何で今ごろ感想? ドラマ「重版出来!」 | 悠志のブログ

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ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 2016年4月期に放送されたTBSドラマである。

 当時ぼくの部屋にはTVがなく、放送を見ることは叶わなかった。TSUTAYAにもDVDはなく、ただネットでその評判を聞いていたのみであった。それを今回、GEOにあったのでまとめて借りてきて、その面白さに夢中になっている。

 これはご存知のように出版社「興都館」に就職した、元オリンピック女子柔道の代表候補をリタイヤした、ある新米社員が奮闘するものがたりである。

 主演:黒木華。当時26歳。彼女は若いにもかかわらず、貫禄のある演技もできる強者だが、このドラマでは、出版業界の常識を何も知らないひよっこ新入社員を演じている。彼女のキャラとはまったく違う配役で、まさに体当たり的演技に相違ない。でも、演技の何たるかがわかっているひとなので、オーバーアクトにも臭い演技にもなっていない。ところどころ演技の熱さを感ずる場面があるが、演技の空回りはない。さすがである。黒沢心。それが彼女の名前である。小熊と呼ばれている。

 脇役にもいいのが揃っている。はっきり言ってオールスター・キャストと言ってもいい。オダギリジョー、坂口健太郎、松重豊、荒川良々、安田顕、高田純次、生瀬勝久、小日向文世、滝藤賢一、要潤、永山絢斗、ムロツヨシ、濱田マリ、蒔田彩珠、etc。しかも適材適所でミスキャストがない。唯一ミスキャスト的なのは主人公の黒木華だけだが、これも彼女の熱演に次ぐ熱演で、まぎれている。

 このドラマでまず印象に残るのは和田編集長(松重豊)の雄叫びだ。熱烈な阪神ファンで、猪突猛進型の熱血漢。だからこそスポ根少女だった〈小熊〉こと心と気が合うところがある。

 そして、さらに印象的なのはオダギリジョーだ。2016年4月。このドラマに出たとき彼は次男を亡くしてまだ1年しか経っていない。明らかに息子を永遠に亡くした痛み・ダメージを引きずっている。かつての俳優としてのギラギラとしたオーラが感じられない。それが皮肉なことに程よく力がぬけて、いい味になっている。もともと、声を荒げず、しずかにものを云うタイプの役者で、声のきれいなひとである。そういうところを注視していると、彼の真の魅力がどこにあるか、自然に伝わってくる。もともと技量があり見どころの多い俳優である。簡単に駄目になってもらっては困る。彼、プライベートではこのドラマのクランクアップ直後に、無事三男が生まれている。悪いことばかりは続かない。

 あとひとり、安田顕の怪演が見逃せない。毒舌を孕んだ冷酷さ。漫画家をいい金づるとしか考えず、搾り取るだけ搾り取ったら、あとはポイ捨て。血も涙も情けもない。まるでひとの生き血を吸う吸血鬼だ。かつては熱い編集者だったが、雑誌の廃刊を機に、“吸血鬼”に成り下がっていった、編集者・安井昇を最高に憎らしく演じている。

 このドラマ。ほんものの漫画家さんの描いた生原稿が贅沢にも毎回登場する。まずネーム。見ている側としては、漫画の舞台裏をまったく知らないから、このネームのラフさ加減に、驚く。こどもの顔?に見えたものが、実は自動車のフロントグリルだったりする。

 漫画家の日常も毎回出てくる。それが非常に面白い。第一、嘘臭くない。リアルなのだ。演出。描写が丁寧で細かい作画の描き込みへの指示とかも挿入していて、しかもくどくない。

 編集部の徹夜明けの描写。それがところどころに登場する。食事というとカップ麺で、朝から晩に飲みにゆくまで何も食べずに働くのもざら。昨今、若い漫画家の急死が報じられると、「またか……」と思うが、編集者もあまり長生きできそうな生活をしていない。

 毎話、毎話の密度が濃く、第2話ではじわじわ、人気が出始めてきた「タンポポ鉄道」というハート・ウォーミングな旅ものの漫画を、バイブス編集長の和田(松重豊)とは同期で、ライバル的位置関係にある、岡営業部長(生瀬勝久)が喫煙室で泣きながら読んでいた。そこから全国的にキャンペーンを行うことを2人で思い立つ。編集部から出向し、店舗まわりをするよう命じられた心は、営業3年目の小泉純(坂口健太郎)と店を回るが、そこでのセリフによる店の様子の描きこみ方がいい。本の並びがよく、ベストセラーだけでなく、話題本、新人の新刊本などがより多く売れるよう配置に気を配っていることが小泉のセリフによってすべてわかる。

