そらねこカフェ・店主ゆぎえみ・そらねこ会ブログ

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そらねこ会は、『今ある命を大切に、不幸な命は増やさない』をコンセプトに活動している猫ボランティアチームです。


日々の思いを書いてます。

猫のボランティアチームそらねこ会です。 日々の活動や思いを書いています。 不思議な空間、そらねこ会アジトより発信しています。 猫のこと そらねこ会アジトのこと 不思議空間 癒し空間 隠れ家ダイニングカフェ・そらねこ屋

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10年前に書いた、懐かしい私の文章です。パソコンから見つけました。



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実は私、自宅から1キロほど離れた所に、秘密の基地を持っています。

そこは偶然に見つけた場所で、こんな所にこんな物が!と思えるほどの異質な空間です。

住宅地を抜けて路地をいくつか曲がり、行き止まりになるのではないかと思える程の細い道を歩き、繁った木と木の間を抜けると、瓦礫や採石を置いている、以前は明らかに採石関係の作業場と思われる広場に出ます。
事実、辺りには大きな石や、砕いて形を作り始めたばかりの石、 どこかのビルを壊した時に出たと思われる大きな欠片が小山を造っていたりします。
そして、それらが不思議な現代美術のオブジェを思わせる雰囲気をかもしだしていて、決して不法投棄的なさびれた感じがしないのです。


ぐるりと何十にもケヤキや知らない雑木に囲まれた広場の端っこには、トタンで出来た小屋があります。古い木枠がはめ込まれた窓もあって、入り口は木の引き戸。意外と滑りも良くて、戸はいつでもすっと開きます。



中には埃を被ったトラクターが一台。

壁側には使わなくなったタイヤがきれいに積まれています。床はなくて、直接土です。


油と埃の混じった匂いがします。


そしてトラクターの陰には藁が積まれてビニールシートが掛かっています。

その前には以前休憩に使ったと思われる錆びた折り畳みのパイプ椅子が6脚。畳んでたて掛けてあり、錆びて持ち手の折れたスコップがひとつ。
それだけです。




昨年の春、この基地へ繋がる路地の近くで、その生物をみました。


赤茶に近い黒い色をして、首に白い紙を巻いたような柄のある痩せた生き物。


「針金細工に薄い幕を張った」という形容がぴったりの生き物が歩いていました。



どこかの小さな子供が指さして


「なんだあれ!」って声をあげた程でした。

それがこの秘密の基地の番人である、黒い猫、くうちゃんと私の出会いでした。
普通だったら動ける痩せ方ではありません。


猫生活の長い私ですが、あそこまで悲惨に痩せた猫を初めて見ました。

子供の頃から狭い路地や、あまり人の入らないところを歩く事を得意としていた私は後を追いました。

幸いにそれ程急いで逃げるわけでもなく、私はこの基地を発見する事ができたのです。

トタン小屋の西側面下には地面との隙間があって、くうちゃんは、そこから小屋へ入って行きました。

私は小屋の周りを一周して、広場を探索してから 一旦自宅に引き返しました。

猫の餌(カリカリ)、餌入れになりそうな器2個、マスク、軍手、パン(自分用)、懐中電灯、水、の7つ道具をトートバックに入れて、再度出かけました。
決して走ったりしません。


慎重にトレースを辿って、再び秘密基地に到達した時は、叫びたいほど嬉しかった。


わかっていただけたでしょうか。
私の喜び。
ここまでの作業を淡々とこなして、平静を装い、決してはしゃがず、引き返してきたのです。
声に出したりしたら消えてしまいそうな場所。


「やっぱりもう行き着けなかった!、何だったんだろね、あの場所」で、終わってしまいがちな不思議なスペースです。
私は再び戻れたんです。

やったー三 (/ ^^)/


私の秘密基地。



木の引き戸をそーと開けるとトラクターの運転席にくうちゃんが座っていました。

目をまんまるにしてこっちを見てます。

そーと入り口付近にカリカリを置いて、また そーと戸を締めました。

その日はもうトタン小屋には近付かないで、広場をゆっくり散策しました。


平たい石の上に座って、持ってきたパンを食べて水を飲みました。


静かです。
春の穏やかに晴れた日、鳥の声と、風の音だけします。
木々にぐるりと囲まれた空間に浮かぶ空は、やっぱりそこだけくり抜いたように見えました。20年位前に戻ってしまったような空間。
まるでそこだけ 時間が止まっているかのようでした。


それから私はほぼ毎日そこに通いました。

1キロ程度という距離は ウォーキングには調度良く、また微妙に面倒くさい距離です。
しかしあの子が待ってると思えば重い腰も上がると言うものです。


けれど実際には、あの至福の時を待っていたのは私の方であったと思います。


くうちゃんは少しずつ太っていきました。 そしてまた少しずつ私を認めてくれるようになりました。


私が行かれない時のために不本意ながら、2名の友人に基地の場所を教え、(また訳のわからない事を始めたと呆れつつも良くやってくれています)くうちゃんを紹介したりしましたが、くうちゃんは私以外の人間にはなつかない。
嬉しくもありましたが、突然入院の要素を抱えている私は不安でもありました。が、それがくうちゃんでした。



秋になる頃、くうちゃんは避妊手術も済ませました。
その頃になると、私の膝に乗って甘えるようにもなりました。


しかし普段はきちんとトラクターの運転席に乗っかって、秘密基地の番人らしく、凜とした日々を送っていました。

1日一回伺うだけの私も、彼女が愛おしく、心配で、なるたけそばにいてやりたいと思うようになりました。


あんなにやせ細るまでの間に何があったのか沢山の疑問もあったのですが、今は幸せにそうにしていてくれるくうちゃんといられる事が、私なりに嬉しくてなりませんでした。


秋も深まり、少々肌寒く感じ始めた頃、戸外で長時間いる事が辛く感じ始め、私はこの頃からトタン小屋に侵入するようになりました。


パイプ椅子をひとつお借りして座りました。

膝掛けも持ち込み トランジスターラジオを持ち込みました。


最初は膝の上にくうちゃんを載せて時間を過ごしていましたが、この場所の心地良さに取り憑かれ始めた私は、今度は小さなテーブルを持ち込みました。
文庫本も幾つか。

文章を書くことが仕事のひとつである私には、この電気の通ってない書斎を持ってから作業がはかどりました。

バイトのない日は秘密基地にお弁当持参で出掛けるようになりました。


偉そうな表現で申し訳ないのですが、筆が進むのです。
自宅で書くより数倍の速さで書ける。
偉い作家さんがホテルに缶詰めにされて書くと聞きますが、少しわかる気がしました。

冬は湯たんぽです。
膝の上に湯たんぽを置いて、毛布を掛け、くうちゃんを抱いて書きました。



年が明けて、また春になりました。


風が強い日はトタン屋根の剥がれたところがバタバタいって、かなりうるさく、紐で結んだり ネジでとめたり、私なりに修理もしました。

ただ雨の日だけはどうにもなりません。ブリキのバケツを頭から被って、何かで叩かれているようです。
しかし、それもまた悪くはない。
音というバリアに包まれて、本当に異空間です(変態的ですが)

そんなある時、私は藁とタイヤの隙間に古い学習ノートを見つけました。

小学校4年生
〇〇〇〇〇
男の子のものです。かなり古い。



10年前か20年前かわからないけど、本当にそれ位古い国語のノートです。

きちんとした字。
だけど後ろの方に
大きく「バカ」って書いてある。


異空間にいるせいか、私は思わずホロリとしてしまいました。

この空間だけじゃなくて、街のほうまでこのケヤキが続いていた頃に、学校帰りの少年が、やっぱりそっと、この小屋の引き戸を引いたのでしょうか。


それとも、家出を計画した少年がこの小屋で泣いていたのかと。


だとしたらかなり真面目な少年です。家出にもノートを持って来るのですから。
20年前だとしたらもう30歳近くになっている少年は、元気にやっているのでしょうか。


家出にノートを持ち込むくらいだから、きっとエリートサラリーマンになってる事でしょう。



タイムマシンとどこでもドアを使って、少年のもとへ行けたなら、「頑張ってるね」って声をかけたい。(逃げるだろうな。トラウマになったりしてあせる)


私の空想は果てしなく続きますが、いくら素敵な小屋だからといっても、忍び込むのは少年や少女であるから物語になるのであって、怪しい大人がやってるのは少しやばいかな?と、やっと少し思い始めました。そろそろ書斎は閉めないといけないかな?


