ギブアンドテイクは仏教じゃない | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

ギブアンドテイクは仏教じゃない。

仏教はまずテイクから始まる。

その頂いたものを大事に使い、頂くことでできた時間を大事にする。

例えば、政治家ならば、私たちの税金で生きている人。

その時、思うことは仕事をするから、その対価としてお金を貰うのではなく、頂いたお金に国民の期待がある。

ちゃんと仕事をして、国民のため、世の中のために働いて欲しいという願いがある。

そんな願いのこもったお金なんだと思って、その期待に応えるように一生懸命働く。

そうしたならば、その姿を見て、国民はこの人にお金を使ってもらいたいと思うようになる。

頂いたお金は自分のものじゃない。

自由に使っていいお金じゃない。

国民の期待が収まったお金なんだと思って、その期待を受けるのに相応しい生き方ができるように一生懸命働く。

まず受ける。

そして、その後、その期待に応えるように頑張る。

頑張るから、その姿を見て、また与えたくなる。

この人にお金を使ってもらいたいと思うような人間にならなければならない。

期待に応える。

もらったお金には、期待という願いがこもっている。

そう思って、自分の生き方を変えてゆく。

それが受け取るものの当たり前なんだと思いました。