私たちのために消火活動を行ってくださっている消防職員(「消防士」という名称が一般的に使われますが,法律上の名称は消防職員といいます。)の方々は,いわゆる労働三権(労働者の団結権・団体交渉権・争議権)の全てが法律により制限されています。
ところが,その内,団結権を制限している日本の国内法は,国際労働機関であるILO条約により採択された,ILO条約に違反しているのではないか,という問題があるのです。
国内法と国際法との関係という法分野の中でも,この消防職員の方々の団結権とILO条約との関係は,国際人権条約による人権救済手続という観点からとても興味深い問題点を含んだものだと思います。
実は私は,昨年2009年11月に,静岡県で行われた消防職員の方々の全国会議において,消防職員の方々の団結権を回復するような訴訟が考えられないか,という問題提起を受け,日本の国会が,国際人権条約であるILO条約の締約国であるにもかかわらず,国内法を改正しようとしない点につき,立法不作為を理由とする国家賠償請求訴訟ができるのではないか,そのような訴訟を全国各地の裁判所で提起し,その訴訟活動が立法改正も促すのではないか,という話をさせていただきました。
まず,消防職員の団結権にどのような問題があるのかを,皆さんにご説明したいといます。
大学の法学部で憲法の講義を受けられると,公務員の人権という問題が必ず扱われます。憲法は28条で労働三権(団結権・団体交渉権・争議権)を保障しています(この保障がなかった時代,あまりに労働者の方々の労働環境が劣悪だったため,生まれたのが社会主義国家思想です。)。ところが,公務員の方々は,その労働条件が,人事院・人事委員会という行政機関により決定され(給料などについてはよく報道されていますね。),使用者と直接の交渉を経て決定されるというプロセスを経ないことを理由に,その労働基本権が(憲法の保障にもかかわらず)法律で制限されているのです。
例えば,警察官や刑務所の刑務官などは,労働三権すべてが法律で制限されています。そのような仕事に就かれている方々が,ストなどをすると大変なことになる,という理由が,労働三権すべてを制限する理由とされています。
それでは消防職員の方々はどうか,といいますと,実は地方公務員法の52条5項で,「警察職員及び消防職員は,職員の勤務条件の維持改善を図ることを目的とし,かつ,地方公共団体の当局と交渉する団体を結成又はこれに加入してはならない。」との規定が設けられています。つまり,警察職員などと同様に,消防職員の方々は,最も基本的な労働基本権である団結権を,法律で禁止れているのですね。上述しましたように,団結権が保障されていないということは,労働三権全てが禁止されていることを意味します。
ところが,その一方で,日本はILO条約という条約に入っています。ILOとは今では国連の一機関となっていますが,世界中の労働者の労働基本権が同様に保障されるために作られた国際機関でして,そこで制定される条約をILO条約と言います。
その中にILO87号条約というものがあります。1948年にILO総会で採択されたILO87号条約(正式名称は「結社の自由及び団結権の保護に関する条約(Freedom of Association and Protection of the Right to Organize Convention)です。)は,2条において「労働者及び使用者は,事前の認可を受けることなしに,自ら選択する団体を設立し,及びその団体の規約に従うことのみを条件としてこれに加入する権利をいかなる差別もなしに有する。」と規定して,団結権をいかなる差別もなしにすべての労働者に保障するとともに,
9条において「1項 この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は,国内法令で定める。2項 ILO憲章第19条8に掲げる原則に従い,加盟国によるこの条約の批准は,この条約の保障する権利を軍隊又は警察の構成に与えている既存の法律,裁定,慣行又は協約に影響を及ぼすものとはみなされない。」としています。
日本は,1960年にこのILO87号条約の批准を国会に諮り,1965年に批准しています。それにより条約の批准に伴う国内法の一部改正が行われ,当時存在した国公務員法98条4項が削除されることにより,国家公務員である消防庁職員は団結権止について適用除外となりました。しかしながら,上記地方公務員法52条5項の適用を受ける自治体機関の市町村消防職員については,団結権は認められないままとされたです。
日本は,ILO87号条約の締約国なのですから,上述した条約の文言だけを読みなすと,地方公務員法52条5項は,ILO87号条約の2条に違反しているように読めます。ところが,日本政府は,同条約9条1項の「警察」に消防職員も含まれる,同条項は例外的に国内法で団結権を制限することを認めた規定だ,だから地方公務員法52条5項は,ILO87号条約と抵触しない,と主張しているのです。