街に続く今は無いケヤキ並木の先から、人の営みと話し声が聞こえてくるようです。

もしかしたら私の書斎は何十年もの間、いろんな人たちに使われてきたのかもしれません。



そう言えば、友人達に不法侵入だと脅されていますが、私は一度もここでくうちゃん以外にあった事がありません。


もう通い始めて一年以上経ちましたが、ただの一度もです。




しかしある日のこと、私の秘密基地、トタン小屋の書斎の入り口に、立て札があったんです。
心臓が止まりそうだった。

時を超えてこの書斎を使っていたのは私だけではなかったようで、管理人さんはちゃんといらっしゃることが判明しました。



「小屋を使ったらきちんと閉めてください。
夜は早めに帰りましょう」


本当に驚いた。


そして何とも寛大な管理人さんだ!!




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時は流れ、諸々の事情もあり、今、くうちゃんは私の家の外猫です。




数匹の外猫たちとお姫様気分で暮らしています。



けれど随分年をとりました。


口の中が痛いのか、涎がいつも出ています。


下の歯の向きも変だし奥歯もボロボロ。顔を触られるのも痛そうでした。



いつもお世話になっている先生に相談したら抜歯をしてくださることになりました。




一泊入院を予定していたのに、凛としたくうちゃんは、日帰りで帰って来てくれました。


先生の技術が先生の処置が最高なのに、『私は不死身よ』と言わんばかりに帰ってくるなりご飯を食べて少しぼーっとしながら普通を装ってたくうちゃん。



夜中に様子を看に行ったら、今の小屋の中で、お腹を出していびきをかいて寝ていました。


今、口の痛みもすっかり収まり、以前よりもっともっと凛として、お姫様気分を加速させつつ、毎日バタバタしている私の番人をしてくれています。
これからもずっとよろしくね。







先生、スタッフの皆様、くうちゃんのことありがとうございました。


私、また頑張れそうです。








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ボランティアの位置付けはなかなか難しいけれど、自分の想いがあり、やりたくてやっているものだと思っている。エゴと紙一重になる恐れもあると肝に銘じ、注意しながら進めているつもりではあるけれど、どう考えても理不尽だと感じる出来事に度々遭遇する。

猫のボランティアをしている私は、当然だけれど、猫に関する活動をしている。私たちのボランティアチームのコンセプトは、不妊去勢手術を最重要とし『今ある命は大切に、不幸な命は増やさない』というものだ。今、同じ時を共に生きていくためにも、不妊化手術の大切さだけは、迷わずに絶対だと断言できる。猫の繁殖力は非常に強く交尾した場合の妊娠確率はほぼ100パーセントだと言われている中、年2~3回の発情期の中で、合計10匹程度の子猫を産む。その子猫も早ければ半年後には子を宿すのだから、一軒に成猫が20匹以上なんて容易なことだ。一般家庭に20匹の猫。それは好き嫌いに関係なくマイナスイメージに繋がる場合が多い。管理が行き届かないが故に様々な問題が起こるからだ。猫自体の体調も看てやり切れない。ましてや不妊化手術を施していない20匹の猫たちが、これからどんな勢いで増えていくのか、猫ボランティアをするようになってから目の当たりにしてきた。そしてこのような家がどれほど多いかを知り、非常に驚いた。外で、多頭飼いをしている場合は近隣からのクレームもある。それを飼い主に問うとまったく共通な台詞が返って
くるのも驚きのひとつでもあり、多頭飼い者の特徴だ。『もともとは野良猫だし、自然にいなくなるからこのままで良い』と。この台詞は、どこかにマニュアルがあるのかと思われる程、みごとに一致する。自然にどこかになんて行かない。多すぎて弾きだされるだけだ。そうでなければ事故や病気で死んでる。どんどん産まれてどんどん居なくなるから、気付いていないだけだ。
手術をしないまま家の中で増やしている家はもっと悲惨であることもわかった。どこへも行けない分、数も多い。50匹~60匹なんてそうそう驚かなくなった。餌が行き届かず飢える。子猫を産むのを待って、産まれたら、子猫は瞬時に雄猫に食べられてしまう。まるで雄猫が子猫を食べるために、雌猫を飼育しているような無残な現象が生まれている。
先日、ご近所から市役所に通報があり、役所の方に同行した現場はまさにそんな惨劇が繰り返されている家だった。激しい悪臭をたどり、この家だと迷わずわかった。わずか12畳のスペースに62匹の成猫がいた。産んだ瞬間に食べられるから、ここ数年は、この数が保たれていると家主は普通に話した。人は悪しきことにも慣れるんだ。そして感じなくなる。そんな中でも、私たちはまずやれることをやるしかない。やりながら次のステップを考える。62匹の不妊化手術は協力してくださる病院に運び、3週間で終わったが、24匹が既に妊娠していた。堕胎手術は切ない。後、一週間もすれば産まれてきたはずの胎児もいた。先生方も切ないと思う。協力病気の中の一人の先生は、胎児を綺麗にして返してくれる。子宮を取り出すと酸素が行かず胎児は死ぬ。でも生きてるのだから、苦しむ時間が長引きそうであった場合、薬で早めに逝かせる。そんな理由を話してくださった。その時、病院を出たあと、泣けて仕方なかったが、だから頑張れる気がした。命に真摯に向き合えなければ続けられない。命に真摯に向き合い続ける先生の元でなければ、続けられない。

毛の柄もわかる胎児。何の権限で、私たちはこの子らを殺すのかと。きれいに整えられた胎児に手を合わせながら、忘れないよう、慣れないようにしたい。大切だと思いを教えていただいたと感謝している。


『生まれたら命、出てくる前なら堕胎』勝手に引いてる線引きのもとに動いていることも忘れないようにしようと思う。
仕事以外のすべての時間を使ってもそれでも間に合わないことが多く、何か対策を考えたい。とにかくおなかに子供を宿す前に不妊化手術がしたい。


