「昭和残侠伝シリーズ」 第3弾「昭和残侠伝 一匹狼」 「一宿一飯の義理」とは? | 人生・嵐も晴れもあり!

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「昭和残侠伝 一匹狼」

 

 

 

昭和残侠伝 一匹狼 予告編

 

 

 

 

 

1966年7月9日公開。

昭和残侠伝シリーズ第3作

 

 

 

脚本:松本功、山本英明

監督:佐伯清

出演者:

高倉健、池部良、藤純子、島田正吾、扇千景、御木本伸介、 雪代敬子、河津清三郎 

 

 

 

あらすじ:

昭和の初期。

銚子に近いある漁港町。

間もなく近づくマグロ漁を前に、他の網元をつぶして、マグロを独占して、ひともうけしようと企んだ網元・川鉄一家は、暴力と札束で網子を着々自分の傘下に収めていた。

老舗の網元、浜徳の主人浜田勇吉(御木本伸介)も、浜徳を助ける潮政一家の貸元・秋津政太郎(島田正吾)も、川銀一家にほとほと手を焼き、はやる子分の気持を抑えるのに必死だった。

元・関東島津組の幹部だった武井繁次郎(高倉健)が、政太郎の家に住みついたのはこんな時だった。

繁次郎は、川銀の仕打ちに腹を立てるのもさることながら、昔の親分を暗殺した刺客・桂木竜三(池部良)が、川銀一家にわらじを脱いだということを聞き、復讐の機会を狙っていた。

そしてこの港町で公演している女剣戟・五月不二子(雪代敬子)一座に働く、昔の弟分・弁慶松も、繁次郎を助け竜三の動静を見守っていた。

そんなある日、川銀の貸元銀五郎(河津清三郎)は、仲買人まで買収しようと計り、防ごうとした政太郎を手下に射殺させた。

いきりたつ潮政一家の子分達をなだめ、自分にまかせてくれといったものの、繁次郎の心は重かった。

繁次郎が初めて惚れた小料理屋の女主人・美枝(藤純子)は、竜三の妹だった。

そして竜三も仁義をわきまえた、いい男だった。

この場を丸く収めたいと繁次郎は、浜徳のために大洗の木崎親分に頼み、やっとのことで網子を貸してもらった。

それを聞いた銀五郎は、浜徳の漁船の焼打ちにかかる一方、竜三に繁次郎を斬ることを命じた。

心ならずも竜三を倒した繁次郎は、その足で川銀一家になぐりこんだ。

川銀一家の子分を斬りまくり、浜辺を逃げる銀五郎を一刀のもとに斬り倒した。

すべてが終った。

呆然と立ちつくす美枝の前を、繁次郎は警官に引かれていった。

見送る美枝の眼は、いつしか涙にぬれていた。

 

 

コメント:

 

藤純子がヒロイン。

本作での魅力は何といっても島田正吾の重厚さ。圧倒的な存在感。

高倉健も本シリーズに慣れて、円熟味を増している。

 

我慢に我慢を重ねた健さんが立ち上がる。

そこに立ちはだかっていたのが、昔親分を殺した刺客という役回りの今回の池部良。

健さんの敵である川銀一家に草鞋を脱いでいる手前、一宿一飯の義理の為、健さんに納得ずくで討たれる渡世のつらさ。

 

ここで、理解いただきたいのは、「渡世の義理」という言葉です。

 

唐獅子牡丹 / 高倉 健

 

 

 

 

 

健さんが歌う「唐獅子牡丹」の1番の歌詞:

 

義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
幼なじみの 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中で吠えてる 唐獅子牡丹

 

つまり、人情では、殺したくない相手でも、「一宿一飯の義理」があると殺さざるを得ない、または、殺されても仕方がないという事。

これは、我々、任侠道に関係ない「堅気の人間」にはなかなか理解できません。

 

そこで、任侠の専門ページを紐解いてみると:

 

「一宿一飯の恩義に報いる」とは、その主の(大体は親分衆)の依頼事を無条件に聞き入れるということです。


大抵は、「喧嘩」「出入り」の助っ人を頼まれるとか、対立する親分への使いを頼まれるなど、危険な仕事を依頼されることが多かったのではないでしょうか

 

 

山本博文という東京大学史料編纂所教授のサイトのよると、江戸時代の任侠の世界はこんな感じだったようです。

渡世人と博徒

 

 

 

 

博徒について:

 

本来は博打を打つことを生業とする者の意味だが、江戸時代の博徒は、任侠の世界に生きる「侠客」と実体はほとんど同じである。

博徒の世界に入る者は、地道に働くことを嫌う者で草相撲の出身者など乱暴者が多い。

 

博徒は、博徒のネットワークをたどって一宿一飯の恩義を受けながら廻国し、信頼すべきと考えた親分のもとに草鞋(わらじ)を脱いで、子分となる。

博徒の親分は、宿場、河岸(かし)、湊(みなと)などの交通の結節点に生息した。

 

居酒屋、質屋などを営み、裏では賭場を開き、管理売春などでも稼ぐ。代表的な博徒の親分に、上州の国定忠治(くにさだちゅうじ)、駿河の清水次郎長(しみずのじろちょう)らがいる。

 

国定忠治は、子分に堅気(かたぎ)の者に手を出すことを禁じ、無宿の者に厳しい掟(おきて)を課したので、その勢力下ではコソ泥すらなかったという。

 

博徒の間では、賭場の権益や勝負をめぐって喧嘩(けんか)が起こりがちで、命をやりとりする武力闘争も頻発した。幕末の混乱の中、博徒の中には、官軍に応じる者も出た。

 

江戸時代は、徳川幕府の厳しい住民監視制度がありました。

 

武士も、町民も、農民もすべてしっかり戸籍台帳で管理されていたのです。

 

あちこちに関所があり、「道中手形」が無いと通過できませんでした。

 

町の入り口には「木戸」と称する門があり、夜更けに通ろうとすると門番がチェックしていたのです。

 

ですから、適当にぶらぶらあちこちに出かけることは出来ないのです。

 

このような状況にあって、親分のもとで宿を借り、朝晩の食事も提供された「行く先の無い若者たち」は、親分を実の父親以上に敬い、すべての命令に絶対服従したのだろうと思われます。

 

「日本侠客伝」や「昭和残侠伝」に登場する任侠に生きる人たちは、江戸時代から続くそんな博徒の世界で一生を終えたのだと思います。

 

こんなことも頭の片隅に置いて、この映画レビューを楽しんでいただけたら幸いです。