そらねこカフェ・店主ゆぎえみ・そらねこ会ブログ

そらねこ会は、『今ある命を大切に、不幸な命は増やさない』をコンセプトに活動している猫ボランティアチームです。


日々の思いを書いてます。

猫のボランティアチームそらねこ会です。 日々の活動や思いを書いています。 不思議な空間、そらねこ会アジトより発信しています。 猫のこと そらねこ会アジトのこと 不思議空間 癒し空間 隠れ家ダイニングカフェ・そらねこ屋

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君は言ったね。


雨が好きなのは、お母さんが洗濯をしないから。



ひとつ仕事がなくなれば僕をみてくれるかなと。



雨の日は、台所にいる時間が多いから、お母さんの背中を見ていられる時間が長くなるから。


僕はひとりでできるから、平気なんだよ。



君はいい子だ。


だから小さな魔法をかけてあげる。


小さな小さな魔法だけどね。


それは君だけに通じる魔法さ。










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



お姉ちゃんのピアノの練習や病院、お姉ちゃんにかかりきりの母さん。


仕方ないことだとわかっていたけど、その日は少しいらいらしていた。




友だちとけんかしたことを話したかった。


ずっとひとりで待っていたのに、母さんのために洗濯物を畳んだのに。


母さんの仕事がひとつ減れば、僕をもっと見てくれるはずなのに。


お姉ちゃんが洗濯物をぐちゃぐちゃにした。


「あらあらお姉ちゃんは順番が気にいらなかったのね」


母さんはまた笑ってお姉ちゃんの頭に手をおいた。




僕はどうしてそんなことをしたのかわからない。

気がついた時には、お姉ちゃんを突き飛ばしていた。

母さんの叫び声と、お姉ちゃんが転ぶ音と、僕が玄関を飛び出す音が同時にした。


雨の中を、傘を持たないで歩くのは初めてだった。

雨が好きな僕のために、母さんが素敵な傘を買ってくれてた。



軽くて丈夫な折りたたみの傘。
だけど今はそれがない。


雨に濡れた体が冷たかった。


僕は近くにあったトタン屋根の農機具小屋に飛び込んだ。



誰もいない、古びた機械と土埃りの匂いの小屋。

なんだかとても懐かしい。



その時ふいに声がした。


振り向くと、田んぼを耕すトラクターの運転席に、黒い子猫が座っていた。



「あっ、君は幸せを運ぶ番人の猫」

僕はびっくりしてそう叫んだ。



「そうさ、だけど雨の音がうるさくて、迷子になってしまったんだ。大きな声で呼んだって、雨の音で届かない」



黒い子猫の鳴き声は雨の音に消されていた。


僕はそっと、子猫の頭に手をのせて聞いた。


「君は誰を呼んでいるの?」


「誰を呼んでいるのかわからないんだ。僕の声が届けば、きっと迎えに来てくれる。だけど雨の音がうるさくて、僕の声が届かない」


子猫はとても寂しそうだったから、僕は優しく言ったんだ。

「大丈夫、きっとまた雨はやむよ」


子猫は僕の肩に飛び乗って大きな声で鳴きだした。


僕も負けずに呼んでみた。



「母さん 母さん 母さん」



それでもぜんぜん届かない。


トタンにぶつかる雨音が、リズムのように聞こえてきて、僕はようやく思い出した。



ずっと前、急に雨が降り出して、お姉ちゃんと僕はこの小屋で、雨の止むのを待っていた。



母さんが来るのを待っていた。



泣き出しそうな僕の頭に手をのせて、お姉ちゃんが唄い出した。



お姉ちゃんの歌は楽しくて、いつしか僕も唄ってたんだ。



『秘密の基地を知っている。

幸せ運ぶ番人の、黒い子猫が休んでる』

あの時みたいに唄ってみた。



僕が唄うと今度は肩に乗った子猫もいっしょに唄い出した。


『雨の降る日は基地の屋根、トタンの音がうるさくて鳴き声だって届かない』



歌の上手いお姉ちゃんが作ってくれた歌。


お姉ちゃんと僕の秘密基地。


「お姉ちゃん」



大きな声で叫んだ。涙がボロボロこぼれて喉が痛かった。


それでも僕は叫んだ。


「お姉ちゃん」


その時だ、子猫が肩から降りて、さっと外に飛び出した。

僕は驚いて後を追った。

何かにつまづいて、転がるように小屋の外に出ると、遠くにびしょ濡れの母さん走って来るのがが見えた。


お姉ちゃんも後ろから来る。


僕はお姉ちゃんのそばまで走って行った。


お姉ちゃんは大きく目を開いてから顔をくしゃくしゃにした。



それから少し背伸びをして僕の頭に手をおいた。


いつの間にか、雨は上がっていた。




僕は母さんの顔が見れなくて、母さんの後ろに回ろうとした。



ごめんなさいと言うためだ。


その時母さんの手がのびて、母さんが僕を抱きしめた。