また、非常に悲しく、法律に対して腹立たしいことのひとつに、飼い主が沢山の猫を残して亡くなったり、失踪してしまうとこだ。一匹や二匹なら何とかなる。しかし大概不妊化手術はしていない成猫が把握出来ない程いる。元飼い主は独り暮らしのお年寄りであったり、自国に帰ってしまった外国人であったり、若くても個人の事情により働けない人など様々だ。そして今月に入り、飼い主が突然死してしまった現場の相談を2件立て続けに受けた。偶然とはいえ、2件は似たケースだった。60代と40代の独り暮らしの男性で、精神に障害をもっていたとのことで、お二人とも財産管理の成年後見人がついていた。どちらも家の中と外を自由に出入りさせていた猫たちが20匹~30匹くらいいて、猫が出入り出来るように、四角い穴がドアに開けられていた。何年もこの状態でいたのだろう。突然飼い主を失った猫たちは、ゴミをあさり始めた、他人の家に入り食べ物を盗んだりして苦情となる。今回は2件とも残された猫を案じてくれた近所の方の早めの相談だった為、体調も良さそうで、すぐに手術にとりかかれた。家もあるので、手術をし、餌の管理をしながら何か方法を探
そうとした矢先、一軒の家は猫の出入り口の穴が塞がれ、張り紙がされていた。『ここでえさやりをしないでください。猫は捕まえて処分します○○氏後見人』電話番号も書かれていたので電話してみたところ、いずれ壊す家なので、その前に猫は処分するとの一点張りで話がつかなかった。処分すると言っても、はじからどうやって捕まえるつもりなのだろうか。そしてどこで命を絶ってもらうつもりなのだろう。何か他の方法を模索してはいけないのだろか?
もう一件の飼い主を失った猫たちの後継人さんも、早急に家を壊し、更地は売りに出す、売れたお金は亡くなった方の親戚の方に渡し、成年後見人としての役目を終わるとのことだった。私は非常に落胆した。近所に住む親戚の方々は、手術をし、世話をしている私たちに『申し訳ないです。ありがとうございます』と確かに言った。しかしその後の確認では、野良猫であり、亡くなった方の猫ではないと言いだし途方に暮れかけたところ、こちらの現場を一緒に捕獲手術し、後の世話をしてくれていた民生員さんに救われた。『次郎君(亡くなった40代の方)ちはお父さんの代から猫を可愛がっててね、村中が知ってることなの。この猫たちは次郎君の猫。それを無視して家取り壊して、猫のことは知らないなんて言わせない』村中を知り尽くしている70才くらいの女性の民生員さん。なんと心強いことだったか。区長さんにも相談して確認し、その旨を後見人さんに伝えた。こちらの後見人さんは猫を飼っていたことはまったく知らなかったが、そういうことなら、亡くなった本人が残した財産の一部として認めてくれた。(負の遺産か否かは別として)これ
は画期的なことだった上に、今後の話合いをする事となった。
後見人になる方は、弁護士さんや司法書士さんなど、他に主たる仕事を持っていて、社会的信用と経験があり、国が認めた方とのことだ。後見人を必要とする方の財産管理を、なるべく本人の意志に沿いつつ、本人の財産が不当に使われないよう管理するこの仕事は無償に近く、こちらもボランティアとも言えると思った。しかし、法律が明確で無いこと柄に対しては、後見人さんの裁量が決め手となる。
後見人になる方々は、後見人勉強会を定期的に行い、自身が直面したケースにどう向き合い、どのように決めたかなどを発表して意見交換会などを開くそうだ。いろいろなケースと、それにどう対応したかを聞き、今後の参考にするとのこと。なかなか手探りな部分もあり、大変なのだと思った。反面、後見人の人柄や興味、指向が反映するのも確かだとも思えた。残された動物をどうするかまではあまり例がなく、今後増えるであろうこのような問題解決の良い例になるように、相談しながら対応すると言っていただけたのはありがたかった。



この文章を書いている時、山口県でお母さんの実家に帰省していた2才の男の子が行方不明になった。猛暑の中、まだ見付からないのか、今日はどうかと思っていた3日目の朝、ボランティアで捜索に入っていた男性が男の子を見付けた。このニュースと男性のコメントはテレビで何度も流され、新聞でも詳しく報じられた。65才から78才の今に致るまで、全国各地、災害ボランティアとして参加しているこの方の、『ただ人の力になりたい』というシンプルな想いにはすごく感動した。


ボランティアは自分の想いがあり、やりたくてやっているものだと思っている。エゴと紙一重になる恐れもあると肝に銘じ、注意しながら進めている。けれどこの男性から、私が時々陥るようなエゴはまったく感じられなかった。






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これは、猫の苦情が多く、様子を見に行った現場での話です。

その日、その場所にはうっすらと雪が積もっていましたが、陽があたり、黒い土が所々みえてきていました。



そして薄雪が溶け出したある一部が、金色に光っているように見えました。

まるまった物体。

狐かな?と思って近付くと、黄色っぽい猫でした。


死んでるのかな?


そっと触るとまだあたたかくて、ぽんぽんっと叩いたら首を上げだのには驚きました。



骨と皮だけで目も見えていない様子のその子は、もたげた頭も振れていました。それでも生きてる。

悲しいことに直面することは多いのですが、ここまで酷い状態も珍しい程でした。



2月の終わり、ふきのとうが顔を出し始めた頃の出会いだったから、メンバーがこの子に『ふき』と名前をつけました。



後でわかったことですが、ずっと前からこの地域のあちらこちらでご飯をもらっていたふきは、子育て上手なサビ猫。



人が大好きで誰にも懐いてのんびり暮らしていたそうです。

けれど時代が変わり、

外猫に餌をやってはいけないとか、家の外に出すなとか、不妊手術をするとか、いっぱい制限がでてきました。



ふきが暮らしていた地域の人々は年配の方が多かった。

じいちゃんばあちゃん達もどうしたらいいんだか、手段がわからなかったのかもしれない。



生きてるものだからかわいそうだ。



だけど餌をやったらいけないといわれる。


飼うなら家の中へ入れろと言われる。

多産なふき。

子育て上手なふき。

ふきだけには餌をやらないようにしようって、暗黙のルールができたのだと知って愕然としました。

地域の人々も切なかったと思いますが、恐ろしいくらい悲しいことです。


切なかったけどどうしようもなかった。

人の心のあり方の、別の意味でも、なんだかすごく怖く悲しい話でした。



ふきが、自分だけご飯がもらえなくなってもその地を離れなかったのは、この場所が好きだったんだと思います。



きっと楽しかった頃の思い出がいっぱいあったのかな?

ばあちゃんになでてもらったり、

じいちゃんにお炬燵に入れてもらったり、

ふきの子どもたちを、かわいいかわいいと誉めてもらったり。

急に自分だけご飯がもらえなくなり、追い払われて、ふきには何が起きたのかわからなかったんだと思う。


それでもふきはそこにいました。















朦朧とした中、目を醒ましたふきは、そらねこ会のアジトにいました。

そらねこ会のアジト、ふきにはどんなふうに映ったかな?



