ダーウィンの悪夢 | ここで、そこで、いろんなところで

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日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち

enclosed cycle(閉じられたサイクル)


かつて、生体学者のバリー・コモナー博士が地球のことをそう言った。

これは地球環境のことを扱った本のタイトルでもある。


「ダーウィンの悪夢」を観ていて、ふとその言葉がアタマに浮かんだ。

アフリカのタンザニアで起きている出来事だけれど、本当は私にも繋がっていること。


淡々としているしあまり抑揚のないドキュメンタリー。

途中で眠気が襲う。


でも、段々と眠気が吹っ飛ぶほど、この映画は恐ろしい。


ヴィクトリア湖に放流されたナイル・パーチをめぐり、人々が群がり、スラムができ、オンナは娼婦になり、エイズが蔓延し、ストリートチルドレンがあふれる。


ナイル・パーチはヨーロッパや日本(日本では白スズキの名前で売られている)に輸出される。

でも、それは高くて地元のタンザニアの人たちの口には入らず、貧困や食糧不足が慢性的であり、援助物資が国連から届く。


国連が買う援助物資を納品する企業が潤う。

近隣で内戦が多発しているため、大量の武器が売買され武器商人が国と手を組み暗躍する。

ナイル・パーチを運ぶ飛行機は、武器や援助物資を載せてやってくる。

先進国はアフリカの内戦や貧困を歓迎しているのだとジャーナリストは言う。


加工されたあとのナイル・パーチのアラは山積みされ、ウジがわく。

それを油で処理して地元の人たちの口に入る。


ケンカをし、奪い合い、安価なドラッグで恐怖を忘れる子供たち。

年上の少年たちからのレイプを恐れ、同じ年頃の少年たちの中に身を潜める女の子。

今日を生き延びることで精一杯だから、夢や希望がない。


登場人物が答える

「戦争が起こればいいのに・・」


私がもしここに生まれていたら、同じことを考えるのかもしれない。


ここに登場するのはコインの表ではなく、裏の話。


先進国の繁栄の裏で、生きている人たちの話だ。


映画を観て外へ出て、街の中を歩く。

モノや食べ物が溢れている。


先日までバーゲンの中でウキウキとしていた自分が薄っぺらく思える。


私たちは閉じられたサイクルの中で、生きている。

地球の裏側で起こっていることは、決して関係のない話ではない。


パイロットの言葉が重い。

彼はかつて、アンゴラに武器を運び、その帰りにヨーロッパにブドウを積んで帰った。

「アンゴラの子どもはクリスマスに銃を贈られ、ヨーロッパの子どもはブドウをもらう」

そして言う

「世界中の子どもたちの幸福を望むが、どうすればいいんだろう。言葉が見つからない・・・」


言葉がみつからない。


ダーウィンの悪夢