有情の邪見熾盛にて 叢林棘刺のごとくなり 念仏の信者を疑謗して 破壊瞋毒さかりなり
人々は自分が正しいという気持ちが頑として強く、正しい所に立って相手を否定する心が強いので、それはまるで草むらや茨のようである。だから、自分の悪を許してゆく念仏の人に対して、悪を許していいのかと疑い謗り、その人の考えを壊して怒りをぶつけてゆくのである。
邪見とは、自分は間違っていないといつも正しい所に立つ心。私たちは他人の間違いを徹底的に否定するから、自分の間違いを認めることができない。だから、自分の悪を許してゆく念仏の教えに対して、どうしても悪を許すことができず、怒りを起こし責めずにはおれなくなるのです。