あれからもう一年半です。少しずつ体力もついて、なんと歩けるようにもなりました。


暑い夏。
夕方の涼しい風。
突然のかみなり。



でもふきはのんびり暮らしています。



かわいいふき。
子育て上手なふき。肝っ玉かあさん的なふき。

『ここで暮らしてやるかね』


そんなことを言ったとか言わないとか(笑)




私は思います。不妊化手術の大切さを改めて本気で思います。

まだまだ病院への安全な搬送方法を知らない人が多い。

そして今は、術後のケアが最小限に抑えられ、なおかつ安全で安心な手術をしてくださる獣医さんが沢山いらっしゃることを知らない。



行政と協力してむやみに増やさないことを大前提とし、今ある命は大切にするため、胸を張って堂々とご飯をあげて、大切にできるようになれたらと願います。

ふきのような子は切なすぎます。



人間の弱さの原点をみた気もした、そんな現場の話でした。







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私が時々通る道にとても洒落た家があります。

門があって、石畳が続くとてもりっぱな家で、庭には白い犬が繋がれていました。


もう老犬です。
私が通り掛かるとしっぽを振るので 撫でたいなと思いますが 敷地の中に入らなければならないので いつも声だけ掛けていました。


「こんにちは」


声に反応してまたしっぽを振ります。
頭のいい犬です。

だけど最近になって、家の灯りを見なくなりました。
いつもきっちりとしめられた雨戸とガレージ。


私はなんだか不安になって毎日そこを通っていました。


ある日、絶対鳴かない犬が鳴きました。くうーんと言ったその声は、確かに私に向けられていて、掠れていました。

いてもたってもいられなくてそっと近くに行くと 水の入れ物も餌の入れ物も誇りを被ってカラカラでした。


私は持っていたペットボトルのミネラルウォーターを水入れにあけました。
犬は啜るように水をなめ飲み、 あっという間にカラにしてしまいました。



私は近くのコンビニでもう一本の水と犬の餌を買って その家に戻りました。

もしかしたら 何か理由があって 絶食させているのだろうか?
ふと不安がよぎりましたが 餌と水を置きました。
かぶりつくように餌を食べて かぶりつくように水を飲みます。

杭に絡まっていた綱をもとに戻してやると 小屋の中に戻って行きました。





次の日から 私は毎日 犬の様子を見に行きました。
だけど家の人が戻っている様子はありません。

私が知らないうちに来ているのかも知れないと、食べ終わった犬のお皿に目印をして置いても次の日もそのままでした。

私は犬に餌をやるのが日課になりました。



そっと忍び込んで行くとしっぽをふって喜んでくれます。
頭も撫でてみました。


とても優しい目をしています。



首を掻いてやりました。


目を閉じて気持ち良さそうですが、膿を伴った潰瘍の匂いがしました。

犬は後ろ足を片方しかつきません。
足の付け根にこぶがあって痛いのでしょう。


小屋の中で横になるとき、足が少し浮いていました。





人には事情というものがあります。
辛い事情です。
ましてやこの時代に置いて 人の抱える事情は計り知れない事でしょう。

犬の小屋はとても立派で過ごしやすい工夫がなされていました。

今は汚れて、今にも壊れそうですが 飼い主のかつてあった愛情を感じます。
だからこそ、そこに生じた事情がとても悲しく思えてなりません。

いつだって事情の波は弱い者へとやってきます。

動物 子供 高齢者

法律が守り、法律が追い込みます。

不法侵入及び、他人の「もの」への勝手な関与。
確かにいけない事ですが、私はもしも罰せられるのであればそれはそれで仕方ないなと思っていました。

そしていつものように犬に会いに行ったある日、そこにはもう犬はいませんでした。


小屋と鎖だけ。



久しぶりに戻った飼い主さんがサインをして誰かが犬をはこんだそうです。

飼い主さんは犬の頭を撫でてくれたでしょうか?

もし、ちょっとでも触ってくれたなら、犬は最後に、私なんかに会えるより、絶対に嬉しかったはずです。



私はちょうどひと月犬に会いに行きました。

犬が死んでいたら、飼い主さんは自分の手で、手放すであろう自分の庭の片隅に、犬を埋めるつもりたったのでしょうか。


私にはわかりません。

人にはそれぞれの抱える どうしようもない事情と苦しみや悲しみがあります。悲しみの受け止め方も違います。
だから私は誰の事も責める事はしないし、出来る立場ではありません。

ただ悲しくて泣けてきて仕方ありません。


私に何が出来たでしょうか。


私は何かをやり残していたでしょうか。

その道を通る事はもう出来ずに 私は少しずつ忘れていきます。










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小学生の時、カズ君と言う、かなりのハンサム小僧がいました。今で言う ジャニ系で勉強も出来る、女子の人気者でしたが、あまりクラスメートと絡まない男子でしたから、私も言葉を交わした事も、さして興味もなく、私は私でヘラヘラと小学生をやっていました。


そんなカズ君に興味を持ってしまったのは、もうすぐ中学生になるという頃の季節でした。
いつも速攻で家に帰る私ですが、忘れ物をしてしまい学校に戻ると、誰もいない、電気も付いていない教室で、カズ君が一人、宿題をやっていました。


「わっ!面倒」と思ったのはお互い様でしたが、初めて言葉を交わしました。話した内容は大した事はないのですが、夕暮れの教室で勉強してた彼の傍らに置かれた本が、見た事もないくらいに難しい物であったこと(黒人の著者が自分のルーツを追って行く、自伝的著書[ルーツ]と、精神カウンセリング的な本などだった)と椅子から立ち上がろうとした時、辛そうに足を庇ったことが印象的でした。


勉強も出来て、何でもソツなくこなすから、みんなが彼には一目置いていました。だけど、なんとなく人を寄せ付けない大人びた雰囲気が、特別というバリアを作っていたのかもしれません。でも、この時は夕暮れという時間と、2人だけというシチュエーションがバリアを解いたとしか思えませんでした。


「足どうした?」

私の問いかけに、最初はじっと黙ったままでした。

「関係ないだろ?」って言われる事を予想していたのに、
彼はズボンの裾を目一杯、膝の上まであげて見せました。
異常に細くて長い足。だけど紫に腫れあがって、所々、膿んでいました。それが、そこかしこにあるのです。


私は驚いたら悪い気がして、とにかく冷静を装った事を覚えています。「保健室行く?」こんな時間に保健室は誰も居ない。わかってたけどそれしか言えませんでした。それから一緒に帰りました。
帰り道、カズ君が言った言葉です。「虐待された子供って虐待するようになるらしいよ」

小学生ではありましたが、私は感覚で全て理解した気がしました。たぶん、その時は今よりも理解していたくらいだと思います。

「わかんないけど、カズ君はしないよ」私は本気でそう思い、本気でそう言いました。カズ君は笑ってくれたのに、どんどん先に歩いて行ってしまい、私はひとりで帰りました。
そしてこの事は誰にも言いませんでした。


私のいただいている紙面に、私は、私自身が目の当たりにした、虐待されている同級生のことを書きました。父親に壁に投げつけられた同級生と妹たち。そうされることをわかっていて、私を家に招きいれてくれたのは、SOSだったのかもしれない。この時も私は自分の見たことを誰にも言いませんでした。



月日は流れて、私は相変わらず、脳天気な中学生活と高校生活をヘラヘラと送りました。
男子高校に行った彼と、女子高に行った私は、同じ駅を使います。だから時々カズ君を見掛ける事がありました。

ひとりでいる事も友達といる事もありました。
笑っている姿を見ると嬉しくなったし、女子といた時には少なからずも落ち込みました。
私自身はと言うと、話しをするチャンスもなく、ただ彼を目で追うばかりでした。

そしてもう直ぐ高校卒業という頃の時期でした。
2両編成で走る田舎の電車。

まだ早い午後の帰り、私はカズ君と偶然一緒になって、電車のシートに並びました。



「カズ君東京行くの?」

「うん、大学決まったから。 湯木は?」
「私もだよ」


2月なのに、窓から入る日差しが暑いくらいでした。

その時、カズ君が言ったのです。

「僕は殴られる恐怖よりも、自分がやるようになるんじゃないかって恐怖の方が強い。怖いんだ」

私は忘れてた振りをしようか一瞬迷いました。

だけど私はカズ君の事は知っています。ずっと好きだったからです。

「わけわかんない、難しい本ばっか読むからいけないんだよ。
カズ君は、ならないよ。カズ君はしないよ。大丈夫だよ。本を書いた人はカズ君の事知らないじゃん」

カズ君は笑ってくれました。

私はとてもホッとしたと同時に自分でも、自分の考え方が正しいと思いました。
その人の「人となり」を知っている。それはどんな文献より正確であると、今も私の信念になっています(大袈裟ですが)

