2015年7月23日、木曜日。
私は自分の初めての「作品」を手にした。

10数枚の写真とちょびっとの言葉。それらが連なり束になって一冊の「作品」となった。5月の頭から数えて、約三ヶ月。自分を切り刻んで、血肉を晒して、ぎゅーぎゅーにしぼりきって残ったカスから生まれた「作品」。私の、処女作だ。

それは乙女の経血のようにどろりとしていて、私は思わず目を背けた。鼻をつく生臭いニオイさえ感じられるようだった。私はそのカスから生まれたものを見るのが痛かった。手に取ると指がちぎれそうだった。見ていると喉がカラカラに乾いて、泣きそうになった。息が詰まって苦しかった。床に投げつけたくなる衝動をグッと抑えて、でも私はそれを決して離さなかった。




「写真はあなたの生き方そのものだ。」

私に「作品」を作る機会を与えてくれた恩師S氏は言う。写真に嘘は通じない、自分自信がそのまま現れる、と。技術云々をあまり説かない授業の中で、「表現とは」の先にある「自分とは」を繰り返し、繰り返し、問い続けた。


私はこの三ヶ月の間に、「かっこいいもの」「それっぽいもの」「人に褒められるもの」から抜け出し、「自分」という設定から自由になることを課していた。他人の目ばかりを気にして疲弊している、かっこわるい自分を捨て去りたかった。駆け込み寺のごとく、私は写真にすがったのだ。


三ヶ月間で、だいぶいろんなものが削げ落とされて、身軽になっていくことは実感していた。「私は、抜け出せるのかもしれない。」そんな風に期待した。実際、そうなった部分はたくさんあるし、その点は本当に感謝している。


でも結局、「作品」として出来上がってきたものは、相も変わらず、相変わらずな「自分」のカスの塊だった。ふざけんなよ、かいりかこ。と心の中で叫んだ。だから、お前を捨てるために私はここにきたのに、手元に残ったのは、一番醜く、一番汚く卑しい、捨て去りたい「自分」だった。


「“かわいい”お前を捨てろよ。」

製作途中、S氏に何度も言われた言葉だ。そして完成した作品を見たあとの彼の第一声も同じだった。「かわいいお前を捨てろ。」


正直言うと、作ってる最中はこの言葉の意味がわからなかったんだ。べつに、花よ蝶よの写真を使っているわけでもないし、上目遣いの自撮り写真を使っているわけでもない。私は人と違うおもしろいものを作っている自負があったし、自分の作品が好きだった。どんなに周りにダメだしされても、落ち込んだり反省はするけれど、自分の生み出すもののおもしろさを信じていた。


しかし、7月23日の朝、「作品」を手にすることになる日の朝、ベッドで目が覚めたとき、私は私の初めての「作品」が嫌いだと思った。いらないと思った。見たくないと思った。なんとも言葉にし難いのだけれど、その日の夕方、自分の手にあるであろうものを私は愛せないと思った。作品データを見返したわけではない。直感として感じたのだ。私は私の「作品」を愛せない。なぜ唐突にそう感じたのか、それは、未だにわからない。


朝日の中、ふと降りてきた嫌悪感は、やはり絶対で、予感は外れることはなかった。最後の授業に集まった仲間の前で、私は冷や汗をびしょびしょにかきながら死刑台までの最後の数歩を歩くようにして、出来上がった「作品」を受けとった。人知れず小刻みに震えながら。


私たちは各々の作品を見せ合いながら完成までたどり着いた労をねぎらった。お互いの作品の感想を述べあい、苦労を分かち合った。「おもしろいね」「すごいね」といった好意的な感想をもらっても、私は笑顔の裏で泣いていた。他人に肯定されてなお、自分の嫌悪感が勝ることは人生において初めてだった。人に褒められればそれでいい、そんな風に思っていた私が、今はもう、他人の賛辞なんてどうでもよくて、ただただ、「作品」と「自分」を嫌悪し続けていた。



「キャッチーだね。」

私の「作品」を見て誰かがいった。それは決して好意的な感想ではなかった。私ははっとして、「自分」の嫌悪感の正体を知った。その言葉はとてもショックだったが、同時にとても心地よかった。そう、この「作品」はキャッチーだ。「自分」はキャッチーだ。私はキャッチーだ。そして、それだけ、だ。


なぜ、その写真がそこにあるのかをきっと私は考えていなかった。そこにあってほしかったから、置いたんだ。そこにあったら見栄えがいいから、おもしろいと思ったから、置いたんだ。それだけなんだ。意味なんて、ストーリーなんて、全て後付けだった。「メッセージ」なんて大それたもの、最初からなかった。なんかかっこいい写真を、綺麗におもしろく並べただけなんだ。それで、満足してたんだ。出来上がる、前までは。


「かわいいって思われたいのを捨てろ」

S氏の言葉の意味がやっとわかった気がした。やっぱり、私は痛い目をみないとわからない。そんな自分がつくづく嫌になるよ、まったく。私は、三ヶ月前と何も変わってなかったんだ。何も、おろせていなかったんだ。振り出しに戻ってきただけだった。ちょっと目を引く配置にして、トーンの暗い写真でアンダーぶって、「なんだこれ」って思わせるタイトルをつけて、人の気を惹こう惹こう、それにばっかり腐心している。もろ、だだ漏れじゃないか「自分」。まったく泣けてくる。


でも、痛いって悪い事ばかりじゃない。私は、大嫌いな「自分」をしっかり握り締めながらそう思った。うん、悪くない。どんなに強引にひっぺがそうとしても、離れていってくれないのなら、もう一緒に生きていくしかないじゃない。痛みを伴う気づきは、「もう逃げられない」という希望的な諦めを私にくれた。そのとき、私は初めて「自分」を肯定した気がする。苦しみながら見つけたこの答えを私は離さまいと必死だった。

もう、一緒に生きていくしかないじゃない



私の「作品」のテーマは、「肯定」

意図していたわけではないけれど、私の「作品」はとんでもなくドメスティックに「私」を肯定した。肯定させて、というべきか。


万人に何かを伝えるためではなく、この「作品」を作ることは、きっと私の私による私のための、必要な作業だったんだ。今は、そう思う。これからは、もっと他人に届くようなメッセージを込めた作品を作れるだろうか。まだまだ私小説を書き続けるだろうか。三ヶ月前までの私なら他人に伝わらないことにとても焦っただろうけど、今の私は違う。力むことなくはっきりと「どっちでもいいじゃん」と言える。とりあえず作り続けて、いつか「自分」を超えて何かを伝えられればいい。それまでは存分に「自分」にぶつけていけばいい。今はそんな風に思う。

そう、私の「作品」のテーマは、「肯定」 

私の、処女作だ。