会内経典「ただいま86歳、悟りの言葉」、賢い人にも2種類ある | LEO幸福人生のすすめ

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総裁先生のお母さんの守護霊の霊言、

会内経典「ただいま86歳、悟りの言葉」を再読する。

 

 

賢い人にも、二通りある。

その賢さによって、自分が得をして、満足できるようなものを手に出来たら、万歳万歳で人生を終われる、と考えているタイプと、

もう一方は、

賢いのなら、困っている他の人を助けたり、道が見えていない人たちを助ける責任があるんだ、と考えるタイプと、

二通りしかないと。

 

これは、利己と利他の正反対の方向性ですね。

前者は、自分が満足が行くように知を使えたら、それが自分の人生の成功だと思っている。でもそれは成功とは言えないよなー。

後者は、他の人のために知を使ってこその人生だ、と考える。他の人のために、賢さを使わないといけない。それは義務なのだ。自分のためではなく、他の人のため。責任があるのだ!

 

責任の自覚が大きいですね。この考え方の違いは正反対で、大違いでしょう。

 

わたし23歳のときに、自分の知について考えて、なんのための知なのか、とすごく深く考えたことがあります。まだ会員になる前、その直前のこと。

坂本龍馬の霊言だけ読んでいて、あとは聖書を読んでいたくらい。

 

高校時代に自分は勉強が出来て、あいつは天才だ、とか言われてたんですが、

大学を卒業するころになって振り返ってみたら、そんな風に他者から評価されたとしても、それがなんだというのか。俺がこの世を去ったとして、その時の誰かが悲しむことなんてあるだろうか。そんなやつもいたなー、くらいしか記憶に残らず、あるいは記憶にすらもう無いかもしれない。

自分の実力を発揮するためだけに勉強して、それで知の高みを目指して、俺は誇っていただけじゃないのか。これは間違った人生なのではないか。

と思って、

イエス様の愛の人生を知った時に、涙がボロボロ流れたのを思い出します。

イエス様は、他の人への愛に生きた。俺もそう生きねばならなかったのだ。知を磨くのは自分のためではない、他の人のために生かしてこその知だったのだ。俺は勉強の方向性を間違っていた! そう自己の学生時代を振り返って、猛反省をしました。

 

それから数か月後に、総裁先生の著作の山積みに出逢って、うわ、こんなに本が出てたのか、と衝撃を受けて、3冊買ってその日のうちに読み、また翌日か翌々日には3冊買って、みたいな怒濤の真理読書の生活になりました。

 

いまはカッコつけるわけではないけれど、本を読む際にも、自分だけの興味本位ではなく、これは誰か他の人の役にも立つ本だろうか、という視点を入れて、本を選んだり、読んだりしています。

だから、ここは他の人に勧めるのにも良い文章だな、と思ったら、線を引きながら読んで、そこを後で引用して、ブログ記事に書いたりしています。

 

自分だけの興味本位、勉強に終わらないように。

これは他の人にも参考になる、普遍的に大切な何かを語っている本だろうか。

そう思って、本を選び、読むようにしています。

アガサ・クリスティーの推理小説だって、そういう視点で読んでいると、あ、このポワロの言葉は結構普遍的に鋭い、人間心理を洞察した言葉だな、と感じられたりして、

それでも記事は書けますからね。

自分だけの興味、という視点じゃなくて、普遍的に価値がある、多くの人にも参考になる文章かどうか、という視点で本を読むと、自分だけの役に立つのではない、多くの人に役になることを多く学べる、という効果がありますよ。

読む時点で、普遍性を考える、人間にとって必要なものなのかどうなのか、その視点で読むこと。これが大事かなぁと。