前回書かせていただいた「頑張れ司法試験受験生!2」に,ブログを始めて以来初めてコメントをいただきましたので,もう少し司法試験の論文式試験について,私の考えを書きたいと思います。旧司法試験の論文式試験の問題を1題採り上げて,その私の考え方をお伝えしたいと思います。



旧司法試験平成9年度論文式試験民事訴訟法第2問

 甲は,乙の不法行為により2,000万円の損害が発生したと主張し,そのうち500万円の支払いを求める訴えを提起した。乙は,甲の主張を争い,請求棄却の判決を求めた。

 裁判所は,因果関係が認められないとの理由で,甲の請求を棄却した。甲は,この判決確定後に残額1,500万円の支払いを求める訴えを提起した。この場合における訴訟法上の問題点を論ぜよ。



私たちは,この問題をいわば「題材」として,司法権を担うに相応しい才能を有していることを表現する必要があります。それは,「この問題を知っているだけでなく,この他のどのような問題も,法を使って適切な解決をすることができる才能」を持っていることを表現するということです。



この民事訴訟法の問題は,とても示唆的だと思うのです。その理由を少しご説明いたします。



この問題を判例の立場で検討すると,以下のようになると思います。



1 まず問題となるのは,甲が乙に対し,2000万円の損害が発生したと主張して,そのうち500万円の支払いを求めるという,一部請求が民事訴訟法上認められるか,という点です。



判例は,いわゆる明示説に立ち,一部請求が明示されていれば訴訟物はその一部に限定され,前訴判決の既判力は残部請求の後訴請求には及ばず,後訴は許されるとしています(最高裁昭和37年8月10日判決)。この判例の存在が,この論文式試験の思考のスタートとなります。



その意味でこの判例の存在は,司法権の担い手としての歴史家としての才能を示す箇所です(その場合も,単に知識としてこの判例を知っている,ということを表現するだけでなく,つまり「判例はどう言っているか」を知っていることを表現するだけでなく,「判例はなぜそう言っているか」という理解を表現する方が,評価は高くなると思います。



なぜならば前者の理解を問うのが短答式試験であり,後者の理解を問うのが論文式試験だからです。ですので答案には,訴額が高くなるような案件で,印紙代等の負担を軽くするという原告の利益と,その一方で,全部請求だと考えて応訴して勝訴判決を得たのにもかかわらず,再度後訴が起こされてしまう場合の被告が被る不利益との調和点からすると,一部請求であることを明示した場合にのみ後訴を認めるというのが社会的な観点からすると妥当な調和点であることを表現されるといいと思います。)。




さらに思考のスタート部分は続きます。判例の明示説に立つと,前訴判決確定後に甲が残額1,500万円の支払いを求める訴えを提起すること自体は許されることになります(訴訟物が別ですので,前訴判決の既判力は及びません。)。



また,被告の乙としては,前訴では因果関係が認められないとの理由で,甲の請求が棄却されているではないか,という主張を後訴でしたいところですが,それも判決理由中の判断ですので,拘束力がないということになります(民訴法114条1項)。



ここまでが,この問題における思考のスタート部分です。新司法試験では短答式試験が足切り試験となっていますが,短答式試験で一定の得点ができないということは,論文式試験におけるこの思考のスタート部分の指摘が適切にできないであろう,ということになります。だから論文式試験の採点そのものがなされないわけです。



2 さて,1の思考のスタート部分(それは司法権の担い手としての歴史家としての才能を表現する部分です。)を前提として,司法権の担い手に相応しい才能を表現していくことになります。それは,法の形式的な適用から生じる不都合を,法の解釈(つまり法を新しい方向に向けて動かしていくこと)によって解決することができる,という才能です。



この問題で指摘しないといけない不都合とは何か,です。それは一部請求についての判例の明示説が念頭に置いているのは,一部請求を行った原告が前訴で勝訴した場合に,さらに後訴を起こして残部を請求する,というプロセスであって,前訴で敗訴した原告が,さらに後訴を提起する,というプロセスではない,ということです。



さらに言いますと,前訴では因果関係が認められないとの理由で,原告の請求が棄却されている点につき,もちろん民訴法の規定ではそれは判決理由中の判断ですので,拘束力がないということになるのですが(民訴法114条1項),不法行為訴訟において因果関係が認められないという理由は,当然前訴において当事者により争点化され,懸命な訴訟活動がなされた結果出たものであることからすると,そのような理由で敗訴判決となっている原告が,さらに後訴を提起することが認められることは,被告にとって大変酷な結果となります。



司法権の担い手としては,この2の部分で,社会的,公平の観点からすると,原告である甲の後訴が認められることは,被告である乙との関係で著しく不公平であることを指摘することになります。



そして,実は,司法試験の論文式試験で見たい才能は,この部分,つまり「この結論はおかしい」と感じることができる才能である,と言えると思うのです。と言いますのは,条文を形式的に適用すればよいような案件,さらに変更の可能性のない判例に基づいて和解すればいいような案件は,通常訴訟とはならず,当事者間の話し合いで終わるからです。逆に言いますと,司法権に提訴されている案件とは,新しい判断(解釈という新しい法の動かし方)が求められているような案件であって,司法権は常に新しい社会問題を,法を用いて解決する国家作用だからです。



司法権が新しい解釈を行う場合とは,当然条文の形式的な適用,これまでの判例の立場の形式的な適用だけでは,「この結論はおかしい」という結論になってしまう場合であるということになります。だから論文式試験でも,そのような思考のプロセスを表現するような問題が出されるということになります。



3 さて,1,2で司法権の担い手としての思考を行ってきた私たちとしては,3で解釈を行い,この問題につき妥当な解決を提示する必要があります。



司法試験受験生の皆さんですと,これは,民訴法114条1項は拘束力はないとしている判決理由中の判断につき,それでも信義則が適用され(民訴法2条),原告である甲の後訴の提起は許されないというのが判例の立場であり(最高裁昭和51年9月30日判決),論文式試験の答案の3,理由の部分でも,そのような立場で書かれる方が多いと思います。



ただ,私がここで司法試験受験生の皆さんに考えていただきたいことがあります。それは,仮にこの3の理由,解釈の部分を判例の立場である信義則説の立場ではなく,他の立場(例えば争点効説)の立場で書いたら,不合格になるのか,ということです。



おそらくそのようなことはないでしょう。判例の立場である信義則説で3の理由,解釈の部分を書いても,争点効説の立場で書いても,合格答案となるはずです。



でも不思議だと思いませんか?。なぜ司法権の担い手となる人を選ぶ試験である司法試験で,判例の立場ではない立場で答案を書いても合格となるのでしょうか。



それは,実は論文式試験での主要な採点の対象は,3の理由,解釈の部分の内容(いわゆる理由付けの内容)そのものではない,ということを意味しているのではないでしょうか。



司法試験の論文式試験での主要な採点の対象は,理由付けの内容ではなく,1→2→3という思考のステップを踏めているか,そのステップの過程において,指摘しなければならない法律問題を適切に指摘し,かつ司法権の担い手として相応しい観点からの解決方法を提示できているか,ということである,ということを意味しているのではないでしょうか。



前回の「頑張れ司法試験受験生!2」で書かせていただいた,合格の年に私が気がついたということは,実はこのようなことでした。論文式試験は,実は,正解をその通りの内容で書いているかを見る試験ではないのだ,ということです(その意味で司法試験は単なる学力試験ではないということになります。)。



司法試験と司法権の関係,司法試験で求められていることについては,今後もブログで採り上げていきたいと考えております。よろしくお願いいたします。