 描く側の苦しみは作品の出来に比例する。第3話にあった副編集長・五百旗頭(オダギリジョー)の言葉である。これ、詩や小説にも同じことが言える。思うように書けないで、悪戦苦闘しているときにできた作品は、振り返ってみると、いいものだったりするのだ。

 第3話で描かれる「黄昏ボンベイ」のギャグ。「ボボボーボ・ボーボボ」のような漫画だろうか。こういうシュールなギャグマンガ、大好きな方である。わからないのが面白いのだ。全部わかってしまったら、身も蓋もないではないか。

 第4話。持ち込みに現れた漫画愛好者の中に、ダイアモンドの原石が隠れていた。中田伯(永山絢斗)という青年である。作画はドが付くくらいのド下手だが、描かれた世界がただごとではなかった。アングル、構図にも天性のセンスが感じられ、はっとさせられる展開、スリリングなアクション。この読み応え。作画以外は見るとこだらけの傑作漫画だった。彼、スクリーン・トーンの貼り方すら知らない、ずぶの素人。彼は自身の〈心の闇〉と闘っていた。ピーヴという怪物が出てくる。彼はこの闇〈ピーヴ〉に呑まれようとする心を救おうと闘っている。彼はいまも恐怖と闘いつづけている。

 また、こういう場面もあった。親に「おまえは才能がない」と言われた女子大生(東江絹:高月彩良)のことが描かれている。歳の行った娘であれ、おまえには才能がないなんて、口が裂けてもこどもには言ってはいけないセリフである。「こどもには無限の可能性がある」と云ったのはどこの誰なのだ。そんなに才能がないなら、よちよち歩きのころから「おまえは無能で何の可能性もない」と親が言ってやればいいのだ。そう言いつづけてやればこどもは働かず、ひきこもりになって、親の荷物になり果ててゆくのだ。それが親の望む道ならそうすればいい。

 ドラマの中間あたり、第5話に、異色のシーンがある。久慈勝社長(高田純次)の荒んだ少年時代・青年時代。母子家庭で、頭がよく医者になることを夢みたが、家が貧しく高校にすら行かせてもらえなかった。そして母親の突然の失踪。これをきっかけに青春期は荒れに荒れた。だが、ある時出会った老人に「善いことをして運を味方にしろ」と言われた。そして宮沢賢治詩集に出合い、これを読んで、泣いた。ただ、言葉が並んでいるだけのものなのに、泣けて、泣けて、仕方なかったのだ。これが本との出会いだった。やがてギャンブルも酒も煙草もやめた彼は、そこから成功への道を歩みはじめた。彼は恵まれた境遇ではない。だが決意してからは親ガチャを羨んだことはない。たとえ親ガチャでも、親が築いた人脈、折角の部下たちも息子が愚物なら、誰もついては来ない。そして運も食いつぶしては元も子もない。また、競馬や賭け麻雀で家を建てたものがいるか? そんなものはいない。宝くじが当たっても暗黒の人生を歩んだ者は多い。運をためろ。さすれば運はむこうから転がり込んでくる。それが社長の人生訓。

 この逸話、ものがたりの芯に据わってゆるがない。このシーンがあったお蔭で、ドラマが引き締まり、いっそうおもしろくなったと言える。

 第6話。吸血鬼だった安井が、逆に精気を吸いとられたような顔で編集部に帰ってきた。担当の作家だった東江絹にフラれたこと、残念さはおくびにも出さなかったが、明らかに身にこたえた様子だった。こういうことがあるたび、安井は相当な心理的ダメージを受けているんじゃないかと思う。

 「冗談でも、思っていないことは口にしない方がいい。言葉の力というのは凄いから」。中田伯くんが言った言葉である。言霊はおそろしい。言っただけで、思わぬ魔を呼び込んだりする。自分自身の生む暗闇に自分自身が食いつくされてゆく。他人に向かって云った言葉が自分を殺しにやってくる。自業自得とはこのことだ。

 第7話で中田伯くんのプライベートがちょこっと語られる。彼は親の年齢も知らない。顔すら満足に憶えていないだろう。覚えているのは、母親に“飼われて”いたこと。首輪をつけられ、鎖でつながれていたこと。食事も満足に貰っておらず、辛うじて栄養失調にならない程度くらいに“飼育”されていたこと。命令によって“支配”されていたこと。だから三蔵山先生の世話好きな奥さまのすることに、キレてしまうのだ。

 禍々しいもの“何か”の爆発。中田くんのネームノートを読んだ時の沼田さん(ムロツヨシ)の衝撃。衝撃の余りにインク罎を投げ、ネームノートを汚してしまう沼田さん。中田くんの闘っているものを見てしまった驚き、狼狽。中田君の才能の凄さ。天性の閃き。嫉妬しかなかった。沼田さんは、中田くんになりたかったのだ。

