出口王仁三郎の存在を知る

ずっと以前から似た様ビジョンが
脳裏の片隅にずっとある。

夢の中で、見せられた事もある。

でも、ことなき現実の中に
身を置いて生活をしているから
それが、現実になるのか?
思い過ごしに終わるのか?
あやふやなままだし…

大峠を望む気持ちもあれば
平穏無事に自分の人生を終えたいと
思うことももちろんある。

この『大峠』が、まもなく来る!
…との声は、これ迄の終末予言とは
今回は、ちょっと違う。

テレビや雑誌が予言を歪曲して
エンターテイメントとして伝えて来た
これ迄とは訳が違うからだ。

死を長きに渡って望みながら
生きながらえようとする自分も居て
生きることへの執着を感じる度に
自分の事が情けなく思えたりする。

明日死んでも屁でもないくらいに
生きていない自分に落胆する。

平穏な明日が延々と続くと
思い込んでいる自分に辟易する。

様々な御神託を頂きながら
長年、学びはして来たものの
なんらこの世の役にも立てていない。

その氣になれば地球は50年もあれば
清浄化への道筋が出来るし
100年もあれば世界だって大きく変わる。
持続可能性な未来だって容易につくれる。

きっとそんなアイデアを持ってる人は、
世界中に幾人も居るし、その為の技術を
カタチにして来た人達だってたくさん居る。

世界は、この『大峠』を前に準備を
始めた人達が、本当はたくさん居る。

そうした人達を知りながらにして
私は、いったい何をしているのだろうと
感じて再び落ち込んでしまう。

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王仁三郎の予言

筆先に出ている火の雨いうたら、
あんなちょろいもんやない。
ほんまに火が天から降ってくるのじゃ。

「世界の人民3分になるぞよ」という
開祖はんのお筆先は今後必ず到来するぞ。

日本は3分どころか2分より残らん。
悪人は1人も残さんと、神様が言われるでなあ。

火の雨が降るというのは、この程度(広島原爆)のことではない。今は序の口で、本舞台はこれからじゃ。

三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて万古末代続く神国の世に致すぞよ。

神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。
毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。
これが違うたら、神はこの世に居らんぞよ。

(1) 世の立て替え・立て直しは避けられない。(それは「ミロクの世」へと移るために必要なプロセスである)

(2) しかし、今のままでは人民の多くは
「ミロクの世」に進むことができない。
とくに日本民族はしっかり
「身魂みがき」をする必要がある。

(3) そのことを早くから(明治25年から)
出口ナオを通じて伝えているが、
人民はなかなか信じない。

(4) このままだと圧倒的多数の人民は救われない(ミロクの世に進めない)可能性が高い。

それでは可哀想だから、信じるようにいろいろと(予言などで)教えている。

この世をこのままにしておいたなれば、
日本は外国に取られてしもうて、
世界は泥海になるから、
末法の世を縮めて松の世にいたして、
日本神国の行状(おこない)を世界の
手本に出して、外国人を従わせて、
万古末代動かぬ神の世で、三千世界の陸地
(おつち)の上を守護いたして、
神、仏事、人民を安心させてやるぞよ。 

そこへなるまでに、世界にはもひとつ世の
立て替えの大峠があるから、一日も早く
改心いたして、神にすがりて誠の行ないに
替えておらんと、今までのような、
我さえ善ければ人は転けようが倒れようが
見向きもいたさん精神(こころ)でありたら、
神の戒め厳しきから、到底この大峠を越すことは
できんぞよ。(明治35年旧3月11日)

世界の人民よ、一日も早く改心なされよ。
それについては、日本の人民の改心が
第一であるぞよ。

日本の人民さえ改心いたせば、
世界は良い世になるのじゃぞよ。
(明治31年旧11月5日)

めぐり(罪科償却)の出てくるのは、
世界はこれからであるぞよ。
高いところへ上がりて偉そうにいたしておりた人民、これからは気の毒なことに変わるぞよ。

そこになりてから神に縋(すが)りたとて、
聞き済みはないぞよ。(大本神諭・明治35年)

智慧でも学問でも、今度は金積んでも
どうにもならんことになるから、
そうなりたら神を頼るよりほかに手はなくなる
から、そうなりてから「助けてくれ」と申しても間に合わんぞ。(ひふみ神示・下つ巻第16条)

またたきの間に天地引っ繰り返るような
大騒動が出来るから、くどう気つけて
(=警告して)おくぞ。

さあという時になりてからでは間に合わんぞ。
用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

大峠となりてからでは(事が起きてから)、
いくら「改心します」と申しても、
「許してくれ」と申しても、許すことはできん。
(ひふみ神示・ウメの巻第6条)

大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、
「助けてくれ」と押し寄せるなれど、
その時では間に合わん。

逆立ちしてお詫びに来ても、
どうすることもできん。

皆おのれの心であるからぞ。
今のうちに改心(するのが)結構。
(ひふみ神示・碧玉の巻)

真っ只中になりたら、学でも智でも
金でもどうにもならんことになるのぢゃ。

今は神を見下げて人民が上になっているが、
そうなってから神に「助けてくれ」と申しても、
時が過ぎているから時の神様がお許しなさらんぞ。(ひふみ神示・ウミの巻第14条)

地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。
よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。
空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。
人民四ツん這いやら、逆立ちやら、
ノタウチに、一時はなるのであるぞ。

大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、
一人逃れようとて神でも逃れることは出来んぞ。

天地まぜまぜとなるのぞ。
ひっくり返るのぞ。

三分の一の人民になると、早うから知らせて
ありたことの実地が始まっているのであるぞ。

何もかも三分の一ぢゃ。
大掃除して残った三分の一で、
新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ。

三分むづかしいことになっているのを、
天の神にお願い申して、一人でも多く
助けたさの日夜の苦心であるぞ。

堪忍の堪忍、我慢の我慢であるぞ。

少しでも食物の用意を致さねば、
後で地団駄踏んでも追いつかぬ事になるぞよ。

四ツ足の餌の奪り合いが始まりて来るぞよ。

未と申とが腹を減らして
惨たらしい酉合いが始まるぞよ。

今までの世界の人民の苦しむ大戦争を喜んで、
結構な事になりて金銀を積んで
高ぶって居りた人民は気の毒ながら、
真っ逆様に地獄のどん底に落ちて苦しむぞよ。
(大正7年12月22日)

神は気(け)もない時から知らしておくから、
よくこの神示、心にしめて居れよ。

一日一握りの米に泣く時あるぞ。
着る物も泣く事あるぞ。
いくら買い溜めしても神のゆるさんもの
一つも身にはつかんぞ。
(昭和19年6月30日)

政治も経済も何もかもなくなるぞ。
食べるものも一時は無くなってしまうぞ。
覚悟なされよ。(昭和20年6月12日)

一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな。
米ばかりでないぞ。

何もかも、臣民もなくなるところまで
行かねばならんのぞ。
臣民ばかりでないぞ。
神々様さえ今度はなくなる方あるぞ。
(昭和20年8月27日)

日に日に厳しくなりて来ると
申してありた事始まっているのであるぞ。

まだまだ激しくなってどうしたらよいか
判らなくなり、あちらへうろうろ、
こちらへうろうろ、頼る所も着る物も住む家も
食う物もなくなる世が迫って来ているのざぞ。
(昭和19年12月12日)

以上

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