阿弥陀仏はどんな極悪人も見捨てない。
だから、私もどんなに自分の理想としている自分とは違っていたとしても、見捨てられることはありません。
でも、それを聞いても、私たちは阿弥陀仏のことをなかなか信じることができず、自分の中に醜い部分があるから見捨てられるのではないかと思ってしまう。
これが疑情。
この疑情を晴らすことが、私たちの人生の目的であり、幸せになる為に必要なことなのです。
その為には、まず自分が他人の悪を見ても見捨てないこと。
同じ人間として扱うことが大切です。
自分が見捨てられないと思いたいからこそ、相手を見捨てない。
見捨てないことによって、自分も見捨てられないと思えるようになり、自分の中にある悪も許せるようになるのです。