人間は、自分のことになると、一所懸命。
自分でなんとかできるあいだは、人知を超えた世界になど無関心で生きてしまう。
しかし自分の力ではもはやどうしようもない事態に至ったときに、
人は、神を求め、神にすがり、神による救いを願って、ようやくにして心を開く。
別に、今回の天災のことを言っているわけではないです。
個人の問題であっても、たとえば重い病に罹ったとき、
最初は医者を頼り、病院へ行って薬をもらって、それで治ればと思って対処しますね。
神を信じない人でも、そうする。
けれども、薬や医師の力ではいかんともしがたい、医療が出来ることはすべてやったのに、
これ以上の治癒は望めないというときに至ると、神に助けてくださいと願わざるを得なくなる。
自分の力でなんとか出来ると思っているうちは、人は自分に頼り、自力、自我力でなんとかしようとする。
病気になっても、医者や薬でなんとか出来るのでは、と思っているレベルのときは、医者や薬を頼る。
神に願うことが、どれほど少なくなってしまった時代であることか。
自分自身を振り返ってみても、上のことから外れているとは言い難い。
それほどまでに、自分の力に驕っているのではあるまいか。
日々、神に感謝し、祈り、神の御力にあずかって生かされていることを、わかっているだろうか。
病になったときに、医者を信頼して頼るのが間違いとは思わないけれど、
そこでとどまっていたら、肉体にばかり目が行って、霊的視点を忘れているのかもしれない。
重い病にかかった時に、自分の病気平癒祈願だけでなく、愛する家族の病気平癒を願って、わたしは主に救いを求める。
人事を尽くして、自分が出来ることはやりきって、心を改める努力をし、
病気ならば医療で出来ることはやってもいい。
でも人間は肉体だけではなく、本質は魂なのだ。心なのだ。
心の治癒と救いを求めて、もっと主なる神に全託しよう。御仏に頼って生きよう。
心の指針にもあったように、仏さまが支えてくれていることを信じて、身を投げ出そう。
人間として出来るかぎりのことをやったら、あとは天にお任せしよう。
そういった心でもって、今年を生きられたら、と思うのでありました。