でも,実はILO条約では,締約国による解釈宣言(私の国は,この条項をこう解します,というもの。)や留保(私の国は,この条項の効力を及ぼされません,というの。)は認められていないのです。
日本政府の言い分として,日本では歴史的に,警察と消防は不可分一体のものとし業務を行ってきた,という理由が挙げられています。しかしながら,国際法の世界では条約の当事国は,条約の不履行を正当化する根拠として,自国の国内法を援用することできないのです(ウィーン条約法条約27条「当事国は,条約の不履行を正当化する拠として自国の国内法を援用することができない。この規則は,第46条の規定[注―条約を締結する権能に関する国内法の存在と国際法の効力に関する規定]の適用を妨げるのではない。」。ウィーン条約法条約は,国際慣習法を法典化した条約であって,日本1981年に批准しています。)。そうであると,日本政府国内における歴史的な事情を条約上の義務を免れる根拠として援用することも,許さないはずです。
とすると,日本政府の主張には無理があることは明らかで,実際にILO機関から日本の国内法で消防職員の団結権を禁止していることはILO87号条約に違反するとの勧告が繰り返し出されています。
実は,国際法である条約も,日本の国内法秩序で,つまり国内裁判所で,国内法と同じように直接適用されるのです。そして,憲法98条2項が「日本国が締結した条約び確立された国際法規は,これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定しているとを根拠に,日本の国内法秩序,例えば裁判所で適用される法の効力は,一番の上位規範(一番効力が強いもの。)が憲法で,次が条約,そしてその下に国内法がある,とされています。つまり条約は,国内法よりも上位規範であって,仮に条約と国内法の内容が矛盾するならば,国内法が無効となるのですね。
日本では,通常,条約の締約国となる場合には,国内法をチェクして,矛盾する規定があればすべて改正をした上で,条約の締約を行っています。ですから,日本が締約国となった条約と日本の国内法の内容が矛盾しているという事態が生じることはまずないのです。ところが,このILO87号条約と地方公務員法52条5項だけが,唯一と言っていいと思うのですが,一つだけ,内容が直接矛盾する状態で残されているのです。
消防職員の方々は,団結権が地方公務員法で禁止され,その後日本がILO87号約の締約国となった後も40年にわたって,国内法で団結権が禁止された状態が続いています。本来ならば,ILO87号条約に日本が締約国となった段階で,国会は地方公務員法52条5項を改正して,消防職員の団結権を復活させなければならなかっはずです。
ところが,先ほどもお話しましたように,日本政府がILO87号条約は消防職員の団結権を国内法で禁止することを許しているという立場を採っていることが影響して国会も,地方公務員法の改正をしないまま,40年が経っているわけです。
実は,憲法では,国会の立法不作為,つまり立法行為をしないことが,違法でありそのことで人権侵害を受けた人は,国に対し,国家賠償法に基づき慰謝料の支払いを求めるという訴訟形態があります。それを立法不作為訴訟と言います。
その前提として,国家賠償法とは何か,と申しますと,交通事故で適用されるのが民法709条の不法行為法ですよね。それに対して,被告が国などの行政の場合には,国家賠償法という民法の特別法がまず適用されるのです。行為主体が行政である場合の特別法が国家賠償法となります。
この立法不作為訴訟が,日本で初めて提訴されたのは,北海道の札幌地裁小樽支部でした。体に障害がある方のために,郵送で選挙の投票ができる制度が昔あり,それが悪用されたことを理由として,廃止されたことがあります(今は復活されています。立法不作為訴訟が提起された結果,制度が復活されたのです。)。そのために,事実上選挙の投票に行くことができなくなった方が,以前のような郵送の投票ができるような法律を作らない国会の立法不作為が,選挙権を保障した憲法に反して違法であり,国家賠償法に基づき慰謝料を求める,という訴訟だったのです。
この訴訟は,地方裁判所,高等裁判所は原告主張を認めたのですが,最高裁は,昭和60年11月21日判決で,「国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき例外的な場合を除き国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けない。」として,訴えを退けました。立法行為についての,国会の広い裁量を認めたわけです。この最高裁判決が出た後は,事実上立法不作為訴訟はできなくなったのではないか,と言われていました。
ところがその後,この最高裁判決の存在にもかかわらず,地方裁判所で,立法不作為についての国の責任を認める判決が出されることになります。
