仏教では、この世界のことを火宅と言われます。火宅とは火のついた家ということで、火のついた家の中にいるように不安に満ちた世界がこの世界だということです。
考えてみたら、よく話をすると一方的に話し続け、話が止まらないという人がいますが、それほど日頃自分を感じられなくて、自分を感じる為に話し続けていると思うと、不安なんだなと感じます。
人は自分が感じられないと不安になる。自分が存在しているのに、存在していないように感じて、自分を感じる為に自己主張を始める。
そして、話し始めると、相手のことなんてお構いなく話し続ける。まるでずっとご飯を食べられなかった人がやっとご飯を食べれたように、話し続ける。
相手が疲れていようと、もう見えない。
世の中にはそんな人がいっぱいいるように感じます。
人間は自分を感じる為に生きている。それはご飯を食べるようなもので、ご飯が食べられないと飢餓状態になるように、自分を感じられないと心の飢餓状態になる。
そして、精神的に普通ではおれなくなる。
それほど生きる為には自分を感じることが大切であり、その大切なことを忘れて、心の飢餓状態になる人が如何に多いかと感じます。
いつも自分を感じて、心に潤いのある生活をしたいものですね。