求道が始まった時 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教で、求道が始まった時があります。それは頭ではこうしなけれぱならないと分かっていても、それを実践することができず、できない自分と向き合う時です。

私たちはできないことができるようになると進んでいるように感じますが、今までできている所に立っていた自分ができないことが見えてくると、信仰が後退しているように感じて辛くなる。

そして、今までの人生何をしてきたのかと考えると何をしてきたのだろうと感じて虚しくなります。

でも、できない自分が見えてきた時が本当の求道が始まった時。

思い通りにできなくても、そこと向き合い続けることによって色々なことが知らされてきます。

後退しているように感じて実は進んでいるのが、仏法の求道なのです。