●リッキー・ローソン59歳で死去~スターたちのドラマー | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●リッキー・ローソン59歳で死去~スターたちのドラマー

【Ricky Lawson Dies At 59】

訃報。

LAをベースに活躍するファースト・コール・ドラマー、リッキー・ローソンが2013年12月23日、ロングビーチの病院で死去した。12月13日(金)ライヴハウスで倒れ病院に運ばれたが、脳動脈瘤であることがわかり、その後意識不明になり、生命維持装置で息をしていたが、家族が生命維持装置をはずすことに同意、23日、装置をはずされまもなく息を引き取った。59歳だった。

偲ぶ会が後日、デトロイトとロスアンジェルスで行われる。

死去を伝えるデトロイト・フリープレスの記事 (6:09 PM, December 24, 2013、日本時間25日午前8時09分配信)
http://www.freep.com/article/20131224/ENT04/312240088/ricky-lawson-dies-monday-night

リッキー・ローソンは1987年のマイケル・ジャクソンの『バッド・ツアー』で来日。以来、何度も多くのアーティストのサポート・メンバーとして来日、またロスアンジェルスをベースに多くのレコーディング、ライヴなどに参加している。

これまでに仕事をしたアーティストには、ロイ・エヤーズ、ブラザース・ジョンソン、ジョージ・デューク、マイケル・ジャクソン、マイケル・ヘンダーソン、エリック・クラプトン、スティーリー・ダン、フィル・コリンズ、ベイビーフェイス、ホイットニー・ヒューストン、クインシー・ジョーンズ、ベット・ミドラー、アル・ジャロー、ジョージ・ベンソン、ライオネル・リッチーら無数。特にフュージョン系のグループ、イエロー・ジャケッツの設立メンバーの一人としても活躍した。

2012年12月、リオン・ウエアのライヴ、2013年8月、シェリル・リンのライヴでも来日していた。

評伝。

リッキー・ローソンは1954年11月8日デトロイト生まれ。16歳からドラムに興味を持ち始め、ドラムを叩くようになった。最初はプロ・ドラマーのおじさんのドラムを借りていた。ちなみに、リッキーの別のおじには、モータウンでアレンジャー、プロデューサーとして活躍しているポール・ライザーがいる。

正式な音楽教育は受けていないが、あらゆるジャンルのバンドに在籍し、すべて自力で学んだ。彼自身「ストリートで学んだドラマー」という。ハイスクール時代の仲間と組んだバンドでは1969年にジャクソン5のオープニング・アクトをつとめたという。ドラムスがひじょうに優れていたため、奨学金が出て、大学に進むが、1年ほどでやめる。おじのポール・ライザーも積極的にリッキーのことをひっぱりあげてくれ、いろいろな人を紹介してくれたという。この頃同郷のスティーヴィー・ワンダーからドラムスをプレイするよう頼まれている。

同じデトロイト出身のほぼ同期としてはレイ・パーカー・ジュニア(ギター、1954年5月1日デトロイト生まれ)、グレッグ・フィリンゲインズ(キーボード、1956年5月12日デトロイト生まれ)らがいる。レイ、グレッグ、リッキーはまさに「デトロイト組」。

18歳(1972年~1973年頃)でロイ・エヤーズに見出され、彼のユビクイティーに在籍、1975年のアルバム『ミスティック・ヴォヤージ』に参加。

これを機に、リッキーの音楽業界での評判がたかまり徐々に売れっ子ドラマーに。

1975年、居をロスアンジェルスに移し、ブラザース・ジョンソンのバンドなどで仕事を始めるようになる。フローラ・プリムのバンドでジミー・ハスリップと出会い、ハスリップがロベン・フォードとつながっていたことから、ロベン・フォードの『インサイド・ストーリー』に参加。それが発展して、イエロージャケッツに。

1977年にリッキーは、ロベン・フォード、ラッセル・フェランテ、ジミー・ハスリップとともにフュージョン・グループ、イエロージャケッツを結成。彼は1986年までメンバーとしてアルバム4枚に参加。

1986年、ライオネル・リッチーに誘われワールド・ツアーに。これを見たマイケルが自身の「バッド・ツアー」に誘い、こんどはそれを見たホイットニー・ヒューストンがバンドに誘い入れホイットニーのツアーに。また、1980年代にはスティーヴィー・ワンダーのバンドでも来日している。

1990年代になるとジョージ・デュークのバンドで知り合ったベースのネイサン・イーストとのコンビが素晴らしく、この二人はその後ホイットニー、アニタ・ベイカー、フィル・コリンズ、エリック・クラプトンなどでも起用された。

リッキーは自身のリーダー名義で、1998年に『ファースト・シングス・ファーストFirst Things First』、2001年に『リッキー・ローソン&フレンズ Ricky Lawson & Friends』(前作に曲を追加したもの)、2008年に『クリスマス・ウィズ・フレンズ Christmas With Friends』を出している。

特にイエロージャケッツ時代のアルバム『シェイズ』では、グラミー賞「ベストR&B部門」を受賞している。スティーリー・ダンのグラミー受賞作『トゥー・アゲインスト・ネイチャー』でも、ドラムを叩いている。

R&B系、ポップ系での録音は無数で、アニタ・ベイカーの「スイート・ラヴ」、ジェームス・イングラムの「アイ・ドント・ハヴ・ザ・ハート」、ライオネル・リッチーの「ダンシング・オン・ザ・シーリング」、ホイットニー・ヒューストンの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」のドラムス等も有名。

多くのスターたちのドラムを担当するため、「スターたちのドラマーDrummer to the Stars」との異名をとるほど。

マイケル・ジャクソンの「バッド・ツアー」で1987年9月来日、さらに、マイケルの「デンジャラス・ツアー」(1992年)にも帯同。また、ベイビーフェイス、リオン・ウエア、シェリル・リンなどのライヴでも来日。日本のファンにもすっかりなじみのある存在となっている。

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出会い。

リッキーとは1987年の「バッド・ツアー」のときに知り合った。そのとき、ちょっとしたインタヴューをしたからだ。以後も来日のときに楽屋で会ったりしたが、いつでも覚えていてくれ、ニコニコ迎えてくれた。

最近だと2012年暮れのリオン・ウエア、2013年8月のシェリル・リンのバックで来日していた。そのときも、一緒に写真を撮ったりしていた。まさかそのときにそれが最後になるなんて、本当に信じられない。

スーパードラマーなんだが、どこも偉そうぶらない、普通の話しやすいブラザーだった。たぶんあのやさしいキャラクターがあらゆるスターたちから好かれたのだろう。

僕は彼のドラムスに「完璧なグルーヴがあり、しかも、クラース(品格)がある」と感じている。Drummer with groove and class, that’s what Ricky’s drum performance. いわゆるシンガーの伴奏をするときに、控えめにシンガーを引き立てるのがうまい。全体的な調和を考えることに長けているのだろう。そうしたスタンスも彼自身のキャラクターから来ていると思う。本当に「いい人」という感じだった。

ご冥福をお祈りします。


2013年8月、シェリル・リン来日時、ベースのセクー・バンチ(左)、吉岡、リッキー・ローソン(右)

リッキー・ローソン作品の動画集
https://www.youtube.com/watch?v=haF9cTmWjwQ&list=PLvrSBix4fos0_1IcnrndD0pBDETLY1RoW



OBITUARY>Lawson, Ricky (November 8, 1954 – December 23, 2013, 59 year old)

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