煩悩 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

煩悩とは、価値のあるものと価値のないものを作り出し、価値のあるものに立てば幸せになれると思う心。この心から負けたくない、馬鹿にされたくないという勝他の心、価値のある人間だと証明して認めてもらいたいという名聞の心、価値のあるものを手に入れて得したいという利養の心を生み出す。だから、一般的には、煩悩とは、勝他、名聞、利養の心のことをいう。また、勝他、名聞、利養の心から価値のあるものに執着し貪ることを貪欲といい、馬鹿にされて、まるで価値のないものだと言われているように感じて腹を立てることを瞋恚と言います。また、正しいものは価値のあるものだと思って、自分の間違いを認めることは否定されているように感じて、自分の間違いを認めようとせず、自分の正義を押し通すことを愚痴と言います。この貪欲、瞋恚、愚痴も煩悩と言われます。なぜ煩悩と言われるのかと言えば、この三つの心は価値にとらわれるからです。価値のあるものを手に入れたら価値のある人間になれると思って、価値のあるものに執着(貪欲)し、自分の価値を否定されたと感じて腹を立て(瞋恚)、自分の間違いを認めることができない(愚痴)を生み出してゆきます。多くの人は生きる目的は煩悩を満たすことです。つまり、価値のあるものを手に入れて価値のある人間になることです。ブランド品が欲しいと思うのも、ブランド品には価値があり、ブランド品を手に入れたら、自分も価値のある人間だと見られると思うからです。しかし、価値のあるものに立とうとするほど、自分の中に価値のないものを生み出し、価値を失った時に、惨めに感じ苦しまなければなりません。また、価値を手に入れても、手に入れた価値は無常のものだから、今度は価値を失って価値のない人間になるのではないかと不安になります。オリンピックで金メダルを取っても、次も金メダルを取らなければ、価値のある自分だという所に立つことはできません。人の真似のできないような成果をあげた人ほど、手に入れた価値を失わないように苦しまなければなりませんし、価値を失った時に苦しみます。価値のある人間になりたいと思う限り、価値があってもなくても苦しまなければならない。つまり、煩悩がある限り、私たちは苦しまなければならないのです。多くの人は煩悩を満たすことが幸せだと思っています。しかし、それは無常によって価値を失い、惨めな思いをしなければならないことを知らない間だけです。価値のあるものを手に入れて高い所に登って優越感を味わうほど、価値を失った現実を受け入れることができず、現実の自分を惨めだと感じて苦しむことになるのです。