あの日カズ君と座った電車のシートは、進行方向を向いて座れるボックス型のシートです。
春色の汽車です。
私の田舎は海がないので行けませんでしたが、海に連れて行って欲しかったそんな気分でした。

彼は真面目なのでタバコの匂いはしませんでしたが、すごく素敵でした

知り合った日から何年も過ぎてますが それ以上の会話もなく、私のセピアな赤いスイートピーな時間は終わりました。
それっきりです。

ただ カズ君がずっと穏やかに笑ってくれてた事は良く覚えています。


そおしてなんと
おととい、カズ君と会いました。


これが小学校卒業から2度目、高校卒業からは初めての再会です。

私が今、書かせてもらっている内容の取材の為に伺った先に、 偶然にもカズ君がいたのです。


彼は地方の新聞記者になっていて、やっぱり違う角度からの記事を書く為に取材に来ていたのです。
なんたる偶然!
私の 長い長い初恋。


「湯木~おまえ全然 変わんないな~」


ええ、 年は重ねましたが。


「カズ君もちっとも変わらないわそれよか とっても大人になって素敵」

ラブラブビーム

しかし次の瞬間でした。
カズ君は10才年上の奥さんとその方の前のご主人との子供さん2人の4人で 超幸せに暮らしているそうです。

「写メ見る?」
とカズ君。


また写メかい
どうも 私の愛した男達は私に妻子を自慢したい傾向にあるな

どれどれ
「すげー美人(^O^)/」

「だろ?来年娘が大学生だから大変でヘラヘラヘラヘラ」

( ̄○ ̄;)

「あなたの事、ブログに書かせてもらっていい?」


「いいけど読ませろどこ使ってんだ?」

ハンドルネームなんて言うんだ?」

「好きな作家は伊佐坂先生」

「ふん怪しいな」


くだらない会話でした。それだけです。

けれどとてもとても気分がいい!スキップしたくなるくらい気分の良い出来事でした。






カズ君の奥様、
カズ君を大切にいてあげてください。
超余計なお世話でしょうけどお二人でもっともっと幸せになってください。

カズ君、どれだけ辛い幼少時代であったか、大人となった今では 知識があるが故に苦しく切なさも増します。

そしてあなた自身がどれ程の努力を前向きに重ねたかと、ただただ頭が下がります。口で言ったり文字にするのは簡単ですが、こうありたいという信念が トラウマに打ち勝ったのでしょうか。

今 私は子供達の虐待をテーマに文章を書かせてもらっています。

無くなる事を祈って書いているのですが、虐待のリンクというところで止まってしまいます。

虐待を受けて育った子供が決して暴力をふるわない大人になる。自身の辛さがそうしない。
しかし、その逆な場合も多くある事も事実です。 そしてまた、そんな自分に苦しみ続ける。
閉鎖された世の中だからこそ、難しさが増すように思えますが、少しでも悲しく、辛い思いをする子供達が無くなる事を私は強く願い、忘れたくありません。
あの時、あなたに何もしてあげられなかった私だからこそ、大人になった今だからこそ、そう思います。







テーマ:






君は言ったね。


雨が好きなのは、お母さんが洗濯をしないから。



ひとつ仕事がなくなれば僕をみてくれるかなと。



雨の日は、台所にいる時間が多いから、お母さんの背中を見ていられる時間が長くなるから。


僕はひとりでできるから、平気なんだよ。



君はいい子だ。


だから小さな魔法をかけてあげる。


小さな小さな魔法だけどね。


それは君だけに通じる魔法さ。










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お姉ちゃんのピアノの練習や病院、お姉ちゃんにかかりきりの母さん。


仕方ないことだとわかっていたけど、その日は少しいらいらしていた。




友だちとけんかしたことを話したかった。


ずっとひとりで待っていたのに、母さんのために洗濯物を畳んだのに。


母さんの仕事がひとつ減れば、僕をもっと見てくれるはずなのに。


お姉ちゃんが洗濯物をぐちゃぐちゃにした。


「あらあらお姉ちゃんは順番が気にいらなかったのね」


母さんはまた笑ってお姉ちゃんの頭に手をおいた。




僕はどうしてそんなことをしたのかわからない。

気がついた時には、お姉ちゃんを突き飛ばしていた。

母さんの叫び声と、お姉ちゃんが転ぶ音と、僕が玄関を飛び出す音が同時にした。


雨の中を、傘を持たないで歩くのは初めてだった。

雨が好きな僕のために、母さんが素敵な傘を買ってくれてた。



軽くて丈夫な折りたたみの傘。
だけど今はそれがない。


雨に濡れた体が冷たかった。


僕は近くにあったトタン屋根の農機具小屋に飛び込んだ。



誰もいない、古びた機械と土埃りの匂いの小屋。

なんだかとても懐かしい。



その時ふいに声がした。


振り向くと、田んぼを耕すトラクターの運転席に、黒い子猫が座っていた。



「あっ、君は幸せを運ぶ番人の猫」

僕はびっくりしてそう叫んだ。



「そうさ、だけど雨の音がうるさくて、迷子になってしまったんだ。大きな声で呼んだって、雨の音で届かない」



黒い子猫の鳴き声は雨の音に消されていた。


僕はそっと、子猫の頭に手をのせて聞いた。


「君は誰を呼んでいるの?」


「誰を呼んでいるのかわからないんだ。僕の声が届けば、きっと迎えに来てくれる。だけど雨の音がうるさくて、僕の声が届かない」


子猫はとても寂しそうだったから、僕は優しく言ったんだ。

「大丈夫、きっとまた雨はやむよ」


子猫は僕の肩に飛び乗って大きな声で鳴きだした。


僕も負けずに呼んでみた。



「母さん 母さん 母さん」



それでもぜんぜん届かない。


トタンにぶつかる雨音が、リズムのように聞こえてきて、僕はようやく思い出した。



ずっと前、急に雨が降り出して、お姉ちゃんと僕はこの小屋で、雨の止むのを待っていた。



母さんが来るのを待っていた。



泣き出しそうな僕の頭に手をのせて、お姉ちゃんが唄い出した。



お姉ちゃんの歌は楽しくて、いつしか僕も唄ってたんだ。



『秘密の基地を知っている。

幸せ運ぶ番人の、黒い子猫が休んでる』

あの時みたいに唄ってみた。



僕が唄うと今度は肩に乗った子猫もいっしょに唄い出した。


『雨の降る日は基地の屋根、トタンの音がうるさくて鳴き声だって届かない』



歌の上手いお姉ちゃんが作ってくれた歌。


お姉ちゃんと僕の秘密基地。


「お姉ちゃん」



大きな声で叫んだ。涙がボロボロこぼれて喉が痛かった。


それでも僕は叫んだ。


「お姉ちゃん」


その時だ、子猫が肩から降りて、さっと外に飛び出した。

僕は驚いて後を追った。

何かにつまづいて、転がるように小屋の外に出ると、遠くにびしょ濡れの母さん走って来るのがが見えた。


お姉ちゃんも後ろから来る。


僕はお姉ちゃんのそばまで走って行った。


お姉ちゃんは大きく目を開いてから顔をくしゃくしゃにした。



それから少し背伸びをして僕の頭に手をおいた。


いつの間にか、雨は上がっていた。




僕は母さんの顔が見れなくて、母さんの後ろに回ろうとした。



ごめんなさいと言うためだ。


その時母さんの手がのびて、母さんが僕を抱きしめた。


僕は目を閉じていた。



母さん、僕は雨が大好きなんだ。

母さんが洗濯物を干さないから。

母さんの用事がひとつ減るから。

だけどそんなことはもういいや。

ねえ母さん、あの子猫はどうしただろう。



お姉ちゃんならきっと知ってる。



後でお姉ちゃんに聞いてみよう。



お姉ちゃんならきっと知っているんだから。



目を開けると、母さんの肩の向こうに虹が見えた。



やっぱり僕は雨が好き。


雨が上がるのを待てるから。









テーマ:

