仏教で、求道が始まった時があります。それは頭ではこうしなけれぱならないと分かっていても、それを実践することができず、できない自分と向き合う時です。
私たちはできないことができるようになると進んでいるように感じますが、今までできている所に立っていた自分ができないことが見えてくると、信仰が後退しているように感じて辛くなる。
そして、今までの人生何をしてきたのかと考えると何をしてきたのだろうと感じて虚しくなります。
でも、できない自分が見えてきた時が本当の求道が始まった時。
思い通りにできなくても、そこと向き合い続けることによって色々なことが知らされてきます。
後退しているように感じて実は進んでいるのが、仏法の求道なのです。