仏法を求めることで大切なこと。それは自分の感情のアップダウンに関係なく自分で決めたことを続けることだと思います。
苦しみの深い人ほど、自分が嫌になったら簡単にやめてしまう。
やめてしまうから、苦しみに対して弱くなり、ちょっと苦しみでも激痛のように感じてしまうのです。
苦しみの感じ方は心の強さで決まる。だから、同じ苦しみだから、同じように感じる訳ではありません。
私の実感としては、人生が苦しいと思う人ほど、当たり前のことをやったり、やらなかったり、続けることができていません。
たとえ続けていたとしても、我慢してやっているだけで、自分の中で仕方ないと切り替えることができていません。
我慢するから、こんなに我慢してやっているとなる。だから、自分の苦しみを他人のせいにして前向きに取り組むことができません。
続けている人は、続けていれば、嫌な時もある。その時、嫌だ嫌だと思っていても仕方ないので、諦めて、仕方ない、やるかと心を切り替えて、取り組むことをしている。
続けているものがない人は心を切り替えることができず、我慢してしまう。我慢するから、他人のせいで苦しんでいるように思ってしまう。
とても苦しみの原因を自分に求める仏法は聞けない。
だから、仏法も自分にとって都合の良いことしか聞けなくなってしまうのです。