僕は目を閉じていた。



母さん、僕は雨が大好きなんだ。

母さんが洗濯物を干さないから。

母さんの用事がひとつ減るから。

だけどそんなことはもういいや。

ねえ母さん、あの子猫はどうしただろう。



お姉ちゃんならきっと知ってる。



後でお姉ちゃんに聞いてみよう。



お姉ちゃんならきっと知っているんだから。



目を開けると、母さんの肩の向こうに虹が見えた。



やっぱり僕は雨が好き。


雨が上がるのを待てるから。








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その時でした。


少し離れた場所から、こちらを気にしていた若い男性が近づいて来たのです。

監督やコーチと話していたので、関係者だとは思っていましたが、誰かは知らない顔でした。

細身のスーツにベンチコートを来た色黒の彼は、春をはじめ、すべてのメンバーを呼び集めました。

『ちょっと来て!集まって下さい!』


有無を言わさないキッパリとしたオーラがありました。



すぐにみんなが集まりました。


『○○○の半田(仮名)です』


うわあああああ

地元のJ2リーグの人だったんだ!


選手じゃなくて、今は運営側の人間だと言ってたけど、すっごいかっこいい!

目が、目が、目が!
本当にキラキラしてる。。


そして彼は言いました。

『 フィールドに立てば、年齢も、国籍も、環境も、境遇も、そんなものは関係ない。みんな同じ仲間です。

この国籍だから許される、この年齢だから許される、この境遇だから許される、
そういったことは一切ない!

それがスポーツです。

そこには、仲間に対する思いやりと信頼しか存在しない。
仲間の失敗があったから、自分の成功があったのかもしれないし、失敗したのは自分かもしれなかったんだ。 チームはひとつです。

だから誰の成功でも、失敗でもない。すべてチームの結果です。チームの結果はチーム全員で、心から受け止めるものです』



少年達は真っ直ぐにその言葉を聞いていました。

そう、それがスポーツなんだ。

誰だからどうということはない。


みんな一生懸命頑張っている。


『もし、時間があるようだったら、少し練習試合をしようか?』

半田さんの目線の先には、沢山のプロサッカー選手がいました。

気付かなかった。。
若いサッカー選手達があんまりにも若くて、応援に来ているお友達か、部活のOBだと思ってたけど、試合を観戦していたかっこいい軍団は、現役のサッカー選手達だったんです。

半田さんを入れて12人も!

私としたことが、名刺もなければ何もない!

なんのアプローチもできないじゃん。

格好汚いし!


っていうより、素敵過ぎて近づけないw

なんでも運営側の半田さんと、春達の監督がお友達だったとかで、こんなサプライズが用意されてたとのことでした。


春は真っ赤な顔をして直立していましたが、スタメンとして名前が呼ばれると、大きな声で返事をしました。


『はい! 』


コートに向かって走ります。

その時、チームメイトの一人が春に駆け寄って何かを言いました。


なんて言ったかなんてわからない。

だけど春はいつもよりもっと元気で、いつもより大きな声を出しながら、力いっぱい走り回っていました。




試合は一点も許されず、全力以上を出し切って、へとへとになっている春達をよそに、プロの選手達は、今度は先程、春達と試合をしたもう一方の高校生達と練習試合を始めました。
休憩もせずにです。

春達は一丸となって応援に回りました。
握りしめた拳。
みんな喉を枯らして叫んでいます。



春、忘れちゃだめだ。

春には血を分けた身内はいないけど、仲間がいる。




春達は肩を組んで歌い始めました。


これから施設を出て、社会人になったっても、仲間を忘れたらいけない。



いつ練習してるんだか、歌の合間に息のあった足踏みも入れています。

すごい!
練習試合のスタジオがひとつになって盛り上がっています。

春、春はひとりじゃない。


春にはこんなに沢山の仲間がいる。



記念写真を撮る段階で、半田さんが春の肩を叩きました。



『足、早いな! さっきのシュートも良かったよ!』


『ありがとうございます』


春はちょっと泣いていました。




そしてまたすぐに

『誉められたー!
俺、誉められー!』
って叫びながら、
拳を空に上げて振り回し、調子付いて走り回り出しました。

まったく、懲りない奴です。


ねえ、春。
春は一生懸命だった今を、一生忘れないでね。

春が忘れさえしなければ、サッカーの神様は、ずっと応援していてくれるよ。

私はそう信じてる。



うんぎゃw

そばにいた人が驚くくらい、素っ頓狂な声を出し、私も真っ青な冬の空に向かって伸びをしてみました。


う~ん、冷たいけど気持ち良い!


