子どもを見ていると学校から帰ったら、スマホでYouTubeを見て、宿題をやって寝る。それを毎日繰り返しています。
毎日当たり前のように同じことを繰り返すことができると思って過ごしています。
私たちは未来のことを考えないと、毎日が安心で何も考えずに過ごしてしまいます。
でも、そんな子どもも今年受験が待っているとなると、同じような毎日を過ごすことができなくなります。
何も考えないで毎日を過ごしていたら、受験がやってくる。だから、いつも受験を考えながら、毎日を過ごさないといけなくなります。
このように私たちは未来を考えた時、何も考えずに過ごしていた毎日が確実にやってくる未来を意識して、残された時間を考えながら生きてゆくようになります。
でも、これは子どものことですが、大人になっても必ずやってくる確実な未来があります。それが死です。
人生の最後に死が待っている。そう意識した時、当たり前のように毎日を何も考えずに過ごすことができなくなる。
何をしたら満足できるか、何をしたら悔いなき人生になるのか、真剣に考えるようになります。
でも、多くの人は死を意識することがないから、人生の終わりが見えてくるまで、何も考えることなく安心して毎日を過ごすことしか考えていません。
それで死を意識したら、生きている間に何かを残したいと思って、間違った方向に進んでゆく。
結局、死を意識すると私たちはどうも死を否定するような生き方をしてしまうように感じます。
死んでゆく時には、何一つ持ってゆけるものはないのに、物を増やそうとしたり、思いを通したり、思い通りに振舞ったり、我を拡大する方向に進んでしまいます。
どんなに我を拡大しても、死ぬ時には、それは苦しみになるだけなのに、人間とは死が近づくと死を見ないようにしてしまうものなんだと思います。
本当に死を受け入れて、何をしたら悔いがないか、考えることは難しいことなのかも知れませんね。