『左派党はという思想的にことなっていたはずの思想的対立は、自分たちの主張に固執する点で・・終わりのない不毛な公論へと変わっていく。(中略)

 問題は、現状打破への欲求、新たな思想を希求する心情が、理性的に、慎重に、検討された「中庸」にではなく、直感的で、刹那的な「極端」へと人々をかりたてるリスクをはらんでいることである。

 そもそも、右派の大多数は、ファシズムや戦争を望んではいない。左派の大多数もまた、個人主義化し、分断された社会を望んではいない。これまでを振り返れば、両者には常に対話の余地があった。国と同胞を愛するがゆえに、仲間たちの貧困を憎む右派、靖国に足を運び、暴力によって命を奪われた英霊の反戦の声、A級戦犯たちの心からの懺悔を聞く左派がいてもよかったはずだ。(中略)

 だが、そうした歩みよりはなされず、それぞれの主張が伝統主義化し、自分にとっての正義を他者に押しつけあう姿を、私たちはなん十年も見せられてきた。人々は、聞かなくても内容がわかる左右の対立に愛想をつかしつつある。

 いっぽう、こうした状況を好機ととらえ、人々の無関心をたくみに突く人々が現れる。<小さな権威主義>の問題である。それは、道徳に立ち向かう態度をとり、既存の議論の枠外へと論点をすりかえ、常識では考えられなかった「極端」な議論をあえて展開することである。』

 

 以上、少し長くなりましたが現状認識として具体的に示されていますので取り上げました。

 こうした状況認識から筆者は、本書において、『「エクストリーミズム(極端主義)」への指導者の意図的な逃走、国民の無意識の闘争』として問題提起をしています。

 

 私たち戦没者遺族会としても、目的は、国に殉じた御英霊の顕彰と平和の希求ということです。戦前のような体制をを礼賛しているのではなく、戦争は絶対あってはならないための活動をしています。ただ、歴史を学ばない国家主義的な極端な考えは排除されなければなりません。