年が明けたんだもの。

また頑張って、今年こそもろもろの目標を達成しなきゃ�


季節は少しずつ、春にむかって動いています。


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『J2に兄さんがいるんだ。
今はまだ会えないけどね』


春はいつからかそう言うようになりました。


特に、サッカーボールを蹴り始めると、決まってそんなことを言い出します。



春は、児童養護施設で暮らしている17歳の高校2年生です。



私は取材という形で、児童養護施設に出入りしていますが、そこで春と知り合いました。



初めて会った時、春はまだ小学校の低学年で、

私を見付けると、確認するかのように、ちょこっとだけ手を繋ぎ、それからまた元気に走り回る明るい男の子でした。

大きな目と彫りの深い顔立ち。
日本と他の国のハーフだとわかりました。



私には、春の小さくてやわらかな手の感触が新鮮で、可愛くて仕方ありませんでした。


春の保護理由は置き去りでした。
まだゼロ歳だった彼は、乳児院を経て、一歳と思われる頃、施設にやってきたそうです。

本当はお兄さんどころか両親もわからないまま17歳になった今まで、寂しいとも言わないし、特に手を焼かせることもなかった春が言い出したこのストーリーに、職員の方々は戸惑っていました。




サイズのチグハグな上下のジャージを着て、ボロボロのスパイクを持って、朝早く部活に出掛けていく春。


児童養護施設で生活しているからといっても、今は国や自治体からきちんとお金が支給されています。もう少しましな格好はさせられるはずです。

だけど本人がきかない。


『体、もっとでかくなるからって、でっかいジャージ買ってもらっちゃった。
案外伸びなかったな、俺』


『スパイクは、兄さんが試合で履いたのだからさ』


もちろんそんな事実はない。



『次の試合に出れたら、応援に来るって言ってるんだ。ダメだろうな。またベンチだけかな。。』


嘘じゃない。


『今度、チームの練習ボール貰ってくるよ』


願望なんだ。



その想像が、その想いが、彼を頑張らせてきたのだとしたら、誰に何が言えるのでしょうか。



自分はひとりじゃない。

同じサッカーをやってるお兄さんがいる。

身内がいる。



そんな春が今年、初めて試合に出させてもらえました。

途中出場ではありましたが、PK戦では、きっちり決めることもできました。


春は嬉しかったんだと思います。


試合が終わった後も応援に行ってた学園の指導員や学校関係者の元へ走っては、ハイタッチして回り、ポーズを決めました。

失敗してしまったチームメイトの気持ちを考える余裕なんかないくらい、春は嬉しかったんだと思う。


『兄貴に恥かかせらんないから』ってはしゃぎ、そして祝福されました。


ただそれの度が過ぎた。



はしゃぎっぷりが一線を越える頃、一線を越えた声が飛んで来ました。


『おまえ、捨て子だろ!
嘘ばっかつくんじゃねえよ!』







人の表情が、一瞬にして固まり、そして崩れて行く様子を見たのは初めてでした。

それが、私の大切な春に起こった瞬間だなんて。


変わっていった春のあまりの形相に、言い放ったチームメイトも固まってしまいました。



私も動けなかった。

周りに居た誰もが、次の言葉を探すことが精一杯で、かといって言葉が思い付かず、その場に制止していました。









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《前編からの続き》





あれから沢山の季節が巡りました。

おばあちゃんが亡くなりました。
初めて経験した身内の死でした。

私は家を出て一人暮らしを始め、兄は結婚して実家で暮らしています。
相変わらずの心配性で口うるさい為、一人息子には嫌がられています。
お陰で、私は解放されています。

ある日珍しく兄からメールが来ました。

「鈴やんの木を切ったよ。虫が酷くて、 消毒しても、どうにもならない。
残念だけど、親父と相談して切ったから」

飛んで帰りました。
20年位前に3人で植えた鈴やんの木はばっさり切られて、地面すれすれのところに切り株が残っているだけでした。

「なんで、切っちゃったの? 酷いよ」

私は半泣きで兄に抗議しました。

殆ど実家に帰らないくせに、そんな事言う権利なんてないはずなのに。

兄は、「他に方法がなかった」とだけ言いました。

鈴やんの木の切り株の前で泣いてる私と、途方に暮れる兄を心配して、甥っ子が近付いてきました。

「すっげーベタベタの虫でさ、野球のボールとか木に触ると使えなくなるくらいなんだよ。
それにもう枯れてたよ」

一生懸命 父親である 兄を庇っています。

10歳。

鈴やんの木を植えた頃の私の年齢です。

「恵利ちゃんごめんね。 洗濯、外に干すのにちょっとね。それに他の木にも移るって言われて、ごめんね」


優しい義姉が言葉を掛けてくれます。

そう、時は流れているのです。
新しい家族がここにしっかり根を張って、新しい時を過ごしている。
センチメンタルなだけの私の我が儘を押し付けたりしたら、それこそ鈴やんに叱られてしまいます。

