人生はどれだけ思いを通せるか、それで幸福度が決まると言ってもいいです。
しかし、多くの人は思いを通す為に、自分が上に立とうとする。その為に思いを通す相手を見下してしまう。そうすると、相手を見下したことで、それが唯識に跳ね返り、世界から見下されたように感じて、どんなに思いを通しても満足できなくなります。
それは見下されたと感じることで無力な存在だと感じるから。だから、どんなに思いを通しても自分には力があると思えず、力があると感じる為に、もっと思いを通さないといけないと思ってしまうのです。
思いを通すということは、自分が上に立って通すのではありません。思いを通す為に頭を下げて通してゆくのです。頭を下げることは、自分のプライドが傷つきます。しかし、自分のちっぽけなプライドよりも思いを通すことが大事だから、頭を下げてでも思いを通してゆくのです。
頭を下げるのは、始めは苦しい。でも、頭を下げ続けてゆくと、自分が上で、相手は下だという気持ちが弱くなる。それと同時に、見下されているのではないかという不安もなくなり、穏やかな心になります。そして、思いを通すことで幸せも感じることができます。
頭を下げれば思いを通せることは多い。思いを通したかったら、偉くなることよりも、頭を下げた方が断然いい。
人生幸せになる為にはどれだけ思いを通すことができるかで決まる。それはどれだけ思いを通すために頭を下げることができるかで決まるのですね。