今までは、少しでもショックなことがあると、ずーんと落ち込み、心の感情の海の底まで真っ逆さまに落ちていた。そして、誰かに思いの丈を吐き出して、聞いてもらい、慰めてもらわないと、心の平穏を取り戻せなかった。

 

 これは、共依存の人に実は多い傾向ではないか。母に構われすぎて、母がそうしていたように、それを無意識に他人に求め、依存してしまう。「構ってもらう」「察してもらう」が、習慣になっていて、自分の感情との向き合い方を構築できていないから、そのやり方しかわからない。

 

 「このやり方しかわからない」という事例が結構ある。例えば、人とのコミュニケーションも、母になんでも洗いざらい報告する、というのが、以前の私の習慣だった。だから、他人とも、人の話も全部聞く。自分の話も全部話す、みたいな非常に極端な依存関係でしか、人との関係が築けない。

 

 でも、それは全く持って不健全な関係。人それぞれの距離感があり、この人には、ここまで話せる。あの人はあいさつ程度だけ、とか、自分と相手との間にある境界線によって、本来は、自分の開示方法は個別に違ってくるはず。

 

 母にべったりとくっつかれていた私は、人との境界線自体が、わからなかった。母は、明らかに愛着障害があり、診断を受けたわけではないけれど、おそらく、境界性パーソナリティ障害の傾向が強い。

 

 共依存状態を離脱した後も、私の心を苦しくさせている足枷達が、本当に多いことに驚愕する。人を信頼できずに育ってしまった私は、人との信頼関係を築くことが容易ではない。それでも夫とだけは、揺るぎない対等な関係が築けたことは奇跡だ。

 

 もうこれでいいかなとも思う。気をつけていても、人を無意識に、神のように盲目的に簡単に信頼し、一体化しようとする癖も時々、出てくる。今では、以前より早い段階で気づけるようになってきたけれど、まだまだ、自己肯定感が、十分なところまで育っていなかったのだなと、その時は、冷静に現在地を確認する。

 

 でも、いくつか収穫があった。避け続けていた母とやむを得ず(電話攻撃が止まない為)、電話で話した時、以前なら、母に対して脅威を感じて、瞬時に、「母を喜ばせる言葉を連発するスイッチ」が作動するのに、そのスイッチが消失したことを体感した。

 

 そして、今度は、全面に母に対して、怒りの抗議の言葉を吐き出した。言いたいことは、十分の一も言えなかったけれど、それでも、「私は苦しみ続けてきたこと。苦労して、カウンセリングで、やっとここまで立ち直ってきた。もう電話をかけてこないで!」と言い放ったこと。

 

 いつもなら、数週間ふさぎ込み、落ち込んだままなのに、その悲しみに私自身が寄り添い、励ましの言葉を心の中でかけ続けたこと。そして、気が進まなくても、外に出て、風に吹かれてみたら、暖かい太陽の光を身体に感じた。まるで、太陽が、私を励ましてくれているように、太陽の光が私を抱きしめてくれているように感じて、癒されたこと。

 

 一年位前なら、絶対にこんなことはできなかった。悲しみと向き合い、自分を励まし、その出来事をただ、そのまんま受け入れて、その感情と共にあること。人に頼らずに、自分の心のケアが少しずつできつつあること、私との付き合い方の向上の証を見つけた。

 

 嫌な事があっても上を向いて笑ってみると、ちょっと違ってくるのかもしれない。