イタリア映画 「夜(1961)」 ベルリン国際映画祭金熊賞受賞のアントニオーニ監督の代表作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「夜(1961)」

(原題:La notte

 

夜 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

 

「夜(1961)」 全編

 

1961年1月24日公開。

ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛三部作」の2作目。

マルチェロ・マストロヤンニ、ジャンヌ・モロー、モニカ・ヴィッティの共演。

 

 

受賞歴:

  • ベルリン国際映画祭金熊賞:ミケランジェロ・アントニオーニ
  • ダヴィッド・ディ・ドナテッロ監督賞:ミケランジェロ・アントニオーニ
  • ナストロ・ダルジェント最優秀作品監督賞:ミケランジェロ・アントニオーニ
  • ナストロ・ダルジェント助演女優賞:モニカ・ヴィッティ
  • ナストロ・ダルジェント作曲賞:ジョルジオ・ガスリーニ
  • フィンランド・ユッシ賞海外女優賞:ジャンヌ・モロー

 

脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ、エンニオ・フライアーノ、トニーノ・グエッラ

監督:ミケランジェロ・アントニオーニ

 

キャスト:

  • ジョヴァンニ・ポンターノ:マルチェロ・マストロヤンニ
  • リディア:ジャンヌ・モロー
  • ヴァレンティーナ・ゲラルディーニ:モニカ・ヴィッティ
  • トマソ・ガラーニ:ベルンハルト・ヴィッキ

 

映画『夜 (1961/ミケランジェロ・アントニオーニ)』のキャスト・出演者情報と感想&備忘録

 

あらすじ:

ある日の午後、作家のジョヴァンニ(マルチェロ・マストロヤンニ)と妻リディア(ジャンヌ・モロー)は、病床の友人トマゾを見舞った。

トマゾの病気は回復の見込みがないトマゾはジョヴァンニの親友である。

だが、リディアにとっても親しい間柄だった。

以前トマゾはリディアを愛していたが、彼女はすでにジョヴァンニを愛し結婚していた。

彼女は作家夫人として何不自由のない毎日を送っていたが、その生活に得体の知れぬ不安が徐々に広がっていった。

結婚前二人を結びつけたはずの愛を見失ったと感じたとき、彼女の心にポッカリと一つの空洞があいた……。

二人の乗った車は近代的なミラノの街をゆく。

自動車は美しい建物の前で止る。

そこでジョヴァンニのサイン会が行われるのだ。

リディアはひとりミラノの街を歩いた。

幾何学的な白いコンクリートの直線。

郊外のうらさびしい家並み。

その荒涼とした風景は彼女の心をそのまま映しているようだった。

その夜、二人はゲラルディニのパーティーへ行った。

会場でジョヴァンニは、ゲラルディニの娘バレンチナ(モニカ・ヴィッティ)に魅了された。

彼の視線はたえず彼女を追った。一方リディアは病院へ電話しトマゾの死を知った。

胸中で何かが音をたててくずれ落ちた。

ポーチの隅で夫とバレンチナが接吻しているのを見ても、何の感情もわかなかった。

朝になった。

夜を別々に過ごした夫と妻に夜は何ももたらしはしなかった。

二人は邸の広漠とした庭の一隅に座った。

「トマゾが死んだわ」リディアはポツリと言った。

それからトマゾと自分のことを……そして、結婚当時ジョヴァンニの書いた一通の手紙を読んだ。

その愛はどこへいったのか。

二人の間には冷々とした空間があるだけだ。

ジョヴァンニは愛をとり戻そうとするかのようにリディアを激しく抱いた。

リディアは、あえいで言った。

「愛してないと言って……」「いや言わん」

男と女の空虚な試みが続けられる。

そして、今日もまた夜は明けていくのだった。

 

映画『夜』(1961年 イタリア) | 飛行機雲のブログ

 

コメント:

 

ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したミケランジェロ・アントニオーニ監督の代表作である。

フランスから名女優・ジャンヌ・モローを招いて撮った名作である。

 