その時でした。


少し離れた場所から、こちらを気にしていた若い男性が近づいて来たのです。

監督やコーチと話していたので、関係者だとは思っていましたが、誰かは知らない顔でした。

細身のスーツにベンチコートを来た色黒の彼は、春をはじめ、すべてのメンバーを呼び集めました。

『ちょっと来て!集まって下さい!』


有無を言わさないキッパリとしたオーラがありました。



すぐにみんなが集まりました。


『○○○の半田(仮名)です』


うわあああああ

地元のJ2リーグの人だったんだ!


選手じゃなくて、今は運営側の人間だと言ってたけど、すっごいかっこいい!

目が、目が、目が!
本当にキラキラしてる。。


そして彼は言いました。

『 フィールドに立てば、年齢も、国籍も、環境も、境遇も、そんなものは関係ない。みんな同じ仲間です。

この国籍だから許される、この年齢だから許される、この境遇だから許される、
そういったことは一切ない!

それがスポーツです。

そこには、仲間に対する思いやりと信頼しか存在しない。
仲間の失敗があったから、自分の成功があったのかもしれないし、失敗したのは自分かもしれなかったんだ。 チームはひとつです。

だから誰の成功でも、失敗でもない。すべてチームの結果です。チームの結果はチーム全員で、心から受け止めるものです』



少年達は真っ直ぐにその言葉を聞いていました。

そう、それがスポーツなんだ。

誰だからどうということはない。


みんな一生懸命頑張っている。


『もし、時間があるようだったら、少し練習試合をしようか?』

半田さんの目線の先には、沢山のプロサッカー選手がいました。

気付かなかった。。
若いサッカー選手達があんまりにも若くて、応援に来ているお友達か、部活のOBだと思ってたけど、試合を観戦していたかっこいい軍団は、現役のサッカー選手達だったんです。

半田さんを入れて12人も!

私としたことが、名刺もなければ何もない!

なんのアプローチもできないじゃん。

格好汚いし!


っていうより、素敵過ぎて近づけないw

なんでも運営側の半田さんと、春達の監督がお友達だったとかで、こんなサプライズが用意されてたとのことでした。


春は真っ赤な顔をして直立していましたが、スタメンとして名前が呼ばれると、大きな声で返事をしました。


『はい! 』


コートに向かって走ります。

その時、チームメイトの一人が春に駆け寄って何かを言いました。


なんて言ったかなんてわからない。

だけど春はいつもよりもっと元気で、いつもより大きな声を出しながら、力いっぱい走り回っていました。




試合は一点も許されず、全力以上を出し切って、へとへとになっている春達をよそに、プロの選手達は、今度は先程、春達と試合をしたもう一方の高校生達と練習試合を始めました。
休憩もせずにです。

春達は一丸となって応援に回りました。
握りしめた拳。
みんな喉を枯らして叫んでいます。



春、忘れちゃだめだ。

春には血を分けた身内はいないけど、仲間がいる。




春達は肩を組んで歌い始めました。


これから施設を出て、社会人になったっても、仲間を忘れたらいけない。



いつ練習してるんだか、歌の合間に息のあった足踏みも入れています。

すごい!
練習試合のスタジオがひとつになって盛り上がっています。

春、春はひとりじゃない。


春にはこんなに沢山の仲間がいる。



記念写真を撮る段階で、半田さんが春の肩を叩きました。



『足、早いな! さっきのシュートも良かったよ!』


『ありがとうございます』


春はちょっと泣いていました。




そしてまたすぐに

『誉められたー!
俺、誉められー!』
って叫びながら、
拳を空に上げて振り回し、調子付いて走り回り出しました。

まったく、懲りない奴です。


ねえ、春。
春は一生懸命だった今を、一生忘れないでね。

春が忘れさえしなければ、サッカーの神様は、ずっと応援していてくれるよ。

私はそう信じてる。



うんぎゃw

そばにいた人が驚くくらい、素っ頓狂な声を出し、私も真っ青な冬の空に向かって伸びをしてみました。


う~ん、冷たいけど気持ち良い!


年が明けたんだもの。

また頑張って、今年こそもろもろの目標を達成しなきゃ�


季節は少しずつ、春にむかって動いています。



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『J2に兄さんがいるんだ。
今はまだ会えないけどね』


春はいつからかそう言うようになりました。


特に、サッカーボールを蹴り始めると、決まってそんなことを言い出します。



春は、児童養護施設で暮らしている17歳の高校2年生です。



私は取材という形で、児童養護施設に出入りしていますが、そこで春と知り合いました。



初めて会った時、春はまだ小学校の低学年で、

私を見付けると、確認するかのように、ちょこっとだけ手を繋ぎ、それからまた元気に走り回る明るい男の子でした。

大きな目と彫りの深い顔立ち。
日本と他の国のハーフだとわかりました。



私には、春の小さくてやわらかな手の感触が新鮮で、可愛くて仕方ありませんでした。


春の保護理由は置き去りでした。
まだゼロ歳だった彼は、乳児院を経て、一歳と思われる頃、施設にやってきたそうです。

本当はお兄さんどころか両親もわからないまま17歳になった今まで、寂しいとも言わないし、特に手を焼かせることもなかった春が言い出したこのストーリーに、職員の方々は戸惑っていました。