まず,いわゆる従軍慰安婦の問題につき,山口地裁下関支部平成10年4月27日判決は,「憲法秩序の根幹的価値にかかわる人権侵害が現に個別の国民ないし個人に生じている場合に,それを是正しない立法不作為は,国家賠償法上の違法をいうことができる。従軍慰安婦制度は,徹底した女性差別,民族差別思想の現れであり,女性の人格の尊厳を根底から侵し,民族の誇りを踏みにじるものであって,現在においても克服すべき根源的人権問題である。日本国憲法の下でも国には被害者を保護すべき条理上の法的作義務が課せられており,遅くとも従軍慰安婦に関する内閣官房長官談話が出された平成5年以降3年を経過した平成8年8月末には合理的期間を経過したといえるから,当立法不作為が国家賠償法上も違法となったと認められる。」と判示しました。
また,いわゆるハンセン訴訟において,熊本地裁平成13年5月11日判決は「らい予防法[平成8年に廃止]は,昭和28年制定当時からハンセン病予防の必要を超えて過度な人権の制限を課すもので,公共の福祉による合理的な制限を逸脱していた。・・遅くとも昭和40年以降に隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき,国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。」とする画期的な判決を出しました。この判決に対して敗訴した国は控訴せず確定して,全国のハンセン訴訟は,この判決の基準に基づき,和解で終了したのです。
このような下級審裁判所による斬新な判決を受け,とうとう最高裁判所が,上述した昭和60年判決の立場を変え,立法不作為訴訟を認める判断を出しました。それが,在外国民の選挙権を法律上保障していなかった国会の立法不作為が問われた事件です。
その事件につき,最高裁平成17年9月14日判決は,「在外国民に国政選挙における選挙権行使の機会を確保するためには,在外選挙制度を設けるなどの立法措置を執るとが必要不可欠であったにもかかわらず,そのために法律案が昭和59年に廃案となった後,平成8年10月20日の衆議院議員総選挙の実施に至るまで10年以上の長きわたって国会が何らの立法措置を執らなかったことは,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける。」としたのです。
この平成17年最高裁判決は,国会の立法不作為が違法となる場合を2つ上げていす。
「国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである。
したがって,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,それゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。
しかしながら,①立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,②国民に憲法上保障されている権利行使機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けるものというべきである。最高裁昭和53年(オ)第1240号同0年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁は,以上と異なる趣旨をいうものではない。
在外国民であった上告人らも国政選挙において投票をする機会を与えられることを憲法上保障されていたのであり,この権利行使の機会を確保するためには,在外選挙制度を設けるなどの立法措置を執ることが必要不可欠であったにもかかわらず,前記事実関係によれば,昭和59年に在外国民の投票を可能にするための法律案が閣議決定され国会に提出されたものの,同法律案が廃案となった後本件選挙の実施に至るまで10年以上の長きにわたって何らの立法措置も執られなかったのであるから,このような著しい不作為は上記の例外的な場合に当たり,このような場合においては、過失の存在を否定することはできない。このような立法不作為の結果,上告人らは本件選挙において投票をすることができず,これによる精神的苦痛を被ったものというべきである。したって,本件においては,上記の違法な立法不作為を理由とする国家賠償請求はこれを認容すべきである。」
この訴訟で請求された慰謝料の請求額は1人5万円,判決で認められた額は5千円す。でも判決をきっかけとして法改正が行われ,大きく社会を動かした訴訟となりまた。
消防職員の方々による立法不作為国家賠償請求訴訟では,最高裁判決の提示した,立法不作為が違法となる類例2つの内,「①立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」に該当する,という主張を行うことになるでしょう。
国家賠償法1条1項は,「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」と規定しています。その要件は,以下のとおりです。
