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6月12日~18日までの期間で、災害ボランティアバスに乗って宮城県は気仙沼市にて復旧作業活動に参加してきました。

又ゆっくりお話・報告をしたいんですけど、取り急ぎ簡潔なレポートを、、、

行きたい気持ちはあっても、なかなか行けない人が大勢いる中で、僕は今回有難い機会を頂き貴重な経験をさせてもらいましたので、行けない人や周囲の理解してくれる人の分も作業に取り組んできたつもりです。

ホンットになんにもない、見渡す限り建物らしきものがなく、散乱する瓦礫と、それを集めた山が所々にあるだけの凄惨な被災現場と、全く被害がない所の差が激しい事、その境が突如として現われる事、そしてその境が生死の境になっている事に驚き恐ろしくなりました。

今まで戦争並やなとか思っていたけれど、戦争よりもヒドイかもしれません。
津波は本当に何もかもをさらっていってしまうようです。

時計はどこに行っても、津波が起きた時間で止まってます

作業は正味4日間。
初日は、個人宅の田んぼに流れ着いた瓦礫の撤去。
2日目は、個人宅の床下のヘドロ・瓦礫の掻きだし。
3日目は、魚市場のトロ箱の泥と油の洗い落とし。
4日目は、個人宅の敷地内・畑の可燃物拾い・瓦礫集め。

とにかく生で見て改めて被害の凄惨さに驚きましたし、結婚式や家族の写真が出てきたり、田んぼや広場や家の床下に茶碗からCDからコンクリからトタンから毛布から、とにかくもう何から何まで日常の生活を感じるものが溢れていて、驚きつつも時折胸が締め付けられるような感情に襲われながらの活動でした。

作業自体の実態としては、体力的に多少キツイのは当然だとしても、やはり腐敗臭やヘドロの臭い、雑菌だらけの汚れ、ハエやウジ虫との戦いはそれなりにシンドイもんでした。

想像以上に衛生的に問題がある事を感じましたし、時期的にこれから更に暑くなってくる訳で、そういう意味でも少しでも早く復旧作業を進める必要があると思われます。

生活が落ち着いていない、つまり避難所生活を強いられている間は、ボランティアに作業を頼みたくても頼める状況ではないという現実もあるようです。

一方で作業に取り組む中で、ほんっっっの少しずつでも被災現場が復旧していく様を目の当たりにして、改めて地道な活動が長期間に渡り必要な事を痛感しました。

現地を見渡すと、言葉を失ってしまい無意識に涙が溢れてきて、正直「3ヶ月でまだこの状態なんて、どうして復興なんかできるやろうか」と感じずにはいられませんでした。

それでも諦める訳にはいきません。

東北人気質と良く言いますが、確かにそうでして良く話を聞けば家族を亡くしたとか家が流されたとか避難所生活をしている方々が本当に気持ち良く笑顔で接してくれ、我々の事を思いやってくれる優しさに触れ心を打たれました。

寝食でお世話になった地元自治会の皆さんも素敵な笑顔で迎えてくれて、しっかり前を向いている姿に癒やされたし、魚市場の若い爽やかお兄さんは優しく接してくれ「必ず復興しますから」って笑顔で言う姿に励まされたし、個人宅の方に「皆さんの応援してくれる気持ちが復興への一歩に繋がります」って言って頂き元気と勇気を頂いたし、、、

現地の方々が失望と絶望の淵から立ち上がり、この国難を乗り越えようと必死に前を向いている姿から今を生きる僕らは何かを学ばなければいけないような気がしました。

とにかく価値観や人生観を含め色んな事を勉強させて頂きましたし、現地の方々に頂いた勇気や優しさに恩返しするのはこれからだと思っています。

出発する際は「あまり人に話す事でもないかな」と思っていたので家族以外ほとんど相談もせずに参加してきましたが、地元に帰って現地で見聞きした事や感じた事、抱いた気持ち等々被災地の状況を自分なりに伝える事も一つの役割だと考えましたので、端折った内容で失礼ですがご報告のメールを送信させて頂きました。

日本人の人生観も価値観も一変させてしまった今回の大災害、この国難から立ち上がり復興を遂げる為には、あの焼け野原から繁栄を築いた先人達と同程度かそれ以上のエネルギーが必要とされるでしょう。

東北の方々に先頭に立って頂き、国民が一つになってそれぞれがそれぞれの役割の中で小さくても自分に出来ることを継続していく事が求められてきます。

継続していく為には、3月11日に抱いた感情を風化させない事も大事な気がしていまして、このメールを読んでくださった皆さんにとって、今一度あの日の事を思い返して頂く機会にでもなっていれば幸いです。

作業現場や作業中は写真の撮影が原則禁止されているので、あまり写真が撮れていませんが、取り敢えず数枚だけ添付いたします。

何だか長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。


↑帰ってきて日々何だかバタバタしていて、ケンキチメモを個人的レポートとしてまとめるまでになかなか至っていないので、18日帰りのバスの中から及び帰ってきてから、ボチボチと友人・知人に送っている報告メールを掲載しておきます。


又改めて詳細のレポートも掲載したいと思っています。


東北の方々にとって本当の意味で傷が癒える日なんてないような気もしますが、少しずつ少しずつでも、心が回復していき、日常を取り戻し笑顔で暮らせる日々がきっと来る事、復旧・復興が一刻も早く進んでいく事、そして原発事故の終息をお祈りいたします。


ありがとうございます。