「いや~ちょっと思い出に浸っちゃってね。ごめん、お義姉さん」

義姉に謝りながら、私はこれでいいんだって思いました。
そうです。
新しい家族がここには根付いているのです。






そして先日、私はこの義姉に呼び出されて実家に帰ることとなりました。


とにかく、暇を見て一度来いというのです。


行ってきました。

平日ですから 兄も甥っ子もいません。
父と母は出かけていて、義姉が迎えてくれました。



「恵利ちゃん ほら」


庭先で待っていてくれた姉が指差す先には、切り株から伸びた枝に、たっぷりと芽ぶいた鈴やんの木がありました。

「あっ 復活してる」

驚きの声を上げる私に義姉は言いました。

「あれから少しずつ株から芽が伸びたの。 植木屋さんに聞いたらね、また元に戻るって、根性あるよね、さすが伸一さんの木」

「伸一さんって?」

私は聞き返しました。

「鈴木伸一さん。恵利ちゃん知らなかったの? 私は結婚前から 嫌って程聞かされてるわ、鈴木伸一さんの話、伸びるって書くのよ。」


「鈴木伸一さん、、鈴やん、伸一さんて言うんだ。
そりゃ伸びるよね」

義姉と私は声を上げて笑い、私は途中から涙が溢れて止まらなくなりました。


涙はどんどん出て来ます。
心の中から湧いてきます。
だけどそれは寂しさだけのものじゃなく、義姉の優しさや兄の気持ち、それに少しだけ大人になれたような思いが入り混じったものでした。

鈴やんの木、切られたってまた芽吹いてきた鈴やんの木。

もしも辛い事があったって、きっと何度でも立ち直っているはずだよね。






拝啓 鈴木伸一様


お元気ですか。

あれから沢山の季節が流れました。

鈴やんが大阪へ行ってしまってからは寂しくてたまりませんでしたが、鈴やんはいつでも、もっともっと寂しかったんだって分かった時、今まで感じた事がないくらい、切なくなりました。

気付けなくてごめんなさい。

お母さんは泣いていました。

私は胸が苦しかった。

お兄ちゃんは、お父さんと二人で、いろんな所に連絡を取っていましたが、やがてそれを辞めました。

どうして辞めたのかは、教えてくれませんでした。

大阪のおばさんには会えましたか。

おばさんは鈴やんに優しくしてくれましたか。

頭に手をのせて、笑ってくれましたか。

私は大人になったけど、なかなか本当の意味で大人になりきれていない気がします。


だけど、大切な人を心配させないって約束、忘れてないよ。

大切な人を心配させないって事は、自分自身がいつでも幸せである事だと思いました。

自分自身を大切にしながら生きて行く。
いつも笑顔でいること。
そうすれば、大切な人達は安心してくれるように思います。

それは、近くにいても、遠くにいても同じだと思います。

私はまだまだ出来ていないけど。

鈴やんは今幸せですか。

幸せでいてください。

仕事は何をしてるのですか。

恋人はいるのですか。

結婚はしているのですか。

私達の事、覚えててくれてますか。

私は鈴やんが大切です。

鈴やんも私を大切にしてくれました。

大切な人を心配させてはいけないんだよね。

だから鈴やんも幸せでいてください。

笑っててください。
そしていつか
幸せなあなたを見せてください。



お兄ちゃん、
ありがとう。



......................


長いのに、最後まで、読んで下さって、ありがとうございました。

いつか書きたかった日記でした。

だけど、なかなか書けなかった。


読んでくださった方、本当にありがとうございました。


それから、書くきっかけをくれた日記コミュ

「日記☆ええじゃないか♪」


それから、天軍の皆さん、ありがとうございました。








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私には5才上の兄がいます。
今は結婚して 小学生の子供もいますが非常に過保護で、心配性であり、我が子に嫌がられています。

しかしそれは性分らしく、幼い頃からのものでした。

あの頃、兄の心配の矛先は、いつでも私に向けられていました。

事実、私は幼稚園児時代から集団生活に馴染めず、脱走ばかり試みているような心配させる子供で、小学生になってからは、事あるごとに家出をする子供に成長していました。

だから、なおの事、兄の干渉は激しく、私はいかにして兄の目をくぐり抜けるかと作戦を練ってばかりいました。

そして、兄だけでもかなり鬱陶しいのに、私の家には、もう一人の兄として、兄の親友が頻繁に出入りしていたのです。
家出や脱走した私を捕まえるのはいつでも兄ともう一人の兄でした。

兄の親友。
名前は鈴木さん。
兄も、うちの両親も、彼の事は「鈴やん」って呼んでいて 私は下の名前は知りませんでした。


私の家の学区内に、児童福祉施設があります。
鈴やんはかなり小さい時に施設に保護されたとの事で、そこから学校へ通っていました。

学校が終わると、当然のようにうちに帰って来て、一緒におやつを食べたり 宿題をして行きました。

鈴やんはカレーが好きでした。
と言うより、鈴やんはカレーが好きだと思い込んでいた母が、カレーの日は必ず声を掛けていたようです。

「今日はカレーだよ」

その声を聞くと、おばあちゃんと、鈴やん、母、兄、私の5人分のお膳を整えて(父は遅いので除く)食事になるのでした。

私はジャガイモが嫌いでした。
あの食感が飲み込みづらく、カレーのお皿の端に弾きます。
「食べなさい」と言う母を見て、鈴やんはジャガイモをスプーンで潰して、ルウと混ぜるようにしてくれました。

なんだかクリーミィになったジャガイモカレー。
意外な程に美味しかった!

