高峰秀子の映画 「妻として女として」 長年愛人だった女性と正妻との一騎打ちを描くコメディ! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「妻として女として」

 

 

1961年5月30日公開。

高峰秀子と淡島千景の全面戦争を描く異色作。

 

脚本:井手俊郎、松山善三

監督:成瀬巳喜男

 

キャスト:

  • 西垣三保(にしがき みほ) - 高峰秀子: 銀座のバー「カトリーヌ」のマダム。38歳。
  • 西垣志野(にしがき しの) - 飯田蝶子: 三保の祖母。元売れっ子芸者。三保と2人暮らし。
  • 河野圭次郎(こうの けいじろう) - 森雅之: 大学講師。結婚24年だが戦争中から三保と愛人関係を続けている。
  • 河野綾子(こうの あやこ) - 淡島千景: 圭次郎の妻。三保の店のオーナー。結婚前の19歳の時に大病で子供の産めない身体に。
  • 河野弘子(こうの ひろこ) - 星由里子: 圭次郎の娘。18歳。大学生。三保が生み、綾子が自分の子として育てた。
  • 河野進(こうの すすむ) - 大沢健三郎: 圭次郎の息子。中学生。三保が生み、綾子が自分の子として育てた。
  • 南(みなみ) - 仲代達矢: 三保のなじみ客。
  • ルリ子(るりこ) - 水野久美: 三保の店のホステス。綾子に三保の行状を逐一報告。
  • 福子(ふくこ) - 淡路恵子: 三保の友人。大会社社長の「二号さん」として貰い受けた家で料亭を営む。
  • 花枝(はなえ) - 丹阿弥谷津子: 三保の友人。旅館の女将。
  • 古谷淑子(ふるや としこ) - 中北千枝子: 綾子の唯一の身内で相談相手。シングルマザー。
  • 古谷高志(ふるや たかし) - 坂下文夫: 淑子の息子。昆虫採集が趣味。
  • トシ坊(としぼう) - 関千恵子: 三保の友人。妾から本妻に。
  • 京子(きょうこ) - 藤間紫: 三保の友人。2軒の美容院を経営。
  • 楠原(くすはら) - 十朱久雄: 大会社社長。福子のパトロン。
  • 木村(きむら) - 中村伸郎: 三保の店の常連客。
  • 峰(みね) - 賀原夏子: 河野家の家政婦。
 
 
あらすじ:
綾子(淡島千景)は大学講師の河野圭次郎(森雅之)と結婚して二十四年。
今度大学に入った弘子(星由里子)、中学生の進(大沢健三)と二人の子がある。
だが、河野には十数年も続いている愛人・三保(高峰秀子)がいた。
彼女は銀座のバー「カトリーヌ」のマダムである。
河野につくし、売上げから名儀人の綾子に毎月十万円ずつ払っている。
なじみ客の南(仲代達矢)に「奥さんと二号が仲よくしてるなん薄気味悪いや」と言われた。
伊豆山に行った時、河野は教え子に顔を見られてうろたえた。
三保は悲しかった。
東京へ戻った三保は、酔って南のアパートまで行ったが、いざとなると踏みきれず逃げて帰った。
久しぶりで河野が三保の家を訪れた時、彼女は泊っていくようせがんだが、彼は躊躇した。
三保は別れるより仕方がないと決心した。
綾子に金か店かどちらか貰う権利があると言った。
だが、綾子は「被害者は妻の方よ」といってはねつけた。
お腹を痛めた子を返して貰う。
手段はこれしかないと三保は思った。
三保は学校から帰る進を待って喫茶店へ、後楽園へと連れて遊んだ。
しかし、母親であるとは打ち明けられなかった。
進は三保の友達の福子(淡路恵子)からその秘密を聞かされた。
進から二人の母が三保であることを聞かされ呆然とする弘子。
実は、綾子は嫁に来る前から子供のできない体だったのだ。
弘子と進は表へ飛びだした。
三保は「カトリーヌ」から去った。
四十にもなって女がジタバタして五十万円、三保はくやしかった。
女子寮に入った弘子のところには、家に帰ってもつまらない進が来て帰ろうとしない。
校庭の樹に蝉が鳴きはじめる頃であった。
 
