ネット情報の危うさ | LEO幸福人生のすすめ

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幸福の科学の新刊予定「中国発・新型コロナウィルス 人類への教訓は何か」の見出しに、

・週刊誌もマスコミもネットも間違った情報拡散はウィルス感染と同じ


という見出しがある。(本編はまだ未拝聴、未読のため)


以下は、このテーマに関して、自分として思うこと。


ネット情報の危うさ。

個人が自由にアップできてしまうので、その情報がどこまで正確なのか、正しい情報なのかは、
発信者の良識にのみ、掛かっている。

その情報を読んで、読者が正邪を判断できればいいのだけれど、出来ない人間が鵜呑みにしてまき散らせば、デタラメ情報が蔓延する、ということにもなりかねない。

犯罪事件などで、素人がでっちあげた情報などを見て、芸能人がそれを真実だと思い込んで、冤罪事件を拡散してしまう、ということがしばしば起きているように、
情報の出どころ、発信者の信用性などの確認もしないままに、ネットで多く出回っているからといって、それを鵜呑みにすることは危うい。

ネット情報に限らず、出版されている本であっても、デタラメの内容が出されることがある昨今は、数多くの週刊誌を見てもそうだし、今回の長男による出版本を見ても、その危険性がわかるというものだ。

出版社の良識が疑われる時代になっているし、今回の件は、個人がネットで好き勝手に上げている、主観丸出しのねつ造記事をそのまま活字本に載せているような体たらくのようなので、信用できる内容とは到底言えない。


良識を欠いた人間がネットにあげている情報を、精査することも無く、そのまま鵜呑みにするのも問題だし、あるいは、ネット情報をもとにして、さらなる判断をする際にも、次なる問題が起きてくる、ということだろう。
デタラメを根拠に何かを論じても、元がデタラメなのだから、そこに積み上げた論自体が、根拠を欠いた無意味な内容、ということになるのだから。

ネット情報を鵜呑みにして、それを根拠に考えてしまうこと、あるいは、ネット情報をもとにして、安易に文章を書くことの危うさを、あらためて自分らも見直さないといけないな、と思う次第です。


これは自分発信のブログ記事にも、当然、こうした危険性がある、と言わねばならないと思う。

発言責任の重さ。
ブログ発信した場合の、その発言内容にともなう発信者の責任。
これは実際は思っている以上に重いと思うし、10人20人が読むだけであったとしても、その影響が、良いものならいいけれど、悪いものであった場合は、最初の発信者の魂的な責任問題が発生すると思う。

悪質なアンチ活動をしている人は、あとで大変な思いをすることになるだろう。
(真理を捻じ曲げ、喧伝した度合いに比例して、より大きな反作用を受け、責任を負うことになるだろう)
一方で、信者は大丈夫かと言ったら、そうとは言い切れず、まちがった見解を偉そうにしゃべってる人は危うい。真理をねじまげて、それを正解と思って吹聴したら、ここにもやはりかなりの責任が発生するだろう。
わずか数人、数十人が読むだけであっても、そこに非常なる魂的な影響を与えた場合には、良い影響ならOKだけれども、悪い影響の場合は、その罪や重し、ということになると推定される。

したがって、なんでもかんでもオープンにするのがいいわけではないし、言葉選びや表現、情報アップは慎重にする必要がある。そこにも頭を使い配慮の心を持たないといけないと思っている。

軽い内容をかるーく書いてるレベルでは、大した問題も無いかもしれないが、重厚なテーマを真剣に問うてゆく場合には、そのテーマが本質的に重要なテーマであればあるほどに、軽薄な発言は、真理への冒涜となりかねない。
語る以上は真摯な探求と理解がなければならないし、軽々しい気持ちで、尊いテーマに触れてはならないだろう。

だから、よほどに慎重に発言しないといけないし、発言の前には、徹底した緻密な思考、自分の考えの吟味、言葉づかいの選び方など、注意すべきことは数多い。
この部分をなおざりにして、思ったことだからといって、気楽にすぐ書きまくっていいものではない、と私は思う。