私が全部食べ終わると、鈴やんは笑って頭に手をのせました。


中学生になった兄は陸上部に、鈴やんはバスケット部に入った為、以前より帰宅が遅くなり、また 時間もバラバラになってはきたのですが、それでも鈴やんは顔を出して行き、私の勉強も良くみてくれました。


ある時、小学校の帰り道で、珍しく早く帰って来た鈴やんとばったり会いました。

試験の最中だったらしく、まだ昼過ぎのかなり早い時間だったと思います。

私は嬉しくて鈴やんの腕にぶら下がるようにして甘えました。

「遊ぼーよ。
全然遊んでくれないじゃん。
遊ぼーよ」

鈴やんは笑って私の頭に手をのせて言いました。

「どんぐり山でも行くか」

やったー
久しぶりのドングリ山。

家にランドセルだけ投げ置いて、私は鈴やんと登りました。

もっと小さかった時は、鈴やんと兄と3人で良く登った裏山。

丘の延長のような小さい山だったけど、子供にしか見えない、しかし確かに存在する、藪の中の道を行くと、ぽっかり開けた、そこだけ木のないスペースに出ました。

ここが頂上。

町が見渡せます。
空気の感触が変わります。
風の匂いは多少の湿気と砂の匂いを含んでいました。

鈴やんと私は並んで腰を下ろして自分の町を眺めました。

お寺の赤い屋根が見えて、その先に彼のいる施設の白い建物が見えました。


「あの白いのが鈴やんのうちだよね」

私は気持ちのいい風を受けながら 鈴やんに聞いてみました。
鈴やんは黙っていました。

「お父さんとお母さんどうしたの」

鈴やんは町を見下ろしたまま答えました。

「死んだらしいよ」

「淋しくないの?」


子供だったとはいえ、聞いてはいけない事のような気はしていました。

でも私はどうしても知りたかった。

「大切」という思いが芽生え始めた10歳くらいの事でした。


「淋しくないよ。広明(兄)のお父さんとお母さんいるから。おばあちゃんだっている。恵利(私)もいるしね」

鈴やんは私の頭に手をおいて言いました。

「お母さん達を心配させちゃ駄目だ。大切な人は悲しませちゃいけない」

我が儘で、思い通りにならないと、すぐに家を飛び出す私を諭しているようでした。

鈴やんの目は珍しく真剣でした。


「だって いつだって見つけてくれるじゃん」



「大切な人を悲しませちゃだめなの」



鈴やんはもう私を見てくれなくなりました。


私は急に不安になって、とっても悲しくなって慌てて言いました。


「わかったよ。もうしない、だから鈴やんは恵利んとこずっといて」


私が言い終わるか終わらないうちに、鈴やんはさっと立ち上がりました。
何かを探しています。



そして、嬉しそうに言いました。


「恵利 おいで、これにしよう」


私が駆け寄ると、鈴やんは小さな山の木を丁寧に掘り抜いているところでした。

まあるい葉っぱが沢山ついた子供の木。
鈴やんは丁寧に丁寧に掘って抜きました。



その日、自宅の庭に山の木を植えました。

途中から兄も加わって久しぶりに大騒ぎです。
バケツで水を運ぶ役目を言い付けられた私は、いっぱいに汲んだ水でびしょびしょになりながら、2人の兄のところへ運んで行きました。



鈴やんは汗だくな私からバケツを受け取りながら、必ず頭に手をのせて笑います。



私はがぜん張り切ってまた水を運びます。

兄はそれをみて、からかうように言いました。


「鈴やんは恵利の使い方うまいなぁ。いつもこんなに素直ならいいのにな。本当の兄弟みたいだ」


「恵利んとこずっといるんだもんね。鈴やんとお兄ちゃんとずっといっしょだもんね」

2人の兄は声を立てて笑いました。


3人で植えた山の木は上手く根付いて少しずつ大きくなっていきましたが、名前を調べる事もしない私たちは、「鈴やんの木」と呼んでいました。


春に芽吹いて、まあるい葉っぱを付ける鈴やんの木は、秋にはやっぱりまあるい、赤い実を付けました。



我が儘な私は家出をしたくても、玄関前の庭にあるこの木を見ると立ち止まり、しばらく眺めては家に入るようになり、兄たちは高校を卒業して、私は中学生2年生になりました。

兄は大学に進学しましたが、 鈴やんは頑なに就職を希望しました。

児童福祉施設に入居していられるのは18歳までです。
鈴やんは寮付きの職場を探していました。

そして私の父の友人で、左官屋さんをしているお宅に住み込みで働くようになりました。

真面目で手先が器用な鈴やんは、親方にも、他の職人さんにも可愛がられていたようです。

ただうちにはめっきり足が遠のき、私は寂しさを隠せませんでした。

鈴やんの木になった赤い実を指で潰すと、真っ赤な汁が飛び散って、落ちないシミができました。

それでも私は実を潰して、白いシャツにわざとこすり付けていました。

寂しさと苛立ちが交互にやって来て、息を深く吸い込みました。

当たり前のように過ごせた日々が少しずつ遠のく、恐怖にも似た寂しさは、なかなか自分の中に受け入れる事ができなくて、不機嫌な日々が何日か続きましたが、そんな私をもっと深い悲しみに落とす出来事が起こりました。



