8ビートの恋《前編》 | そらねこカフェ・店主ゆぎえみ

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日々の思いを書いてます。

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『冬は寒いから嫌い』

『そお? 窓の景色が変わるじゃない?
だから私は好きだよ、冬』

『暖かい部屋から見てるからだよ』

『そっかな? 雪はきれいだと思うよ。真っ白で、朝日が当たるとキラキラしてて』

彼女は前を向いたまま、ゆっくり手を動かしました。

『手がかじかんで上手く動かないよ。寒くて辛いだろうってわかっても、頑張ろうねって返せない』

彼女は声も出さずに泣いていました。

私は黙って泣き止むのを、側に立って待っていました。

いつだってそう。
私は傍らにいるだけです。



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『ねえ、お願いなんだけど。付き合って欲しい所があるの』

そう言って、かなり年下の友人であるRayさんが、上目使いに私を見ました。

綺麗な目だなぁ。

私はいつもながら、ふぅっと見とれます。

珍しく、彼女は少し照れくさそうにしています。

そして、ぶっきらぼうに渡されたのは、インディーズの、ロックバンドのコンサートチケットでした。

Rayさんは若くて美しく、バリキャリな編集者です。

かなり根性がある。

そうです、ぐうたらな私には死語に近い、『根性』というものがあるのです。

Rayさん綺麗ねって褒めると、『努力してますから』と、しれっと答えます。

長い髪はいつもサラサラだけど裾だけくるんって巻いてます。

白い肌に形の良いパーツが収まっています。


いつでも流行りのポイントを押さえた、清潔感のあるお洒落をしているRayさん。

私に好きな人が出来たら、紹介をもっともためらう女性です。

だけど彼女なら、とられちゃっても諦めがつくかもしれない。
なんと言っても、彼女は完璧な努力家であり、強くしなやかな心根まで持ち合わせた、私の理想の女性だからです。


彼女は耳が聞こえません。

初めて会った時、手話の出来ない私に、「なぜ手話を習わないんだ!」と言った高飛車さが気に入って付き合いが始まったように、Rayさんはいつでも強気に攻めます。

彼女は手話だけでなく、身振りや手振り、筆談や読唇と、あらゆる手段を使い、とても自然に会話をします。
それは、彼女が人に気を遣わせない為に編み出したわざであり、どれだけ大変であったかは計り知れない事ですが、お陰で私は、何不自由なく、Rayさんとの会話を楽しむ事ができているのです。

しかし、あの日の彼女の申し出に、私は一瞬戸惑いました。

ロックのコンサートです。

了見の狭い私は、耳の不自由な彼女を、音楽というものから無意識に切り離していた事に気が付きました。

『私が行ったらおかしい? 相変わらず閉鎖的な偏見が抜けていない人ね』

携帯画面に、数秒で文字が打たれます。

『そうじゃないの。急にどうしたのかと思っただけ』

あたふたと言い訳をする私に、Rayさんは、言いました。

『このバンドのドラムがね、ほら、前に話した、私の初恋の彼なの』

懐かしそうに、そしてとても大切そうにRayさんは言いました。

そうか...
彼のライブだったんだ。

以前、Rayさんは話してくれた事がありました。
意外と遅かった初恋の話。

その彼の、単独初ライブであるのなら、行かないわけには行きません。

Rayさんの初恋、それは、Rayさんが聾学校に通っていた、中学2年生の事でした。

Rayさんの生まれ育った街では、毎年秋に区民運動会が開かれます。

年配の方から就学前の子供まで、世代を問わずして参加できるこの運動会は、伝統があり、街の一大イベントです。

そして、中でも10歳から15歳の子供達で争う騎馬戦は、種目の中でも花形で、大いに盛り上がる競技でした。


『私、耳は聞こえないけど、目が良いのよ。それに動体視力が優れているの。だから騎手をやりたかった』

彼女は得意気に話します。

『でもね、音が聞こえないからね。。。気配は感じるんだけど、やっぱり仲間の指示が聞こえないのは不利ね。 沢山の目には叶わない』

大将一騎とその他に6騎がひとチームとなり、赤と白に別れて戦う14騎の騎馬戦は、観戦者達の声援に混じる指示も、重要な戦力となります。

『後ろから来てるぞ!』

『もう一騎来てるぞ!』

『逃げろ』

『右だ!左だ!』って。

いくらRayさんが俊敏でも、確かに不利かもしれません。

しかし、区長さんと体育役員さんが、そんなRayさんの気持ちを汲んで、両チームに1人ずつ、『指揮官』なる者をつける事にしてくださったのです。

ある程度まで馬に近づいて、騎手の耳となり、もうひとつの目となって指示を出せる役で、総監督といったところです。

これが設けられた事で、その年の騎馬戦は一層もり上がり、運動会開催前から何度も、作戦会議が開かれました。

その結果、敵陣である白組は笛を使いました。

ピー 逃げろ
ピピ 後ろ

だけど、どの馬に対して出している音なのかまでは伝わらず、結局は口での指示に、大観衆はほのぼのと大笑いだったそうです。

紅組、Rayさんチームの『指揮官』は、Rayさんの乗った馬だけの『耳役』として役割が絞られました。
そして、この『耳役』をかって出てくれたのが、同じ年である、Rayさんの初恋の彼でした。

何度か行事で見かけた事はあっても、話した事はない彼でしたが、すぐに打ち解けました。
彼を含め、馬になる少年達と何度も打ち合わせをしたそうです。

『普通校の子と毎日会うのはいい刺激になったわね、まあまあ楽しかった。彼は剣道をやってたから、なかなか機敏な動きをしてくれたわね』

あくまでもRayさんは上からです。

Rayさん達は、サインを決め『耳役』の動きに合わせる練習をしました。

それは毎日行われ、とうとう当日を迎えました。

馬に乗ったRayさんは、周りに気を配りながらも彼を見ます。
馬になっている少年達は彼から目を離しません。

スタート!