サイズのチグハグな上下のジャージを着て、ボロボロのスパイクを持って、朝早く部活に出掛けていく春。


児童養護施設で生活しているからといっても、今は国や自治体からきちんとお金が支給されています。もう少しましな格好はさせられるはずです。

だけど本人がきかない。


『体、もっとでかくなるからって、でっかいジャージ買ってもらっちゃった。
案外伸びなかったな、俺』


『スパイクは、兄さんが試合で履いたのだからさ』


もちろんそんな事実はない。



『次の試合に出れたら、応援に来るって言ってるんだ。ダメだろうな。またベンチだけかな。。』


嘘じゃない。


『今度、チームの練習ボール貰ってくるよ』


願望なんだ。



その想像が、その想いが、彼を頑張らせてきたのだとしたら、誰に何が言えるのでしょうか。



自分はひとりじゃない。

同じサッカーをやってるお兄さんがいる。

身内がいる。



そんな春が今年、初めて試合に出させてもらえました。

途中出場ではありましたが、PK戦では、きっちり決めることもできました。


春は嬉しかったんだと思います。


試合が終わった後も応援に行ってた学園の指導員や学校関係者の元へ走っては、ハイタッチして回り、ポーズを決めました。

失敗してしまったチームメイトの気持ちを考える余裕なんかないくらい、春は嬉しかったんだと思う。


『兄貴に恥かかせらんないから』ってはしゃぎ、そして祝福されました。


ただそれの度が過ぎた。



はしゃぎっぷりが一線を越える頃、一線を越えた声が飛んで来ました。


『おまえ、捨て子だろ!
嘘ばっかつくんじゃねえよ!』







人の表情が、一瞬にして固まり、そして崩れて行く様子を見たのは初めてでした。

それが、私の大切な春に起こった瞬間だなんて。


変わっていった春のあまりの形相に、言い放ったチームメイトも固まってしまいました。



私も動けなかった。

周りに居た誰もが、次の言葉を探すことが精一杯で、かといって言葉が思い付かず、その場に制止していました。










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《前編からの続き》





あれから沢山の季節が巡りました。

おばあちゃんが亡くなりました。
初めて経験した身内の死でした。

私は家を出て一人暮らしを始め、兄は結婚して実家で暮らしています。
相変わらずの心配性で口うるさい為、一人息子には嫌がられています。
お陰で、私は解放されています。

ある日珍しく兄からメールが来ました。

「鈴やんの木を切ったよ。虫が酷くて、 消毒しても、どうにもならない。
残念だけど、親父と相談して切ったから」

飛んで帰りました。
20年位前に3人で植えた鈴やんの木はばっさり切られて、地面すれすれのところに切り株が残っているだけでした。

「なんで、切っちゃったの? 酷いよ」

私は半泣きで兄に抗議しました。

殆ど実家に帰らないくせに、そんな事言う権利なんてないはずなのに。

兄は、「他に方法がなかった」とだけ言いました。

鈴やんの木の切り株の前で泣いてる私と、途方に暮れる兄を心配して、甥っ子が近付いてきました。

「すっげーベタベタの虫でさ、野球のボールとか木に触ると使えなくなるくらいなんだよ。
それにもう枯れてたよ」

一生懸命 父親である 兄を庇っています。

10歳。

鈴やんの木を植えた頃の私の年齢です。

「恵利ちゃんごめんね。 洗濯、外に干すのにちょっとね。それに他の木にも移るって言われて、ごめんね」


優しい義姉が言葉を掛けてくれます。

そう、時は流れているのです。
新しい家族がここにしっかり根を張って、新しい時を過ごしている。
センチメンタルなだけの私の我が儘を押し付けたりしたら、それこそ鈴やんに叱られてしまいます。

「いや~ちょっと思い出に浸っちゃってね。ごめん、お義姉さん」

義姉に謝りながら、私はこれでいいんだって思いました。
そうです。
新しい家族がここには根付いているのです。






そして先日、私はこの義姉に呼び出されて実家に帰ることとなりました。


とにかく、暇を見て一度来いというのです。


行ってきました。

平日ですから 兄も甥っ子もいません。
父と母は出かけていて、義姉が迎えてくれました。



「恵利ちゃん ほら」


庭先で待っていてくれた姉が指差す先には、切り株から伸びた枝に、たっぷりと芽ぶいた鈴やんの木がありました。

「あっ 復活してる」

驚きの声を上げる私に義姉は言いました。

「あれから少しずつ株から芽が伸びたの。 植木屋さんに聞いたらね、また元に戻るって、根性あるよね、さすが伸一さんの木」

「伸一さんって?」

私は聞き返しました。

「鈴木伸一さん。恵利ちゃん知らなかったの? 私は結婚前から 嫌って程聞かされてるわ、鈴木伸一さんの話、伸びるって書くのよ。」


「鈴木伸一さん、、鈴やん、伸一さんて言うんだ。
そりゃ伸びるよね」

義姉と私は声を上げて笑い、私は途中から涙が溢れて止まらなくなりました。


涙はどんどん出て来ます。
心の中から湧いてきます。
だけどそれは寂しさだけのものじゃなく、義姉の優しさや兄の気持ち、それに少しだけ大人になれたような思いが入り混じったものでした。

鈴やんの木、切られたってまた芽吹いてきた鈴やんの木。

もしも辛い事があったって、きっと何度でも立ち直っているはずだよね。






拝啓 鈴木伸一様


お元気ですか。

あれから沢山の季節が流れました。

鈴やんが大阪へ行ってしまってからは寂しくてたまりませんでしたが、鈴やんはいつでも、もっともっと寂しかったんだって分かった時、今まで感じた事がないくらい、切なくなりました。

気付けなくてごめんなさい。

お母さんは泣いていました。

私は胸が苦しかった。

お兄ちゃんは、お父さんと二人で、いろんな所に連絡を取っていましたが、やがてそれを辞めました。

どうして辞めたのかは、教えてくれませんでした。

大阪のおばさんには会えましたか。

おばさんは鈴やんに優しくしてくれましたか。

頭に手をのせて、笑ってくれましたか。

私は大人になったけど、なかなか本当の意味で大人になりきれていない気がします。


だけど、大切な人を心配させないって約束、忘れてないよ。

大切な人を心配させないって事は、自分自身がいつでも幸せである事だと思いました。

自分自身を大切にしながら生きて行く。
いつも笑顔でいること。
そうすれば、大切な人達は安心してくれるように思います。

それは、近くにいても、遠くにいても同じだと思います。

私はまだまだ出来ていないけど。

鈴やんは今幸せですか。

幸せでいてください。

仕事は何をしてるのですか。

恋人はいるのですか。

結婚はしているのですか。

私達の事、覚えててくれてますか。

私は鈴やんが大切です。

鈴やんも私を大切にしてくれました。

大切な人を心配させてはいけないんだよね。

だから鈴やんも幸せでいてください。

笑っててください。
そしていつか
幸せなあなたを見せてください。



お兄ちゃん、
ありがとう。



......................


長いのに、最後まで、読んで下さって、ありがとうございました。

いつか書きたかった日記でした。

だけど、なかなか書けなかった。


読んでくださった方、本当にありがとうございました。


それから、書くきっかけをくれた日記コミュ

「日記☆ええじゃないか♪」


それから、天軍の皆さん、ありがとうございました。









テーマ:

私には5才上の兄がいます。
今は結婚して 小学生の子供もいますが非常に過保護で、心配性であり、我が子に嫌がられています。

しかしそれは性分らしく、幼い頃からのものでした。

あの頃、兄の心配の矛先は、いつでも私に向けられていました。

事実、私は幼稚園児時代から集団生活に馴染めず、脱走ばかり試みているような心配させる子供で、小学生になってからは、事あるごとに家出をする子供に成長していました。

だから、なおの事、兄の干渉は激しく、私はいかにして兄の目をくぐり抜けるかと作戦を練ってばかりいました。

そして、兄だけでもかなり鬱陶しいのに、私の家には、もう一人の兄として、兄の親友が頻繁に出入りしていたのです。
家出や脱走した私を捕まえるのはいつでも兄ともう一人の兄でした。

兄の親友。
名前は鈴木さん。
兄も、うちの両親も、彼の事は「鈴やん」って呼んでいて 私は下の名前は知りませんでした。


私の家の学区内に、児童福祉施設があります。
鈴やんはかなり小さい時に施設に保護されたとの事で、そこから学校へ通っていました。

学校が終わると、当然のようにうちに帰って来て、一緒におやつを食べたり 宿題をして行きました。

鈴やんはカレーが好きでした。
と言うより、鈴やんはカレーが好きだと思い込んでいた母が、カレーの日は必ず声を掛けていたようです。

「今日はカレーだよ」

その声を聞くと、おばあちゃんと、鈴やん、母、兄、私の5人分のお膳を整えて(父は遅いので除く)食事になるのでした。

私はジャガイモが嫌いでした。
あの食感が飲み込みづらく、カレーのお皿の端に弾きます。
「食べなさい」と言う母を見て、鈴やんはジャガイモをスプーンで潰して、ルウと混ぜるようにしてくれました。

なんだかクリーミィになったジャガイモカレー。
意外な程に美味しかった!