ある日曜日の朝でした。

朝早く、鈴やんがうちにやって来ました。

久しぶりの鈴やんは日に焼けていて逞しく、ひどく大人びていて、飛び出してじゃれつこうとする私を制するかのようでした。

そして、いつものように笑いながら、私の頭に置いた鈴やんの手には、白や赤のペンキが落ちずに残っていました。


「俺、休みもらって、これから大阪行くの。おばさんがいたんだよ。
お母さんのお姉さんだって。
俺のおばさん。
大阪にいたんだ」


私の父と母にまくし立てるように、鈴やんは真っ赤になりながら話していました。

少し前に施設を通して、おばさんと名乗る人から手紙が来たとの事でした。

鈴やんが返事を書くと、機会があったら会おうと返して来たそうです。

いつ会うか きちんと話しをした方がいい、一緒に行くからと言う私の父の言葉など全く耳に入らない様子で 鈴やんは話し続けていました。



私は、何も言わずに鈴やんを見ていたけど、話に夢中な鈴やんが、私を見る事はありませんでした。


「俺におばさんいたんだよ。お母さんのお姉さんだって。だから血繋がってんの。」


「機会があったら会いましょうね、だって。俺、おばさんがいたなんて知らなくてさ、お母さんのお姉さんだって」




私が鈴やんと会ったのは、その日が最後になりました。



鈴やんは少しの休暇を取って、一人で大阪へ向かい、それっきり戻っては来ませんでした。


しばらく無断欠勤が続いてから、仕事を辞めると、職場の親方に電話が入ったそうです。



あまり元気のない声だったと聞きました。

鈴やんは19歳。
私は14歳の秋でした。



鈴やんの木 《後編》へ



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また、たった4才の小さな子供が、3人の大人によって殺された。

たった四歳の子供が3人もの大人によって、リンチとも思うやり方でだ。


助けられなかったのか悔しい。


このニュースを見た、すべての大人が悔しい思いをしていると思う。


助けたかった。
助ける方法はなかったのかと。
本当に悔しい。


幸せなはずのクリスマスの夜に、イブからクリスマスにかけて暴行されて殺された。


すべての大人たちで本気でくい止めないといけない。

チャイルドラインや児童相談所の方の訪問や、政府はいろいろ考えてくれていますが、かなりのSOSがあったのに起きた暴行殺人は、本当は防げたんじゃないかと思います。

しかし起きた。
それなら、何かが足りなく、何かが機能していなくて、何かが・・・・と思います。


残忍な暴行事件が起きる度に騒がれ、忘れていきますが、絶対そうしたらいけない。


児童相談所の方の人数が足らず、お一人で抱えてる案件の莫大な数に驚いたことがあります。


それなら人を増やすとかできないのでしょうか?

そこに使われる税金にクレームをつける人はいないと思う。


どうかどうか世の中のすべての大人で考えたい。

もうこんなことが起きないように。


すべての大人で考えたい。


すべての大人で本気で考えたいです。




今日、児童養護施設にいきました。
ちいさい痩せた女の子が新しく入所していました。


何歳?ってきいたら4才って。
本当にひ弱で小さい。職員が『4才なんてこんなもんですよ』って。


こんなに小さい子供を母親と男と3人でリンチをして殺した。


そして助けられたかもしれなかった事件。


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秋のある日、犬猫合同の譲渡会が行政と一緒に行われた。最近は新聞やテレビでも取り上げていただく機会が多くなり、譲渡条件や、譲渡した後のチェックも厳しいことが浸透しつつあるためか、希望者側の心構えも高い。

譲渡条件の主なものは、

①終生飼育。


②飼えなくなった時の請負人がいること


③先に飼ってる動物がいる場合の飼育環境等のチェック(近隣に迷惑をかけていないこと、また動物を飼える環境下にあること)先に飼ってる動物の不妊去勢手術がなされていること。

④その動物の習性を理解したうえで、家族として迎えられること。(ケージに閉じ込めっぱなしにしない)


⑤お届けは譲渡希望者のご自宅まで、担当が行かせていただくことを了承してもらえるか、などがあり、一見うるさいチェックではあるが、現在、日本の愛護団体のほとんどが当たり前に実行している項目である。




お届けに伺った時に初めてわかることのひとつに、ケージに猫を入れっぱなしにしたままにしている人がいる。


近隣への猫の問題が絶えない昨今、苦情トラブルへの行政指導の基本は、とにかく餌をやらないことと、餌をやったら自分の猫として室内で飼育すること、この2点である。


この傾向は益々強くなっているが、棄てられて外で育った猫や、外で生まれ育った猫の中飼いの難しさは、関わった者でないとわからないのかもしれない。

そのあたりも含めてのことかもしれないが、完全ケージ飼いをしている家に出くわすと悲しくなる。何かが違う。理解がちがう。

家人がいる時も出さない。毛が散る、机に乗るとの理由ではあったが、何のために飼っているのだろうか?鑑賞用なのだろうかとも思ってしまう。疑問だ。それなら飼わないで欲しい。



