ビートルズのメンバーでしたジョージ・ハリスンが,ビートルズ解散後に発表した「マイ・スイート・ロード」という曲があります。1971年に発表されたアルバム「オール・シングス・マスト・パス」の中に収録されていた曲で,アルバムの発売前に先行シングルとして発売され,アメリカやイギリスで,ヒットチャートの1位を記録しました。解散したビートルズのメンバーの曲では,一番最初にヒットチャートの1位となった曲です。
実はこの曲は,著作権とその保護について,社会に問題を提示した曲となりました。と言いますのは,1960年代のシフォンズという女性ボーカルグループの曲で,これもアメリカで1位となった「ヒーズ・ソー・ファイン(He is so fine)」という曲に,似ていたのです。
「ヒーズ・ソー・ファイン」もアメリカで1位となった曲ですので,ジョージ・ハリスンもそれを聞いていたことは容易に想像できるわけです。かくして問題は,1976年に著作権侵害を理由とする訴訟に発展しました。
ただ,恐らく皆さんも思われていることとでしょう。アメリカのヒットチャートの1位となったような曲を,意図的に盗作するなどしても,すぐに指摘されてしまいます。そんなことをあえてするでしょうか。実は裁判所もそう考えたのです。裁判所は,審理の結果,どうもジョージ・ハリスンはシフォンズの曲を意図的に使ったのではなく,意識下に,記憶の奥底にあったメロディを,他人の曲だと意識したのではなく,自分の発想だと思い,無意識の内にそれを使ってしまったようである,と判断したのでした。
さて「ヒーズ・ソー・ファイン」の著作権者は,故意に使用したのではなく,あくまでも潜在意識の中にあったメロディを使って曲を作る,そのような行為まで禁止することができるのでしょうか。
実は,上述した裁判では1976年の判決で,「それも著作権侵害となる」という判断が,連邦地裁で出されています。ただ,この事件は,私達に難しい問題を提起したように思うのです。
これまでもこのブログの記事で,著作物の強い保護は,逆に社会における文化の発達にはつながらないのではないか,というお話をさせていただきました。もちろん,著作権侵害行為があり,権利者が提訴をしても,「無意識でした」という理由で簡単に権利侵害とならない,という事態は避けられなければなりません。ただ,文化的活動はえてして,それまでに存在している芸術作品を発想の源として作成されることを考えると,どこまでが著作権侵害となり,どこからが許されるのかを社会として線引きすることは,とても難しい問題のように思います。
この訴訟については,以前にもご紹介しました福井健策『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』(集英社新書,2005年)92頁以下に,詳しく紹介されていますので,ご関心をお持ちの方はお読みください。
ジョージ・ハリスンは,この訴訟の後のインタビューで,「暫くの間は,誰かの歌と同じようなメロディの曲ができたらどうしようと考えてギターにもピアノにもさわれなかった」と話したそうです。ジョージ・ハリスンは2001年に亡くなり,追悼コンサートでポール・マッカートニーは,「イエスタデイ」を歌い,追悼の意を表しました。
考えてみれば「オール・シングス・マスト・パス」とは,「全てのことは過ぎゆくものだ」という意味です。ジョージ・ハリスンは天国で,「もう過ぎたことだ。でもあまり権利,権利と言うのはどうかと思うよ。」と笑っているのかもしれません。