昨日は月に一度の神戸での勉強会。

月よみ師®養成講座に通っています。

 

毎回復習テストがあるのですが、

いつもどこかしら勉強し忘れている箇所があり、

情けないです(^-^;

 

昨日のテーマは、人間関係の相性。

「宿曜」をもとに読み解きます。

一見月とは関係ないようですが、
「宿曜経」はインドから中国に渡り、

空海が日本に持ち帰った密教の経典で、

占術として使われてきました。

月の位置を27の宿として位置づけ、

人間関係や相性、未来予測などに用います。

 

ワークで身近な人達の宿曜を調べ、

自分との関係を読み解くのですが、

その的中率に、改めて驚かされました。

そしてその読み解きをもとに

「人間関係を機能させる」ということが目標。

私は「主人をほめる」ことを宣言してきました。

ちょっと苦手意識がある部分だけれど、

実は一番必要だということも、

よくわかっているんですよねてへぺろ

 

月のリズムを生活に活かすことも、

人間関係をデザインしていくことも、

まずは自分から実践していきます。

 

昨日のランチ。チーズケーキも美味しかったラブラブ

 




 

 

 

 

 昨日は傾聴の勉強会でした。

「聴く」練習の時に出てきたのが、「共感」と「同感」の違い。

傾聴する時は自分と相手をきちんと分けて、

かつ「共感」することが大切。

でも私はつい「同感」になっちゃって、

相手の話を自分軸で聞いてしまってた。

意識していないとなかなか難しいかも(^-^;

まだまだ修行中です。

 

 話す方では、自分のモヤモヤしていた気持ちを聴いてもらって、

どんな気持ちがモヤモヤの原因なのかが観えました。

先日仲間で企画したイベントが、私にとっては不完全燃焼に終わってしまって、少し気持ちがなえていたけれど、

自分を客観視することで、次への意欲も出てきました。

 

「聴く」練習は、自分のココロの整理にも役立ちます。

 

 

さて、明日は月に一度の神戸での「月よみ講座」です。

明日はかに座の新月。

愛情あふれる月よみ師になるべく精進します。

 

 

  少しご無沙汰しました。

本日は夏至ですね。言わずと知れた昼間の時間が一番長い日。

なのに今日に限って全国的に雨。

梅雨前線の活発化、というより、低気圧の影響とのこと。

昨夜あたりから各地で大雨のようです。

農作物や水源にとっては恵みの雨でもありますが、

被害がないことを祈ります。

 

 さて、夏至を境に気のエネルギーは陰に向かいます。

この時期に体調の変化を感じていませんか?

私個人的には、夏至よりも日盤(ひばん)切替の日の方がきついです。

日盤というのは気学でいうホロスコープのようなもの。

夏至に最も近い甲子(きのえ ね)の日、と決められています。

この日から陽から陰へ、という切り替え時期なので、

身をよじられるような体感の年もありました。

梅雨時期ですので、身体も夏仕様にうまく切り替えたいですね。

この時期大好きなくちなしの花。

今年もいい香りを届けてくれています。

 

今日から太陽星座はかに座。

今週土曜日24日は、月もかに座で新月を迎えます。

新月の願いは、愛にあふれたものをラブラブ

 

 

 

 今朝午前4時44分ころ、新月を迎えました。

今回の新月は、月が地球に最接近するということで、

その影響もかなり大きいようです。

 

新月には願いを。

新月から上弦の月まではイメージの期間。

またパーソナルスペースを大切にする期間でもあります。

 

加えて気学的には、本日三合がそろう日。

説明は省きますが、なにかを始めるにはとても良い日です。

スーパー新月と三合が揃うなんてめったにない大チャンス。

でも残念ながら私個人的には、

環境の星があまりよくない場所に位置しているので、

あえてなにかを始めても邪魔されそう。

 

でもせっかくのチャンスなので、

来月に控えているふたつのイベントの成功を、

しっかりとイメージしようと思っています。

 

ひとつはこちら。

ワイヤーアートのアクセサリーをイベントで出品します。

はじめてのイベント参加なので、ちょっと緊張してますが、

楽しめるといいな!

 

 

 傾聴ワークで、私には生きる上での価値観がないのか、

という点を聴いてもらったんだけれど、

ちょっと重すぎて深すぎて、答えは出なかった。

でも、かなり気持ちの整理はしてもらえた。

 

 私はたぶん、独特の死生観をもっているんだろうと思う。

幼少期の入院では「死」はすぐそばにあったし、

身近な人が亡くなった時に

「死」はなんて絶対的なものなんだろうと、感情が止まったように感じた。

だから、できるだけ人の心を乱すことなく、逝きたいと、

死ぬ、というより、できればいつのまにか消えたい、と思ってる。

 

自分は生かされている、と知っているけど、

同時に、今私は自分の意志で生きているんだ、と思ってる。

死ぬことは少しも怖くないし、いつ死んでも構わないと思ってる。

 

 

 

 傾聴の先生が書いてくれたメモを、家に帰って読み返しながら、

少しづつ、気持ちを整理してみた。

そうしてまず出てきたのは、

あの質問で人生の価値観がわかる、ってほんと?ということ。

答えが出てこない私はおかしいわけじゃない。

人生を投げやりに生きているわけでもなく、

むしろ生きることが好き。

答えが出なきゃいけない、って思いこんでたかな。

 

それから、

もしかしたら人の評価は必要ないのかな?ということ。

誰かのために生きているわけじゃないから、

死んだ後に、どんなことを言われたいかとか、

私にとっては、意味のないことのようで。

(もちろん、悪くは思われたくないけどね(^-^;)

 

そして最後に気づいたことは、

私にとって大切なのは「生きる」ことそのもなんだ、ということ。

生きるために生きている。生きている実感を味わうために生きている。

とても観念的だけれど、それがわかった時に自然と涙があふれてきた。

 

だから、私が死んだあと、

私はきっと、みんなにこう言ってもらいたいんだ。

  「ああ、生きてたんだね」って。