自己幸福供給力は感知力次第というときれいごとかも。
頭がいいとか悪いとか、
人と比較しても全く意味はない。
そんな事より、自分の中で、
今の自分は、頭がいい状態か、悪い状態か、
を把握して比較する方がいい。
頭がいい状態は、なんでもくるくる考える事ができる状態。
根底には幸せな感じがある。
楽しいし面白いから集中できる。
活発な感じ。頭がよく働くから体もよく動く。
頭が悪い状態にあるというのは、その逆。
人生は楽しむためにあるのだから、
頭がいい状態の自分であれと。
そう思います。
人の財産は、
その人の頭の中にあるのが本当であって。
それは、気持ちや思いや意識であり、
感情や情緒ともいえる。
つまり、本来の人の財産とは、
頭の中を何で満たしているか、
何で満たされているのかということになる。
ここで、金持ちの勘違いもあるかもしれない。
(金が全てであるかもということにも僕は同意する。)
僕はもってないけれど(笑)
良いものが満ちている時は、
頭がいい状態。なので気持ちがいい。
悪いものが満ちている時は、頭が悪い状態。
なので気持ちは良くない。
せっかくの人生、おもいっきり楽しまないと。
財産はいつも頭の中にあるのですから。
また由来を書きますね。今日は、悪党編(笑)
ただいま~と声がする。
只今は、たったいま、
帰りましたとの挨拶の言葉ですね。 
 
もう夕方です。日が長くなりましたね。
日暮れ時の様子を、たそがれと言います。
「誰そ彼」と書きます。 
 
誰が彼だか暗くて判別できない様子のことですね。
たそがれ。 
 
暗くなってくると、
奴等はいつも街に集まります。
グルリと輪になり悪いことを企てることから、
グルという言葉が生まれました。  
 
             
ちなみに奴等に、カモられるのカモるは、
鳥の鴨のこと、
簡単に捕まえられる事からです。
  
             
奴等は、向こう見ずで、
無茶にキバッて無鉄砲。 
 
向こう、つまり将来のことをよく見ないで行動すること。
無鉄砲は、鉄砲なしで、
刀を振りかざすだけでは勝てないの意味です。
気張るは、気を張るでそのまんまですね。 
 
たまに仲間内でもめたりもします。
二個上とか一個下とかがポイントで、
元々ソリが合わないんだよ、
サバ読んでんじゃねーよ、
ウザいんだよ!という感じでしょうか。 
 
ウザいは、簡単で、
うじゃうじゃしている様子が短くなって、
つまり、うじゃがウザいに。
  
 
ソリとは刀の刃が合わなくて
鞘に収まらないからきています。 
 
サバを読むは、港で魚が揚がると大きな魚は、
例えばマグロなどは一匹二匹と数えます。
逆に小さな魚は、バケツ一杯二杯とかです。 
 
 
で、ちょうどサバは中間で、
一応数えなくちゃいけない魚ですが、
いつも早口で数えて適当に数をつけていた。
その事からサバを読むという言葉が生まれました。 
 
もめ事は喧嘩に発展しそうです。
怒ってる方は真っ赤に、怒られている方は真っ青です。
顔色のことです。
取り巻きは無責任にも面白がっています。
面白いって面、つらが白いと書きます。  
 
 
面白いって、顔(面)が白くなるから面白いというんです。
イメージ的に、
パッと目の前が明るくなり顔が白く浮かび上がった感じです。 
 
よーし、今日は、これくらいですね。
いま、ビール飲んで、ほっこりタイム中です。 
 
ほっこりは、京ことばで、元々は、
仕事が終わって安堵した気持ちをほっこりと
言い表した言葉です。
今では、なんでも、
リラックスしてゆったりと過ごすとき全般に使いますね! 
 
今日もお疲れ様でした。
皆様、おやすみなさいませ(^-^)v
いいね!
いいね!
超いいね!
うけるね
すごいね
悲しいね
ひどいね
コメントするシェアする
愛は与えるもので感謝は与えられるもの。
欠乏欲求。満たされない。
それが無いからほしくなる。
それは僕も同じ。 
 
