前回、孔子さまの時代や殷周の革命期の戦争や武術について書きました。
殷(商)の時代より前の夏王朝は歴史的な考証がまだ不完全だそうで、実質これが中国のもっとも古い時代の武術だということが出来ると思います。
そのころからすでに戦車と弓、そして一部の物には剣があったのだからすごいことです。
もっとも剣というのは青銅器の棒を平打ちにしたもので、先が尖っていて突けるだけで切断力はなかったと想定されます。
その後、刃をつけた刀という兵器が発明されて、そこから剣でも切るようになったのでしょうが、現在でも刀は切る(殴る)物、剣は突く物、という定石があるのはこのころの文脈を継ぐものなのでしょう。
両者の機能をミックスした兵器もありますが、やはり特殊兵器と言われているのを聴きました。
上にあげた三つの他に使われていた攻撃方法として、呪詛があるということを前に書きましたね。
戦車隊の前に巫女の舞台が立ち並んで、相手を呪詛していたのです。当然、彼女たちは軍が衝突したときに真っ先に矢や剣の餌食になります。
そのくらいに古代では呪いの力が強くあると思われていたのですね。
まだ医学も発展していなかったころなので、軽い傷を負っても治るか死ぬかも極めて不確定なころです。神頼みなのは当然ですね。なにせ紀元前1000年よりも前のころですから。
このころの戦をモチーフにした封神演義で、仙人や呪術師が陣を組んで術を掛けあうという戦争シーンが続くのは、このような出来事を下敷きにしているのでしょう。
彼らが殺しあってほぼ全滅して地上からいなくなったというのが封神演義の内容なのですが、これはシャーマニズム主体の戦争が物理的なぶつかりあいに変わっていったということでもあるのかもしれません。
いわゆる四大兵器が生まれて以降の世界でも、剣や弓は魔除けの効果のある神聖な武器であるという信仰があります。
これはこの、シャーマン戦争の時代に実際に群れを成して呪詛を掛けてくる巫女部隊を打ち倒してきたという事実に基づいているのではないでしょうか。
孔子様の六芸というのもみな儒教という宗教における儀式に通じるもので、書は呪に繋がり、計算は易占に通じ、音楽は祈祷そのものとなります。
宗教性と戦は根底で繋がっている訳です。
これは第二次世界大戦まででもそうですし、また湾岸戦争以降でも取り方によってはそう言えます。アメリカの中東軍事介入をバカげた十字軍だと表現する人は多く目にしたように記憶しています。
こういった前提の上で、中国武術は仏教の伝来と道教の成立を経て、武術を宗教の行に高めました。
李白についての記録を読むと、すでに唐の時代において仙人になりたくて武術の稽古をするという修行道士の記述があります。
同様に少林寺では禅の一環として少林拳が行われていました。
決して即物的な戦闘手法として発展してきたわけではないのです。
だからこそ、敵を倒すことではなくて自分を育むことが主題となっているのです。
この文明と戦争、思想の歴史が理解できてくるとこないでは、武術というものの見え方はまるで変ってくると思われるところです。
これを伝えられないなら、中国武術の師父としてはいささか問題があるように思われます。