①国または公共団体の公権力の行使にかかる公務員の行為であること
②職務を行うについて
③故意または過失による違法な行為であること
④損害
⑤因果関係
本件で特に問題となるのは,③の要件でしょう。まず違法性については,条約に違反する地方公務員法52条5項が違法であると言えると思います。
さらに,おそらく訴訟で最大のポイントとなるのは,国会の立法不作為に過失が認られるかです。実は,ILOからの勧告を無視できなくなった日本の政府は,1995年に消防職員の方々の労働条件について検討を行う消防職員委員会を設立しています。
しかし,国会の審議録を見てみると,1995年に消防職員委員会が設立された後でも,同委員会は,団体交渉権の代替措置ではあっても,団結権の代替措置ではない,ILO条約違反ではないか,という質問が何度も繰り返し出てきます。
国会議員は,その質問を通じて,政府の責任を問うているわけですが,それならば地方公務員法52条5項を国会自身が変えればいい,というよりもむしろ国会は地方公務員52条5項を変えなければならないわけでして,国会に怠慢(過失)がある,と主張できるのではないでしょうか。
立法不作為訴訟については,実はこれまでに司法試験でも取り上げられています。
旧司法試験昭和56年度論文式試験憲法第2問
国会がいわゆる在宅投票制度を廃止した結果,身体障害等の事情のある者の投票が不可能又は著しく困難となった。そこで両議院に対して請願がなされたが,この制度を復活するための立法措置がとられなかった。この場合,当該身体障害等の事情のある者の選挙権は,立法の不作為によって侵害されたか。もし侵害されたとすれば,その救済のためには,憲法上どのような方法があるか。
旧司法試験昭和62年度論文式試験憲法第1問
子女を公立高校に進学させることができず,やむなく私立高校に進学・通学させている親が,負担する公立学校との学費の差額は,国会及び内閣が憲法第26条等に定める教育諸条件整備に関する法的義務に違反する立法上の不作為に由来する損害であるとして,国に対して損害賠償を請求した。
右の訴訟に含まれる憲法上の問題について,憲法第26条の「教育を受ける権利」を中心に論ぜよ。
前の問題は選挙権の問題で,後の問題は教育を受ける権利の問題です。それぞれの権利の性質によって,立法についての国会の裁量の幅が変わってくる,という点がポイトとなる問題です。
模範的な解答ですと,選挙権については,1人1票が与えなければならず,しかもそ権利行使ができるよう国会は配慮しなければならないことは,憲法解釈から容易に導ことができることであり,その意味において国会の裁量の幅が狭く,立法不作為が違法となる,それに対して,教育を受ける権利は社会権ですので,どのような教育施策をるかは国会に広い裁量が与えられていることになり,特に義務教育に対する高等学校育についてはその裁量の幅はより広いはずですので,立法不作為は違法ではない,というものとなるのでしょう。
これらの権利と消防職員の方々の団結権を比較しますと,労働基本権は社会権ではあるものの,団体を作るということは,権利の自由権的側面の問題です。その意味において選挙権や精神的自由権のように,国会の裁量は狭いと考えるべきなのではないでしうか(団結権の内容そのものは一義的なものであって,国会の立法裁量によって左右されるものではないと考えるべきです。)。そして,やはり日本がILO87号条約の締約国であることが,何よりも国会の立法裁量を縛り,地方公務員法52条5項の改正を行う義務を国会は負っていた,と評価せざるを得ないと思います。
実は,上述した立法不作為を違法とした最高裁平成17年判決の後,学生無年金訴で同様に国会の立法不作為を違法として慰謝料請求がされました。
今は20歳から国民年金に強制加入となっていますが,以前は大学生だけ任意加入とされていました。そして,加入していなかった大学生が交通事故などに遭い,加入していなかったので年金受け取ることができない,という事態となったことの憲法適合性が争われた事件です。
最高裁は,平成19年9月28日判決において,「立法府は,保険方式を基本とする国年金制度において補完的に無拠出制の年金を設けるかどうか,その受給権者の範囲,給要件等をどうするのかの決定について,拠出制の年金に比べて更に広い裁量を有しているというべきである。」として,その訴えを退けています。
しかし,年金制度という会保障制度においては,最高裁のいうとおり国会の裁量権は広いと言えますが,労働の団結権は,労働三権の中でも自由権的な権利ですので,やはりそのような社会保障制度とは異なるといえると思います。
この消防職員団結権・立法不作為国家賠償請求訴訟が,全国の複数の地方裁判所で提訴されると,おそらくいろいろな判決が出され,それが最終的には最高裁に上がっていき,最後は最高裁の判決が出されることになります。そのプロセスを通じて,地方公員法52条5項が改正されることが,最大の目標となるわけです。