弁護人がすることではありません。
法曹三者制度は,この世には完全な人間はいないことを前提とした制度です。司法試験合格者を裁判官,検察官,弁護人に分け,それぞれの立場から事件に光を当てさせることで,発生した事実につき,最も適切な事実認定と,量刑の判断ができる,という制度です。
上述した「被告人は死刑が相当である」との意見を裁判所に提出した弁護人は,その役割を放棄しただけでなく,法曹三者制度の趣旨をも歪めたわけです。東京地裁は,その点につき,被告人から弁護人への損害賠償請求を認めたのでしょう。
弁護人の役割につき,興味深い事件をもう1つご紹介しましょう。第二次世界大戦時のナチス戦犯だったアイヒマンが,大戦後に,潜伏中のアルゼンチンでイスラエル政府により拉致され,イスラエルに連行された後,死刑判決を受けた事件です。
アイヒマン裁判 イスラエル国内裁判所判決 1961年12月12日(第一審),1962年5月29日(終審)
(事案の概要)
第二次大戦後に国家として成立したイスラエルは,1950年「ナチおよびナチ協力者の処罰に関する法律」を制定してドイツ戦犯ことにユダヤ人虐殺に参加または協力した者を処罰することにしました。
そして1960年5月,アルゼンチンに偽名を用いて隠れていたナチ・ドイツの秘密国家警察(ゲシュタポ)の責任者でユダヤ人の迫害と虐殺を直接指揮していたとみられるアイヒマンが,イスラエル当局の官憲によって拉致され,アルゼンチン当局の許可もなく強制的にイスラエルに連行され,上の法律に基づいてエルサレム地方裁判所に起訴されました。
裁判に際してアイヒマン側の弁護人は,次の2つの理由に基づきイスラエルの裁判
所の管轄権を否定する主張を行いました。
①被告人が犯した犯罪は,イスラエル国境の外において,しかもイスラエルが国家として成立する以前に,イスラエル国民でなかった人々に対して行われたものであり,またその犯行は外国政府のために義務を遂行する過程において行われたものであって,これを処罰しようとするイスラエルの法律は国際法に反すること。
②アルゼンチンの主権を侵害して強制的に連行された者を裁くことは,国際法に抵触するものであり,裁判所の管轄権を超えるものであること。
イスラエルの裁判所は,弁護人の主張をすべてしりぞけ,アイヒマンに死刑を言い渡しました。
(判決の要約)
ナチスが行ったことは「人道に対する罪」であり,また「国際法上の犯罪」であり,そのような性質を有する「国際犯罪」に対して,イスラエル法を遡及的の適用することは許容される。
ユダヤ人を抹殺しようとした犯罪はユダヤ人と重大な関係を有し,イスラエルはその行為を処罰できる。
さらに,アイヒマンがアルゼンチンから拉致された点については,イスラエルとアルゼンチンとの間の外交上の問題であって,かつ既に両国の声明により,問題は解決されている。
この事件で注目していただきたいことは,イスラエルで,ナチス戦犯に対する刑事訴訟が行われる際においても,弁護人が就任していた,ということです。
社会がどんなに被告人に怒りを感じていても,被告人には弁護人がつき,そして弁護人は冷静に,事実上及び法律上の指摘を行わなければなりません。そうでなければ,完全でない人間が,誤った判断により誤った判決を導き出す可能性があるのです。それが法曹三者制度であり,それが弁護人の役割なのです。
このアイヒマン事件には,1つ興味深いエピソードがありますので,ご紹介しましょう。
アイヒマンは第二次大戦後,アルゼンチンに潜伏し,サラリーマンとして生活をしていました。そのアイヒマンが,仕事が休みの日に,ふらりと街に出かけて,そこで占い屋に入ったそうです。
その占い屋にはユダヤ人の女性の占い師がいました。
アイヒマンは,その占い師に,自分は何歳まで生きられるのか,ということを占ってもらいました。するとその占い師は,「あなたは57歳にはなれないでしょう」と答えたそうです。
実は,その後行われた,上述したイスラエルでの裁判の結果,アイヒマンは死刑となったのですが,その死刑となった時,アイヒマンは56歳だったのです。
事実は小説より奇なり。本当にこの世は謎に満ちあふれていますね。