 「作品を作り出すということは、自分の心のなかを覗きつづけるということだ」。三蔵山先生のおっしゃった言葉だ。どんなに醜くても、情けなくても、向き合わなければならない。プロの心得のようなものだろう。創作に携わる者が負うべきもの。野木亜紀子の言葉には重み・するどさがある。

 書店に〈横のつながり〉があることは知っていた。ぼくも書店で働いていたことがあるからだ。系列店だけじゃなく、ライバル店の様子もわかるのがこの業界だ。僕の勤めていた書店は、駅前の2坪ほどしかない小さな店舗から旗揚げし、県内髄一の売り上げを誇るチェーン店に大展開したが、社長の裁量だけでやっていた店であった。だが社長の息子が性格に問題のある若者であり、店員いびり・パワハラはするは、客に命令するは、客と喧嘩するは、問題行動が多すぎた。そいつは「他人につかわれる立場になるくらいなら、働きたくない。つねに人をつかう立場でいたい。だから他人につかわれる他の会社には就職しない」と言っていた。だが、つかわれる側の立場に立って思いやる気持ちになれないひとは、人の上に立つ人間にはなれないし、なってはいけない。社長が病に倒れて死んだとき、2代目についてゆく店員は誰一人おらず、みな大挙して辞めていった。結局、書店は忽然と閉店した。言いたくはないがその程度の店だったのだ。

 第8話。年度計画会議での和田編集長の狂喜乱舞、ならぬ狂気乱舞がすさまじい。「本誌の利益率これ以上上げろって? なら他の不採算部門どうなるんスか。おかしいでしょ。過去のコンテンツを有効利用すべく、WEBで展開する名作アーカイブを企画し、使えるものは全部使っております! 本年度は間違いなく黒字真っ黒ブラックです。ブラック企業まっしぐら!(和田さん、意味間違ってます)」と松重豊の長ゼリフ、圧倒的なあっけらかんとした名・珍場面であった。

 「ピーヴ遷移」。ピーヴとは人間の恐怖にとりつき、精神をコントロールする怪物。中田くんの心の闇を実体化させたものがピーヴなのだろう。誰にも心の闇がある。魔物と闘っている。だからこの異様な作品「ピーヴ遷移」というものに、多くのひとが共感したのだ。怖いものは見たい。そういう想いもある。

 握り飯1個分の米を生むのに田植えから換算すると、270lの水が使われている。そういうセリフがあった。そんなこと普段ひとは想像もできない。人間は知らないことだらけ。世界は広い。このドラマ、いいセリフのオンパレードである。宝庫と言ってもいい。

 ただ、苦言をひとつ。こういうドラマのライバル誌って、何故忙しそうなのにわざわざ暇そうに他社(この場合はバイブス)のブースに嫌みを言いに来るとか、営業妨害をするとか、そういう逆鱗に触れるようなことをするような、悪役として登場させるのだろうか。まるでライバル誌とはそういうものだという決めつけで、作っているように見える。こういうところが紋切り型でつまらないのだ。そうではないだろう。ライバル誌が誰もが憧れる雑誌だったらどうだろう。そういう雑誌だからこそ追い越し、追い抜きたいという気にさせる、そういうドラマ作りがあってもいいのではないかと僕は思う。

 それにしても要所、要所でかかる、歌い出しがBob Dylanの“Blowin’ in the Wind”のメロディをそっくりそのまま拝借した、ユニコーンの「エコー」。イントロのギターのコード・カッティングが気持ちいい曲である。若干ラフだが、調ったカッティングはつまらないことをよく知っているひとのギターだ。このバンドのギタリストは、わかっている。音楽の何がおもしろいかを分っているひとだ。

 役者について。永山絢斗。彼が演じた中田伯は母親に追いつめられながらの特殊な環境で育った青年。永山絢斗は特別な演技をしているわけではないが、この、眼に見えないものと必死に闘っているような若者、共感力の欠如した若者を、繊細に演じている。

 もうひとり。蒔田彩珠。後田アユを演じたが、酒浸りのダメ人間に成り下がった父親を軽蔑しながら、学校ではいじめられ、自ら新聞配達をして家計をわずかながらも支えている。複雑な心をもった女子中学生を演じ、存在感がただごとではなかった。もともと凄いものをもった女優力満点の少女だ。この撮影の時中学2年生の13歳。中田くんが注目したのもわかる。この娘は雰囲気のある、いい娘である。そこに立っているだけで、絵になる。雰囲気を作れるひと、そんな女性はそうそういるものじゃない。

 脚本:野木亜紀子。演出:土井裕泰、福田亮介、塚原あゆ子。評価:B(☆☆☆)。