カードを横に滑らせるように、Rayさんは相手の騎手の帽子を落としました。

彼の左手が大きく円を書きました。

後ろから来ています。

右手が垂直に上がりました。

Rayさん達は左に移動します。
打ち合わせ通りです。

彼の両手が上がりました。

Rayさんの乗った馬は真っ直ぐに走り出しました。

彼の手が降りるとピタリと止まり、動きに合わせて方向を変えます。

まるで彼の振る手に操られているようだったとRayさんは言いました。

帽子を取られたり、馬から落ちたら整列して座ります。

広い騎馬戦のステージには、相手の大将とRayさんの2騎だけが残りました。

ここからは一騎打ちです。

耳役の彼は、Rayさんに向かって、腕を曲げて力こぶを作る仕草をしました。
それから自分の胸をこぶしで叩きました。

ーガンバレー

『嬉しかった。それから気持ち良かった。私ね、あの時、耳が聞こえないなんて忘れてた。声が聞こえた気がしたもの』

やっぱり時々は、コンプレックスが頭をもたげると彼女は言います。

どうにもこうにも辛くなって、気持ちがあらぬ方向へ向いてしまう時は、あの日の事を思い出すそうです。

馬になってる少年の足に、力が入るのが分かったあの時。

サイドを支える少年の唇が『落ちるなよ』って動いたのが見えたあの時。

『観戦している人達の掛け声が、振動になって伝わってきて、私のコンプレックスはぶっ飛んだ』

顔を真っ赤にしながらRayさんはそう言いました。


敵陣の大将はひとつ年下のすばしっこそうな少年です。

Rayさんの馬は、相手の隙を見付けるように、弧を描きながら回り込みますが、それは相手も同じです。

お互いに、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

不意に、耳役の彼の右手が上がり、つられたRayさんは、とっさに左へ体を引きました。

その時です。

相手の騎手に、一瞬隙が生まれました。

Rayさんの言葉を借りると、

『鶴が羽で掃いたようだった』と。

少し言い過ぎな感もあるけど、鶴の羽に掃かれた敵陣の大将の帽子は、ヒラヒラと舞い落ちて、大きく歓声が上がりました。

敵も味方も総立ちです。

Rayさんと敵の大将はガッツリ握手をしたそうです。
(私的にはこの子が好き!)

Rayさんの耳役の彼は、両手を大きくあげてからガッツポーズを作り、Rayさん達に走り寄りました。

Rayさんも、馬になっていた少年達も、飛び跳ねながら彼を迎えたと聞きました。

だけどRayさんには彼しか見えてなかったはず。

あの日、あの時、あの瞬間、彼女は彼に恋をしたのです。





ライブ当日は現地で待ち合わせました。
ホールは小さめでしたが、満席でした。
前から5列目、中央左よりの席からは、ドラムのポジションが良く見えます。

一瞬ステージが暗くなり、再び明るくなりました。

ドンドンドンドンドンドン

バスドラムが響きました。
会場の板を伝って足もとから、体に届きます。


ズンタン! ズズタン!

スネアドラムが入りました。


トコトコトコトコ

ロータムが可愛らしく響きます。


スティックを握った彼の両手が大きく振りかぶり、クラッシュシンバルが鳴り響いて、ボーカルが歌い出すと、客席は総立ちになりました。


背筋を伸ばし、細かいリズムを刻んでいる彼は想像とは違い、線が細く、背の高い青年でした。

まあるいメガネをかけていて、ゆったりとした白いシャツを着ています。

ドラマーって言うより、文学青年みたい。。

Rayさんは微動だにせず、彼を見ていました。


数曲が終わり、また照明が落ち、スポットライトがドラムの彼だけを映しました。

静まり返ったステージの中、彼がスティックを振りました。

カツカツカツカツ

カツカツカツカツ


スネアドラムの縁を叩く、リムショットです。


体に響くバスドラムも、クラッシュシンバルも使わずに、彼は規則正しい静かな音を鳴らし続けていました。

こんな小さな音で、Rayさんにも届いているのだろうか。。。


私は少し不安になりました。

Rayさんは、胸の前で両手を組んだ姿勢のまま目を閉じていました。


カツカツカツカツ

カツカツカツカツ



その時、あっ!と思いました。


細かく静かなリムショットのリズムが、床板と壁を伝い、さざ波のような振動になって体に響いてきたのです。

規則正しいエコーのように、音が音を巻き込んで、胸のあたりに入ってきます。

何これ!

すごい!

Rayさんの体が小刻みに揺れています。
組んだままの指が小さくリズムをとっていました。


彼の手が止まりました。

ギターがイントロを弾き出して、ベースが音を重ねる頃には、またバスドラムが響き出していました。