忘れがちな情理。 
それは、自分が与える立場にならないと
人の心は決して満たされはしないということ。 
 
人の為に生きるとは、
即ち自分を生かす生き方でもあるということ。 
 
前置きはこの辺で。
一体何を言いたいのか?
すごく単純で逆説的なこと。 
 
自分が他者に働きかけて生きている人は
ネガティブなことは、まず言わない。 
 
人に尽くすように社会と関わろうとしている人は
まず自分自身の不満を口に出しはしない。 
 
つまらない、いやだ、面白くない、
ダメだ、面倒くさい、くだらない、嫌い。
そして他者への悪口も口に出るようになる。
そんな人ほど、 
 
解釈の重要度が完全に自分に偏重し過ぎている。 
ネガティブな言葉や思いは自分のことだけに
意識が集中しすぎているのではと。  
 

未熟でもいいから、自分自身に責任があり、
社会と関わって生きているのなら、
自分の役割を自覚しているのなら、
他者の役にたちたいと生きているのであれば、
自分の中の不満は自ずと氷解するのではなかろうか。
好きというのは、本能的なもので、
意思には関係なく心の奥底から
自然と発露するものであるから本当に好きなものは
理屈で説明ができない。 
 
スープカレーが好きだからカレー屋をやっている。
なんで?って聞かれても、
好きだからってなる(笑)
それはねという説明は後からついてくる。 
 
学問の世界でも、新しい事を見つける時に。
過去の積み重ねで新しい事を
見いだすのではない場合が多いそうです。
直感的洞察が働き、答えが先にひらめく。  
 
それを万人にわかるように
誰がやっても同じ結果になるように、
データと論拠を仮説、検証を繰り返し
整合性のある説明がなし得た時に形となり、
論文として発表されるようです。 
 
特許をいくつも持つ研究者の友人がいるので
今度、直に聞いてみようと思います。
嘘をつけ!嘘つくな!って
声に出すと同じ意味で使われる、その不思議。  
 
でたら目を言うなってこと。
でたら目の目ってサイコロの目の事。
一回一回出る目が変わる事から。
コロコロ言っている事が変わるので、
デタラメばかり言っている人になる。
そしたら信用を失う。 
 
しかとの対象になる。
しかとって鹿頭と書く。
花札の鹿の頭のこと。意地悪でそっぽを向き
知らん顔をしているようにみえるから。
けどしかとはヤバいよね。
皆で仲良くしなくちゃって思います。 
 
で、ヤバいって戦前の刑務所で生まれた言葉。
囚人が看守の事を隠語でヤバと言っていた。
看守が来る気配を感じたら、
隠語でヤバ、ヤバと言って仲間達への合図にしていた。
今は凄く良いって意味にも使われるようになったから
由来を知るとそのギャップに笑える。 
 
もう一つ、隠語でダサいも同じような感じ。
田舎から都会に来た人にあの人、
田舎(ダシャ)と音読みにしていた。
ダシャダシャがダサとなりダサい。 
 
けど公然の秘密みたいに
人を揶揄しちゃいけないし。
共同体としての人間関係もガタガタしてくるのでよくない!
ガタガタって我他我他と書きます。
そう我と他が調和がとれずにかみ合わず壊れそうという意味。
相当ガタがきていますねという風に使う。 
 
ガタがきていたら直さなくてはなりませんよね。
これとこれを直しておいて。
ついでに最後の仕上げにここもおまけで料金内で
やってほしいな~と交渉する。
そうですか~。それなら今回はおまけで直しましょうと。
おまけって、
御負けと書く。
あなたに負けてサービスしましょうという意味。御負け。 
 
やった~とたくさんおまけしてもらったと。
喜びも一入だね~と。
喜びも一入(ひとしお)と言います。
一入は一回入れるということ。
染め物の布などを染める時に、
一入ごとに色が鮮やかになっていき
色が引き立つように染まっていく。
喜びも一入は、喜びも鮮やかに引き立つという意味。 
 
引き立つ、際立つ、はっきりさせる。
その反対の意味は、なあなあ。
はっきりさせないですませるという意味。
日本的な妥協して安易にすませる。
なあなあの関係。歌舞伎役者の舞台セリフで
なあと相方に言ったらなあと答える。
それで皆んながわかるというコミニュケーション。
だけどはっきりさせなくちゃいけないときもある。 
 
そんな時は、四の五の言うなと言います。
これは丁半博打からの言葉で偶数、奇数、
どちらかで悩んでないではっきりさせなさいという意味です。 
 
一や二でもいいんじゃないかと思うんですけれどね。
不思議です。ちょっと関連して、 
数字で不思議と言ったら、二の腕です。
一の腕という言葉がないんです。 
 
肘から肩までが二の腕ならば、
手首から肘までは一の腕のはずなんです。
けれど一の腕という言葉がない。なぜなのだろう。
不思議です。最後は不思議で終了で最初につながりました! 
 
おさらい。今日は言葉の由来をつないで楽しんでみました! 
 
ヤバい!ダサい!しかと!嘘をつけ!なあなあ!ガタがくる!
でたらめ!ひとしお!四の五の言うな!二の腕!おまけ! 
 
言葉の由来って面白いって思います。(^ ^)