フランス映画200選 第131作 「野生の少年」 トリュフォー監督の感動作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「野生の少年」

(原題:L'Enfant sauvage)

 

フランソワ·トリュフォー 「野生の少年」(1970) | It's not about the ski  遅れて来た天才スキーヤー???、時々駄洒落(笑)、毎日ビール!(爆)

 

「野生の少年」プレビュー

 

1970年2月25日公開。

フランスで発見された「野生の少年」を人間に戻そうとする感動作。

 

脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン・グリュオー

監督:フランソワ・トリュフォー

 

キャスト:

  • ヴィクトール(アヴェロンの野生児):ジャン=ピエール・カルゴル
  • ジャン・イタール:フランソワ・トリュフォー
  • フィリップ・ピネル:ジャン・ダステ
  • ゲラン夫人:フランソワーズ・セニエ
  • レミー:ポール・ヴィレ
  • 聾唖学院の看護人:ピエール・ファーブル
  • レムリ氏:クロード・ミレール
  • レムリ夫人:アニー・ミレール
  • 赤ん坊:ナタン・ミレール

 

人生論的映画評論: 野性の少年('69) フランソワ・トリュフォー

 

あらすじ:

フランスの森林地帯アヴェロンで、獣の習性をもった野性の少年が捕えられた。

百姓たちはその処置に困ったが、ひとり、レミー老人(P・ビレ)だけが、この野性児に愛情ある接し方をした。

やがて、少年はパリの聾唖者研究所に、研究のため引き取られた。

そこのイタール博士(F・トリュフォー)と上役のピネル教授(J・ダステ)が少年を検査した結果、彼は赤ん坊の時、両親に喉を切られ、死んだと思って森に捨てられたということが判明した。

この傷によって、少年は十二歳位だと判断された。

少年は世間の関心を集め、見世物にされたり、悪戯されたりした。

その興味が薄れた時、少年はもっと悲惨に扱われた。

これをみかねたイタールは、少年の白痴的症状は、人間文化の不足によるものだとして、自分の家に引き取って、自説を証明しようとする。

ビクトル(J・P・カルゴル)と名づけられた少年は、その日から、人間になるための困難な道を歩みはじめた。

イタールはその過程を、克明に記録していった。

それは人間味あふれる闘いであり、感情のコミュニケーションであった。

家政婦のゲラン夫人(F・セニエ)も、やさしい心で少年に接し、協力した。

少年の感性は、目覚めつつあった。

初めて涙をながし、初めて「ミルク」と言った。

そして、不当に罰せられると、反抗するようになった。

これは大きな進歩であった。

イタールは喜びのあまり叫んだ。「君はもう人間だ」。

しかし、イタールにも失意の日はあった。

絶望的になり、自分のしていることの意味がわからなくなることもあった。

そして、ついにある日、ビクトルが逃亡した。

だが、人間的感情を身につけてしまった少年には、一人ぼっちで自然にいることは耐えられなかった。

みじめな様子でもどってきた少年を見て、イタールは自分の行ってきたことの成果をこんどこそ確信した。

その時から、また彼とビクトルの新たなる勉強が、始まったのだった。

 

野性の少年 : 作品情報 - 映画.com

 

コメント:

 

原題の「L'Enfant sauvage」は「未開の子ども」という意味。

日本語タイトルと同じ。

 

この映画は、実話に基づくもので、「アヴェロンの野生児」を映画化したものである。

 

「アヴェロンの野生児」とは、1797年頃に南フランスで発見され、捕獲された少年(野生児)。

南フランスのカンヌ(映画祭で有名)の森・アヴェロンで1799年、完全な裸体で、粗暴極まりない状態で発見された子どもで、当時11歳、もしくは12歳くらいと推定された。

その子のその後のドラマチックな運命は、当時世間の大きな関心の的だった。

 

野生の少年 | Untitled

 

発見当時は完全に人間らしさを失っており、軍医だったジャン・イタールによって正常な人間に戻すための教育が行われた。

5年間にわたる教育の結果、感覚機能の回復などいくつかの改善はみられたものの、完全に回復することはできなかった。

詳細は、イタールが書き残した著作でよく知ることが出来る。

 

映画は、イタールのアヴェロンの野生児の記録をもとにフランソワ・トリュフォーによって制作された。

イタール博士をトリュフォー自身が演じている。

「俳優としての利害を忘れて、何よりも子どもを大切にできる人」というのがイタール博士を演じる俳優の条件だったのだが、適役がいなかったので自分でやることにしたという。

冒頭でジャン=ピエール・レオ(トリュフォーの代表作『大人は判ってくれない』の主人公を演じた俳優)への献辞がある。

そのことから分かるように、本作はある意味でトリュフォーの自伝的作品でもある。

登場人物の生徒と教育者には、かつての自分と恩師のアンドレ・バザンの姿が重ねられている。

 

この映画にヴィヴァルディ作曲のピッコロ協奏曲第2楽章を選んだことは賞賛に値する。

もの哀しいメロデーがこの映画の情景にぴったりだ。

 

 

 

 

後のトリュフォー映画でも使用される「アイリス」の技法(絞りを使ったクローズアップ)が本作では多用されている。

アネット・インスドーフは『フランソワ・トリュフォー、彼の人生の映画たち』のなかで、アイリス・イン(暗→明)は発展や進歩や希望、アイリス・アウト(明→暗)は停滞や曖昧さやペシミズムを表現すると分析している。

 

ネストール・アルメンドロス撮影技法、解説あり④⭐『野生の少年』フランソワ・トリュフォー監督作品🌉 : Canaco Almendros

 

スティーヴン・スピルバーグ監督は本作に感銘を受けて、『未知との遭遇』のフランス人科学者役をトリュフォーに頼んだ。

ラストシーンにその影響がみられる。

 

戸田奈津子が最初に映画字幕の翻訳を担当した映画だった。

 

この映画は、米国大手映画評価サイトRotten Tomatoesでの評価は100点になっている。

 

人間とは何かを再発見できる感動の物語になっているトリュフォー渾身の名作である。