結婚して10年になる流行作家のジョバンニと妻のリディアは、病床で死の淵にあるトマゾを見舞う。

トマゾはジョバンニの親友で、かつてリディアに好意を寄せていたが、リディアはジョバンニを選んだ。

何不自由ない日々を送るリディアだが、夫婦を結ぶ愛が見えず、得体の知れない不安と心に空洞が開いたような虚無感を抱いている。 

 

男と女の微妙な心の動きを描いている名作である。

 

一日の話である。夜だけではない。
ストーリーは淡々と流れるようにみえる。

だが色々と伏線になっているので、最後まで見ないとよくわからない。
間が多いのだがマストロヤンニとジャンヌモローが良い雰囲気を醸し出している。

後半の夜の場面のジャズのバックもなかなか良い。

この映画のモニカベッティは、独特の美しさを見せている。
ミケランジェロアントニオーニらしい乾燥した空しさが溢れるユニークなラブ・ストーリーである。

 

1960年というと、まだ戦後15年ほどだが、ドイツや日本ほど戦禍の跡が残っていない印象で、むしろ本作の舞台のミラノの新しい経済発展の様子が近代的な高層ビルや自動車の交通渋滞から伺われる。
また後半富豪のパーテイの様子から、伝統的でありながら現代的な大きい邸宅やジャズの生バンドにずっと演奏させる余裕と奔放さが伝わる。

第二次大戦からは完全に復興したイタリアを描いている。


本作はこの時代的な舞台装置を配して、男女の心理的なすれ違い、時間の経過とともに生まれる倦怠をスタイリッシュに描く。
夜通しのパーテイが朝になって夫婦(マストロヤンニとモロー)が家路につこうと共に歩むシーンのカッコよさ。

夫婦の共通する友人が末期がんで、2人で見舞いに行くが、妻はかつて自分を愛してくれた友人をずっと見ていられない。

それに対して夫は平然と友人の病床に長居し、挙句に友人の病床と同じフロアにいたちょっと頭のイカレタ女が彼を誘惑してきたことをべらべら話し出す神経が彼女には信じられない。
このことは最後の夫婦の会話で、あなたは本当に彼の親友なのかと問い質すことからもわかる。
夫は作家で、サイン会が開催され、ちやほやされるが、妻は昔行ったことのある未だに復興していない場所に行って、家に帰った夫を迎えに来てと呼び出す。
迎えに行く彼には、彼女が経験したことに何の興味も感じない。
前半どこかすれ違う夫婦の溝が後半はっきりしていく。
夫は流行作家としてファンの女性にまとわりつかれたり、富豪の若い娘(ヴィッティ)の魅力と誘惑に翻弄され、本人が見られていることを知らぬまにキスするところを妻に見られてしまう。
妻は、その反動で若くイケメンの男に誘われ、雨の中ドライブするが、最後までには至らない。

妻としての矜持か?
見せ場は、娘の部屋であわやそうなろうと寸前で女2人が交わす言葉の緊張感。

決して修羅場にはならない大人の抑制のきいたシーン。
そして夫の俗物丸出しなスケベ根性が妻の冷静な態度で目を覚ます。

おそらくチャンスがあればまたやるだろう。
そして家路に帰るシーンで併設されたゴルフ場を散歩する2人が会話をする中で、夫が富豪から経営する会社に入ることを誘われたことを話し、断るつもりだという。

彼は富豪との関係を断ることで娘との関係を遠回しに切ることを示唆しているのかもしれないが、妻は就職すればと言う。
彼女はもう別れることを決めているので、彼の言い訳を今更聞くまでもないし、経済的に潤うならそうすることを勧めている。

これは彼が経済的に彼女の資産に助けられてきたことの裏返しだろう。
彼女は彼に友人の死を伝え、彼の自分に対する思いを話し、夫との求愛が併存した中で夫を選んだ理由を話す。
さらに妻は彼女に対する思いを書いた手紙を彼に読み聞かせる。
彼はその手紙が誰が書いたのか彼女に尋ねる。
実は昔夫その人が妻にあててT書いた恋文だったのだ。
彼はそれを忘れていたが、その事実を知ると急に情熱が蘇ったように彼女にキスし求める。
ここでエンディングとなるが、彼らが元の鞘に納まるか、離別するかはわからない。
どちらもありうる。

ただイニシアチブは彼女にあるのは間違いない。

 

この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。