(これは基本のきのお話しです。
メソッド(方法論)ではありませんので
あしからず。)
心を整えようとしても整わないのは、
整え方がわるいのじゃあない。
心を整えよう、とすること
それ自体がよろしくない。
即ち今、貴公に訊く。
あなたが整えようとしている
その「心」とは何か?
(心が)有るか無いかと訊かれたら
みな「(心は)有る」と答えるでしょう。
しかし、あるはずのそれが「何なのか」と
訊かれると、途端に閉口してしまう。
しどろもどろしてしまう。
何だか正体がわからん、
実は得体のしれないもの、
それをどうして自力で整えられよう。
実は、整えようとして整うのではなく、
余計なことをしなければ、
“おのずと”整うものなのでは?
そうでなくして、
なぜ心(感情)は波立つものか。
「波立つ」ということは、
一つ一つの波が生じるだけではなく、
知らず知らず止んでいるはずでしょう。
われわれ人間、生じるのは感じやすいが、
止む(滅する)のは感じにくいもの。
しかし、たしかに
生じたものはみないずれ止む(滅する)。
いわゆる盛者必衰、諸行無常の理か。
心の波はなぜ止むのか。
どのようにして止むのか。
まさに理※のままに、であります。
(※自然のはたらきほどの意。)
気づいてすらいないからこそ、
それが有るとも思わぬうちに
おのずとおさまっているのです。
そわか合掌