人間である以上、無意識にも意識的にも、
「恐れ」をたくさん抱えて生きている。
恐れを抱く理由は、大切な部分(生命やアイデンテティ)を
守ろうとする本能によるもの。
小さな子供が、自分と同じくらいの大きな犬に「ワンって」飛びつかれたら、
怖いと思うのは当たり前。
遊びたかっただけなのに・・。なんていう犬の気持ちを理解する間もなく、
犬=怖いもの
という観念が意識の中に生まれる。
でも、その観念を生み出させる原因は、自分の中にある別の何か・・
それは???
・・・・・・・・・・・・
犬に吠えられても 「犬=怖い」と意識を持つ人もいれば、
相変わらず 「犬=かわいい」と思える人もいる。
その違いは、実は人間は、より深い意識の底に、
もう一つの大きな意図を孕んでいて、
恐れを抱くのは、
そのテーマで、必要な体験があることを、「自分の神様」が認識し、
恐怖を抱くという選択をさせているから。
だから、
無意識の層に溜まっていく恐怖をもう不要なものだ(ゴミ)と感じたならば、
ゴミは、自分の意志で、自分の意図を持って、
処理の方法を選ばなあかんよ~。(なぜ、関西弁??)
って思います。
世の中「ブロック」が目下流行中。
お金のブロック、親子関係のブロック、男女のブロック・・・
これがまさしく不要な想念観念の類で、
「私は〇〇のブロックがあるから」というのを免罪符にして立ち止まっている人や、
ブロック解除を他人任せにしている人が多いけど、
それ、やばいんじゃないか。
免罪符をかざして停滞し続けるのだって自由だけど、
前に進みたいなら、
自分で確認して処分する必要がある。
そして、
ブロックと言われるものは、害虫のように駆除するもんじゃない。
いや、そもそも害虫という存在も、
人間にとって、都合が悪い虫=有害な虫と認識しているだけで、
宇宙には必要だから存在しているわけで・・・
だから、ブロックをバスターするとかなんとか言って、
その中身をろくに確認もしないで瞬時になかったものにするのは、
有害物質をスプレーでまき散らして害虫駆除している行為で、
それをしてしまうことで、癒しが起こったように感じても、
必要なはずの大切な学びや気づきも、駆除されてしまう可能性がある。
それは自分の神への冒涜でしょう。
もちろん、それを承知で選択するのは自由だけど、
ゴミは分別が必要だし、
目をつぶって他人に捨ててもらうものではないし、
長い目で見たら、
自分の心の中を処理する能力を失ってしまうのだから。
環境破壊じゃん!それ、と私は思います。
また、自分の中にある汚い部分をみないふりして
美しい布で覆い隠くしても意味はない。
そんなことやってても、人間は進化できないんだよなあ。
自分の中の不要物の処理方法は・・
心という部屋の中にあるものは、無自覚であっても、
自分が持ちこんでしまったもの。
だから、自分が責任持って処分をしよう。
自分で分別し、処分方法を選択する。
大切に保管するのもよし、感謝して手放すのもよし。
よりよく生まれ変わらせる(リノベーション)もよし。
あなたはそもそも自由なんだから。
そして処理方法は、持ち込んだ時と同じ。
体験によって、生まれた恐怖は、体験で処理ができる。
これも不要物と同じ。
片付けなきゃ~と頭で思うだけじゃなく、
持ち上げて建物の外に出してはじめて片付くわけです。
だから、恐れやブロックは、
そこに真正面からむきあって、リアルに体験しなせばいい。
小さい頃怖い~と思っていた犬に、近寄ってごらんよ。
鼻をくっつけて、ぺろぺろなめられたら、
怖かった気持ちなんて、すっかり忘れるはず。
恐怖の大きさによっては、何度でもやればいいだけ。
怖いと思っていた気持ちが、ただの幻想だったことにも気づく。
バンジージャンプの前で、
怖い、怖い、って腰砕けにしてるより、
目をつぶって飛び降りたら、世界観変わるでしょう!
勇気を出して乗り越えた時、見えてくるものが必ずあるから。
そして、あなたが何かを怖がっているのは、
乗り越えた先にある何かを見たいからだから。
自分の中にいる、乗り越えたいと願っている自分に身を委ねて
勇気をもって、乗り越えることを選択しよう。
その選択の積み重ねが、やがて未来を作るのだから
あなたの中にある勇気を信頼して、
恐れにぶつかったら、可能性という名の扉もどんどん開かれていく。
あなたは本当は自由なんだから!
と、なんだか暑苦しく書きましたが、、
もう、ブロックが・・とか言っている場合じゃないし、
人任せにしている場合でもないなって、
本当に感じている今日このごろなので・・。
今日も、自分を信じて前に進んでいきましょう。