 
コメント:
 
ありえないストーリーで終始笑える。
ある幸せそうな夫妻と、娘一人、息子一人の、四人家族。
そして、夫が長年付き合っている女性というか、愛人。
それが、ふたを開けてみれば、二人の子供は愛人が生んで、正妻が育ててきたという変な話。
これは絶対あり得ない。
だが、それをこの映画の骨子にしているので、もう笑うしかない。
 
森雅之の大学教授と妻の淡島千景には、星由里子と大沢健三郎の子供がいて、一見仲睦まじい一家だ。
淡島が銀座に持つ土地でバーを開いている高峰秀子が、毎月淡島のもとへ家賃を支払いに来る。
どうやら高峰は森との間に愛人関係があるらしいことが次第に分ってくる。
しかも、森の家にいる二人の子供は、いずれも高峰の腹から産まれた子であることも明らかになる。
 
高峰は、老いた母・飯田蝶子との二人住まいで、二人で小唄を口ずさむ日々だ。
この様子が良い。
 
ある時、高峰と森が箱根へ旅行に出るのだが、そこで偶然教え子に出会ってしまった森が、ひどくうろたえる。
今更何をうろたえているのか、と愕然とした高峰は、次第に森に対して愛想を尽かすようになる。
高峰のことを想い、言い寄ってくる仲代達矢の存在も心強く思え、妾仲間の淡路恵子、藤間紫、丹阿弥谷津子らにも励まされて、高峰は森と別れる決心をする。
 
 
別れる条件として、銀座の店又は300万円を要求するが、正妻の淡島がこれを拒絶する。
そこで高峰は、飯田蝶子に「子供を返してもらいなさい」と示唆され、せめて男の子だけでも返してほしいと森に訴える。
だらしがないだけの森は、「なぜ今まで通りではだめなんだ。これまでうまくやってきたじゃないか」などと、高峰の思いを逆撫でするようなことしか口にしない。
 
そこで高峰は、大沢演じる息子の進を誘拐まがいの手で連れ出し、淡路の料亭に連れて行く。
そして、高峰の友人である淡路恵子が、息子に真実を伝えてしまう。
こうなるともう全面戦争しかない。
 

森の家での、愛人・高峰と正妻・淡島との対決だ。
“妻としての想い”と“女としての想い”がぶつかり合うのだ。
それぞれ、抱えてきたものをぶちまける。
 
だが、所詮は“女の意地”の張り合いでしかなく、巻き込まれた子供にとっては関係ない話である。
全てを聞いていた星由里子扮する娘の弘子は家を出てしまう。
息子も、両親への敬意は消え失せる。
ラストは、銀座の店を畳むための整理をしている高峰の描写に続いて、娘と息子の二人が未来に向かっていこうとする場面だ。

60年代に入った成瀬監督は、絵の組み立てに粘りというか、さりげない所作ひとつでシーンを成立させてしまう力技というか、50年代の充実に比べると、やや“枯れてしまっている”印象もある。
しかし、それは当たり前のことで、それもまた成瀬の魅力なのだが。
 
高峰秀子の「アフリカの土人の姦通した人間への刑罰は石投げて殺すらしい…」というセリフは笑える。
時代を感じる面白い話だ。
今はこんな話し方しないけど。
 
こういう映画になったら、絶対に愛人役の高峰秀子の独壇場になりそうだが、本作では正妻の淡島千景の熱演ぶりも凄い。
間に入って森雅之が小さくなっている。
タイトルの「妻として女として」という意味が、後半でやっとしっかり理解できる。
正妻か愛人かという対決だけでなく、子供たちにとっては生みの親と育ての親なので、話は単純ではない。
よくこういうストーリーを思いつくものだ。
 
脚本を担当したのは、井手俊郎と松山善三の二人。
井手俊郎は、あの大ヒット作「青い山脈」がデビュー作で、その後もたくさんの女性を主人公にした映画の脚本を担当した。
松山善三はご存じの通り高峰秀子の夫であり、多くの名作の脚本・監督を担当している。
 
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