それに関して今、まさに直面しているお宅がある。


譲渡会に来てくださり、2匹目が欲しいと、ご家族みんなで一匹の子猫を選んでくれた。

ここまでは何の問題もなく、良いご縁だと喜んだ。しかし子猫を連れてご自宅に伺ったら、先に飼われている猫は、トイレと寝床だけがはいった狭いケージの中に静かに横たわっていた。身動きできるスペースはない。しかし子猫の時から一度も出したことがないとのことだったから、遊ぶという感情も、動くという欲求も捨てているように感じた。猫の習性としてとても重要なのは上下運動である。また何より、犬も猫も感情が非常に豊かで頭も良く、人と一緒に生活する生き物だと私は思っている。小さなケージの中にトイレと寝床があるだけの状態にして飼っているその方に、かわいいから2匹目が欲しいと言われても、渡せるわけがない。理由を説明し、改善をお願いしても、それぞれの人の持つ価値観のラインは本当に難しい。意見が一致しないままに、毎日くる催促のメールを断りつづけているのがなかなか苦しい。閉じ込められっぱなしの子も気になるから、関係を断ち切る勇気もない。

私たちが関わる動物たちは、ほとんどが一度人間に飼われていて、棄てられた経験のある子たちだ。風邪をこじらせている。傷をおっている。怯えている。それでも助けて欲しいと人の前に姿を見せてくれた、縁あったものたちばかりだ。だからこそ、これからは幸せになって欲しい。しかし、この幸せと思う価値観も違うのかもしれないが。



このうるさいチェックを、本当に責任を持って飼いたい人は当たり前のこととして受け止めていただける時代になりつつあることがありがたいが、実際に行動してみると上記のようなトラブルが沢山ある。また、基本的に、まったく理解していただけない方も多い。「たかだか犬や猫にうるさいことを言うな」と罵倒される。「不要なものや適合しないものは殺していいじゃないか。それが何故悪いのか、豚や牛の肉を食べるだろう」と言われ、「害獣は殺すことが許されているだろう」とたたみかけられる。「お前たちのような団体が快適な生活を邪魔するんだ」と大声で怒鳴られたこともある。そんな時はどんなに言葉を尽くしても伝わらない。伝える術がない。感情論だけではこじれるだけだ。ただ、人として人間としてどうなんだろうかという疑問は残る。手術して、もう増えることもなく、その繋がらない一代だけの命も許されないのだろうか?その思いの明確な位置付けと説明が、感情論以外で私にはできない。裏を返せば、私たちの考えや活動を罵倒する人たちの気持ちにまったく共感はできないが、言ってる意味を理解出来る部分もあるからだ。



「人はみな価値観がちがう。けれど最低ライン、人としてどうなんだろうか」という漠然とした思いに動かされているだけの私は、いつも困惑して黙るばかりだった。



今回の譲渡会では一時間という短い時間だったが、東京で愛護活動をなさりつつ、4軒の動物病院長である、飯塚修先生が講演をされた。テーマは、『本当の殺処分ゼロを目指して』というものだった。全国的に行政による殺処分を減らそうという動きは広がりつつある。しかし保健所での殺処分は数字上なくなっても、理由は引き取らないからとか、行政が積極的な介入をしないからということもある。結局、形通りの指導を受け、持ち帰られた動物は、飼い主の手によって誰に知られることなく遺棄されるか、殺されている。私は行政に本当のゼロの意味を一番考えて欲しくて、話せる機会は逃さないようにしてきたつもりではあるけれど、やはりどんなに言葉を尽くしても、心が交わらないことばかりだった。しかし今回の飯塚先生のお話はわかりやすかったと思う。9割が理論的で、統計的な説明だった。手術して増やさなければ必ずのらねこは少なくなる。あとは飼う方の意識を高めるなど、数字で示した。そしてほんの一割だけ、いや、もう少し少ない割合で、飯塚生が声のトーンを高くしてこう言った。『地球の中で、人間は一番強いと私は思う。強いものが、弱く虐げられ
ているものを守ろうとしたり、殺さずして共生することを考えるのは当然のことだ。寒ければ寒くないか気にかけ、痛くないか、腹はへってないかと思えないことは恐ろしいことだ。ましてや日本は先進国と言われているのだから、もの言えぬものを守ることは当たり前で、人としての大切な基本だと思う。それは、好きだからとか、嫌いだとかは関係ない次元の話だ』
気持ちに光が射した気がした。少し背中を押された気がした。そして少し元気になれた気がした秋の日だった。





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私は20代の頃からずっと、物を書くことを仕事にしたいと思ってきました。


