仏教とは心を問題にする教え。だから、形だけ善に励んでいる人は心を見ていないから、どんなに善に励んだとしても、信仰が進むことはありません。
心を見なければ、正しい所に立つことができる。自分はこんなにも善に励んでいると思っておれます。
そして、善人という所に立って相手の悪を批判することができる。
でも、善人という所に立っている限り、本当のところは分からない。
自分が本当はどんなことを思っているのかということに気づくことなく、自分は善人というところに立って、どこどこまでも生きてゆくのです。
せっかく仏法を聞きながら、心を問題にしなければ勿体ない。何を聞いているのかということになってしまうのです。
でも、この心を問題にすることは難しい。それは都合が悪いからです。
そして、都合の悪い自分から逃げたまま時だけが過ぎてしまうのです。
どうしたら心が問題になるか、教えを伝えてゆく上で私の課題だなと思わずにおれません。