分別心とは、世界を善人と悪人に分けて、善人は大事にされる人で悪人は責めてもいい人に分ける。
そして、自分をいつも善人の側に立たせて、悪人を見ては否定する。
悪人を否定するから、善人の側から落ちて、悪人になることが認められない。
なぜなら悪人になると、今まで悪人に対して思っていたことが自分へと跳ね返ってくるからです。
だから、何かのことで自分のことを悪人だと思うと、途端に不安になって、誰か悪人を探し、その人を責めることで、自分は善人なんだと落ち着こうとする。
でも、自分を善人にする為に悪人を責めたことで、また悪人になると責められているように感じて苦しむ。
そして、この苦しみの輪をグルグルと回り続けるのです。
人は悪人だからといって責めていい訳ではない。
どんなに悪い人でも、その人を責めることは自分を責めるのと同じ。
自分が苦しむことになるのです。