それがどんなに大変で、多くの人が夢みて、多くの人が諦めていくことであるかも知っているつもりです。



だけど私は書きたかった。


書きたいことが沢山あって、伝えてみたいことがいっぱいあって、書き出すと止まらなくなって、クタクタになるけれど、私にとって、楽しくて仕方ない作業でした。



幸い書くことには特別な道具もスペースもいらない。


どこでも何にでも書ける。


だから諦めなくたっていいじゃないかと自分に言い聞かせて、今日まできてしまいました。



けれど、時々日常に追われて、書くことを止めてしまうこともありました。


そんな時に限り、ご無沙汰だった方から仕事として依頼を頂いたり、出版社から小さな賞をもらったりして、また書き始めました。


根が単純で、自分大好きな私は、自分の書いた物も大好きです。


お恥ずかしながら、気持ちが寄り添い過ぎて泣けてくる。当たり前ですよね。自分の書いたものなんですから気持ちがわかるのは。

幸せなことに連載もさせていただいているのですが、『私の書く文章に締め切りがついている』『私の書く文章に目を通して下さる方がいる』その事実はこそばゆいような嬉しさと誇らしさで、気持ちが奮い立ちます。



今、私はそんなことを思い、感謝しながら軽井沢の結婚式場にいます。



10年くらい前に知りあった編集者、玲さんの結婚式に出席する為です。


私の書いたものを誉めてくれて、頑張れ、折れるな、さぼるな、楽するな、などと叱咤激励し続けてくれた玲さんが花嫁さんになる。感無量で夕べは眠れませんでした。



『そう言えば、知り合った頃、玲さんのことを書いた短い文章があったな』もう真夜中の2時だというのにパソコンを開き、探し始めました。

ありました!


かろうじて保管されていた文章を久しぶりに読んで更に思い出が蘇り、朝になってしまいました。


眠いけど晴れやかです。


冷たい雨が降っていますがそれは玲さんの行いの悪さからですから気になりません。


心から祝福を贈りたいと思います。




玲さんは、強くしなりのある内面にも増して、その外見は、しばしば見とれてしまう程でした。



田舎からばたばた出て来た私を、東京駅まで迎え出てくれる彼女がそう見えたのかもしれませんが、美人さんです。



それから彼女は耳が不自由でした。

しかし手話、筆談、読唇、あらゆる手段を使って会話をします。


知識が豊富な彼女とのそれは楽しく、彼女の並々ならぬ努力があるにしろ、声帯を使っていない事を感じさせません。


凛とした努力家、完璧な身のこなし。



ぐうたらな私はこの年下の編集者に頭があがりませんでした。





そんな玲さんが恋をしました。



彼女と知り合ってから、初めての大事件です。相手の男性は、仕事で編集部に出入りするフリーのカメラマン。まるで絵に描いたような状況でした。



彼もまた好意を持たない訳がなく、お節介なギャラリーの後押しもあって、アドレス交換がなされ、二人の愛は育まれていきました。



玲さんは本当に嬉しそうだった。


携帯の画像を照れくさそうに開きながら、「ほら、見る? 良い写真撮るよね」って。


仕事柄、あちこち飛び回る彼は、素敵な写真を送ってよこすのだそうです。


彼がファインダーを覗くその向こうには、玲さんへの思いがあるようで、一瞬を収めた作品の数々は部外者である私にも、ため息をつかせる程に愛しいものでした。




ある日、長崎のお土産だと、彼は玲さんにビードロを買って来ました。薄く、丹念な色合いのガラス細工。日の光にかざせば、きれいに光り、それだけでも美しい民芸品であるビードロは、更に切なく、華奢な音を出します。



彼女は私にそれを差し出しました。


「吹いてみてほしい」


私はそっと吹きました。


ガラスが膨らんでまた戻る。


繊細な音が響きました。



「ねえ、どんな音がするの?」「まの抜けた音だよ」と私。

「ねえ、どんな音?」と、めずらしく玲さんはくいつき、私ははっとしました。


その時、玲さんが泣いていたのです。



両手をだらんとさげたまま、声を漏らし、しゃくりあげて泣いていました。


まるで子供のようでした。


玲さんが泣いてるところを初めて見ました。


そして、私は彼女が泣き止むのをただじっと待っているしかありませんでした。







それから半年程して玲さんは、カメラマンの彼と残念ながらお別れしてしまいました。



理由はわかりません。

知りたい気持ちもありましたが、必要のない事だと思いました。


相変わらず、玲さんは前向きで、とっても強く、バリバリ仕事をしていたからです。



もう10年も経つんだ。


早いものです。


私はといえば、こちらも変わらず複数のアルバイトをしながら伝えたいことに出会い、伝えたいことを感じ、伝えたい事を書いています。私の伝えたいことは正しいのか間違っているのかわからないのですが、私という人間が見たこと、思ったことを書いています。



もうじき結婚式が始まります。ちゃんとおめでとうと言えるでしょうか?


嬉しすぎて泣いてしまいそうです。




それに冷たい雨の軽井沢。



ガタガタしそうなくらい、ものすごく寒いです。









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沢山の方が気にかけてくださり、沢山の方がシェアしてくださって、懐かない2匹のチビは里親さんにもらわれていきました。


ゆっくり時間をかけて、距離を縮めていけばいいって、言っていただけました。

先日伺った時にはもう、生まれた時からここにいますって顔で飛んで歩いていました。


陽のあたる廊下で私と目が合った時、一瞬だけ、『お?』って顔したけど、すぐに居間の方に走り去っていきました。

ああ、本当に良かった。幸せになるんだよ。


みなさま、ありがとうございました。






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