私が全部食べ終わると、鈴やんは笑って頭に手をのせました。


中学生になった兄は陸上部に、鈴やんはバスケット部に入った為、以前より帰宅が遅くなり、また 時間もバラバラになってはきたのですが、それでも鈴やんは顔を出して行き、私の勉強も良くみてくれました。


ある時、小学校の帰り道で、珍しく早く帰って来た鈴やんとばったり会いました。

試験の最中だったらしく、まだ昼過ぎのかなり早い時間だったと思います。

私は嬉しくて鈴やんの腕にぶら下がるようにして甘えました。

「遊ぼーよ。
全然遊んでくれないじゃん。
遊ぼーよ」

鈴やんは笑って私の頭に手をのせて言いました。

「どんぐり山でも行くか」

やったー
久しぶりのドングリ山。

家にランドセルだけ投げ置いて、私は鈴やんと登りました。

もっと小さかった時は、鈴やんと兄と3人で良く登った裏山。

丘の延長のような小さい山だったけど、子供にしか見えない、しかし確かに存在する、藪の中の道を行くと、ぽっかり開けた、そこだけ木のないスペースに出ました。

ここが頂上。

町が見渡せます。
空気の感触が変わります。
風の匂いは多少の湿気と砂の匂いを含んでいました。

鈴やんと私は並んで腰を下ろして自分の町を眺めました。

お寺の赤い屋根が見えて、その先に彼のいる施設の白い建物が見えました。


「あの白いのが鈴やんのうちだよね」

私は気持ちのいい風を受けながら 鈴やんに聞いてみました。
鈴やんは黙っていました。

「お父さんとお母さんどうしたの」

鈴やんは町を見下ろしたまま答えました。

「死んだらしいよ」

「淋しくないの?」


子供だったとはいえ、聞いてはいけない事のような気はしていました。

でも私はどうしても知りたかった。

「大切」という思いが芽生え始めた10歳くらいの事でした。


「淋しくないよ。広明(兄)のお父さんとお母さんいるから。おばあちゃんだっている。恵利(私)もいるしね」

鈴やんは私の頭に手をおいて言いました。

「お母さん達を心配させちゃ駄目だ。大切な人は悲しませちゃいけない」

我が儘で、思い通りにならないと、すぐに家を飛び出す私を諭しているようでした。

鈴やんの目は珍しく真剣でした。


「だって いつだって見つけてくれるじゃん」



「大切な人を悲しませちゃだめなの」



鈴やんはもう私を見てくれなくなりました。


私は急に不安になって、とっても悲しくなって慌てて言いました。


「わかったよ。もうしない、だから鈴やんは恵利んとこずっといて」


私が言い終わるか終わらないうちに、鈴やんはさっと立ち上がりました。
何かを探しています。



そして、嬉しそうに言いました。


「恵利 おいで、これにしよう」


私が駆け寄ると、鈴やんは小さな山の木を丁寧に掘り抜いているところでした。

まあるい葉っぱが沢山ついた子供の木。
鈴やんは丁寧に丁寧に掘って抜きました。



その日、自宅の庭に山の木を植えました。

途中から兄も加わって久しぶりに大騒ぎです。
バケツで水を運ぶ役目を言い付けられた私は、いっぱいに汲んだ水でびしょびしょになりながら、2人の兄のところへ運んで行きました。



鈴やんは汗だくな私からバケツを受け取りながら、必ず頭に手をのせて笑います。



私はがぜん張り切ってまた水を運びます。

兄はそれをみて、からかうように言いました。


「鈴やんは恵利の使い方うまいなぁ。いつもこんなに素直ならいいのにな。本当の兄弟みたいだ」


「恵利んとこずっといるんだもんね。鈴やんとお兄ちゃんとずっといっしょだもんね」

2人の兄は声を立てて笑いました。


3人で植えた山の木は上手く根付いて少しずつ大きくなっていきましたが、名前を調べる事もしない私たちは、「鈴やんの木」と呼んでいました。


春に芽吹いて、まあるい葉っぱを付ける鈴やんの木は、秋にはやっぱりまあるい、赤い実を付けました。



我が儘な私は家出をしたくても、玄関前の庭にあるこの木を見ると立ち止まり、しばらく眺めては家に入るようになり、兄たちは高校を卒業して、私は中学生2年生になりました。

兄は大学に進学しましたが、 鈴やんは頑なに就職を希望しました。

児童福祉施設に入居していられるのは18歳までです。
鈴やんは寮付きの職場を探していました。

そして私の父の友人で、左官屋さんをしているお宅に住み込みで働くようになりました。

真面目で手先が器用な鈴やんは、親方にも、他の職人さんにも可愛がられていたようです。

ただうちにはめっきり足が遠のき、私は寂しさを隠せませんでした。

鈴やんの木になった赤い実を指で潰すと、真っ赤な汁が飛び散って、落ちないシミができました。

それでも私は実を潰して、白いシャツにわざとこすり付けていました。

寂しさと苛立ちが交互にやって来て、息を深く吸い込みました。

当たり前のように過ごせた日々が少しずつ遠のく、恐怖にも似た寂しさは、なかなか自分の中に受け入れる事ができなくて、不機嫌な日々が何日か続きましたが、そんな私をもっと深い悲しみに落とす出来事が起こりました。



ある日曜日の朝でした。

朝早く、鈴やんがうちにやって来ました。

久しぶりの鈴やんは日に焼けていて逞しく、ひどく大人びていて、飛び出してじゃれつこうとする私を制するかのようでした。

そして、いつものように笑いながら、私の頭に置いた鈴やんの手には、白や赤のペンキが落ちずに残っていました。


「俺、休みもらって、これから大阪行くの。おばさんがいたんだよ。
お母さんのお姉さんだって。
俺のおばさん。
大阪にいたんだ」


私の父と母にまくし立てるように、鈴やんは真っ赤になりながら話していました。

少し前に施設を通して、おばさんと名乗る人から手紙が来たとの事でした。

鈴やんが返事を書くと、機会があったら会おうと返して来たそうです。

いつ会うか きちんと話しをした方がいい、一緒に行くからと言う私の父の言葉など全く耳に入らない様子で 鈴やんは話し続けていました。



私は、何も言わずに鈴やんを見ていたけど、話に夢中な鈴やんが、私を見る事はありませんでした。


「俺におばさんいたんだよ。お母さんのお姉さんだって。だから血繋がってんの。」


「機会があったら会いましょうね、だって。俺、おばさんがいたなんて知らなくてさ、お母さんのお姉さんだって」




私が鈴やんと会ったのは、その日が最後になりました。



鈴やんは少しの休暇を取って、一人で大阪へ向かい、それっきり戻っては来ませんでした。


しばらく無断欠勤が続いてから、仕事を辞めると、職場の親方に電話が入ったそうです。



あまり元気のない声だったと聞きました。

鈴やんは19歳。
私は14歳の秋でした。



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