こんにちは 冨永のむ子です。

昨日46歳の誕生日を迎えさせていただきました。
 
 
実は、日曜日に

両親と夫が
私の実家で誕生会をしてくれていたので、


昨日は
夫とともに
敬愛する魂の師匠とランチした後、江の島へ。
 

 


 
森で静かに過ごし、展望台で富士山と夕陽を眺めた後、
イルミネーションを楽しみ、
夜は、夫と地元で軽く飲んで、
子供たちと父がお留守番していた我が家に帰宅。

 
快晴の空の下、大切な人たち、
美味しい食事や自然を満喫し、
 
まるでおとぎの国のような世界まで堪能させてもらい、


なんともありがたくいつにも増して幸せな時間となりました。
 

 

 
 
毎年、誕生日にこの場で
シェアしている言葉があるのです。
 
以下、今年もご紹介します。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
目をさまし、
まだカーテンをひかず、
薄暗い部屋で
 
今日が私の誕生日なのを思う。
 
 
もう一度、目を閉じると
こんどは夢でなく 
本当にあった さまざまなことの間を 
心が旅していく。
 
 
ある時は何かをさけて
ある時は何かにぶつかって
はね返りながらも、
 
結局、今日にむかって進んでいた。
 
そのジグザグなはずの道が 
ふりむいてみると 
まっすぐなものになっているのは なぜだろう?
 
 
もし わたしに
過去にもどることが許されても 
わたしはきっと同じことをするだろう。
 
 
今になって後悔されることを 
すべて帳消しにしてしまうには
 
わたしが生まれるよりも 
もっともっと昔にさかのぼって 
それを始めなければならないし、
 
よく考えると そうまでも 
くやむことはないような気がするから・・・・・・。
 
 
これまで、
そしてこれからも
わたしのじゃまをし、あるいは輝き 
喜ばせたり悲しませたりする”何か”とは
 
自分自身だということがわかった今、
 
過ぎていったことがみんな 
わたしの中で楽しい思い出になっているのを、
ただ感謝したい。
 
 
大人へのドアがもう開いてしまったけれど
これでいいのだと思う。
 
今日のわたしは、 
今日のわたしがいちばん好き
 
明日のわたしは、
明日のわたしが
きっといちばんすきになるだろう。
 
≪誕生日   荒井由実  1973年 ≫
 
 
・・・・・・・・
 
ユーミンのこの詩は、
私の知る限りでは曲はついていません。
 
 
おそらくユーミンが
自分のお誕生日に記されたのかと。
 
 
私がこの詩に出会ったのは、中学二年生の時で、
 
子供のころから、
湧いてくる言葉をートに書き留めていたのですが、
 
そこに初めて記した、
自分以外の人の言葉が、この
「誕生日」というタイトルの詩で、
 
 
これって、
まさにブループリントのことを言ってて、
自分の神話を歩く教えでもあるの。
 
 
ここ何年かは、
毎年
自分の誕生日に、
ブログやメルマガでシェアさせて
もらっています。
 
 
シェアすることで、
自分が読み返すたびに、
自分自身の中で、新しい気づきが生まれ、
 
 
その気づきを得るために、
過去の一年があったんだなあって思うんですね。
 
 
毎年、毎年、
新しい気づきをもらうたびに、
 
ああ、自分は何にもわかってなかったなあって
恥ずかしくなったり、
 
そして、
 
来年のいま頃も、
同じことを思うんだろうな、と思ったり・・・
 
 
でもそれは、つまり、
 
この世界には
無限の叡智があるってことで、
 
 
それを、この地上にいる間に、
どこまで知ることができるか、
楽しみにもなるのです。
 
 
思えば、
 
人生のいつにおいても、
自分は宇宙から応援されていると、
感じられるようになったのは、
 
たぶん、
 
今の自分が、
何も知らない、
何もわかっていない、ってことを思い知り、
そんな自分にOKを出した時から。
 
 
無知の知って言葉は、
本当に深いなって思います。
 
 
宇宙は(天でも神でも創造主でも・・)
いつもいつも私たちすべてを導いて、
一番いいふうにはからってくれているけれど、
 
 
自分はなんでもできるし、
なんでも知ってるし、
みたいな、驕った気持ちでいたり、
 
 
あるいはその逆に、
 
「どうせ私なんて」と、
自己を否定し閉じていると、
 
 
・・・ちゃーんと、
その通りになる、
つまり進化成長しない状態になるんですね。
 
 
そうじゃなくって、
 
自分は何にもわかってないから、
教えてください、って、
 
謙虚な気持ちで、
 
目の前のできごとに、
天のはからいを見出そうとすれば、
 
自然に、
ちゃーんと天の応援に気づき、
長い目で見て、一番いいふうになるんですね。
 
 
そして、
後ろを振り返った時、そのすべてが、
ユーミンの言葉にあるように、
「まっすぐなものになっている」のです。
 
人智を超えた大きな力が
そう導いてくれているんですね。
 
 
だから、実は、
 
いついかなる時にも、
そしてこお地上にいるすべての人が
(もちろんあなたも)
 
「聖なる道」・・・
自分の神話を歩いているんですよね。
 
 

 

洗礼うけなくても、
壺とか買わなくても(笑)
 
そしてチャネリングとか、
特殊な能力身につけなくても(つけてもいいけど)、
 
 
普通の当たり前の日常を、
人間らしく、自分らしく生きていくだけで!!!
 
 
すべては歩き方しだいです。
 
 
 
本当?って思う方もいるかもしれません。
 
証明したり分析したくなるかもしれません。
 
 
でも、そう思って人生を疑ったり、
人生を分析することに時間を使うよりも、
 
 
 
そうかもしれないな、って、
自分を明け渡した方が、
 
生きていくのが確実に楽に
心地よくなるし、
 
 
満たされれば、
自然にその心地よいエネルギーが
循環して
心も体もそしてお財布の中も
豊かに満たされて生きられるのだから、
 
やらない手はないなって思います。
 

 

偶然の顔をした、
すべてが必然なんだと。
 
そしてそれはすべて、
自分を導いてくれているんだと・・・。
 
 
そういう気持ちで、
いまを、大切に、毎日のギフトに感謝をしたら、
すべては自然に感謝に満ちたギフトになるのでー。

・・・

たくさんのメッセージありがとうございました。