今日は気温が下がり、体が少し動いた。
昨日途中になった洗濯物を、
洗い直して干し直した。
杖で一時間ほど気温が下がった遊歩道を、
一人で歩いてみたが、
ふらふらでとても疲れて少し寝た。
体が辛過ぎて、もう良いかなと何度も思い、
少しでも努力してみようと足掻き、
さらに辛くなって、絶望してベッドに横になる。
もうこの景色を何度見ただろうか。
青空と大きくなったユーカリの木。
風に揺れてとても綺麗だが、
私は立っていたいんだよと涙が出て来る。
辛くても希望があれば良い。
希望がなくなれば絶望になる。
もう無理じゃね?
何度も思う。
スーパーに行くと、
障がい者用の駐車スペースに、
元気いっぱいのおじさんとおばさんが、
各々車を停めて、堂々と歩いて来る。
それを遠くから見ながら、
暑いもんね、近くに停めたいもんね、
お前ら一回歩けない体験してみろよ、
たったこれだけの距離がどれだけしんどいか。
そんな事を思いながら、
ふと前を見る。
古びた軽トラックから、
八十代とおぼしきおじいさんが、
ぷるぷるしながら、車の荷台から、
車椅子を出した。
私は少しずつそちらに近づいて行く。
おじいさんは助手席のドアを開けて、
同世代のおばあさんを車からおろし、
車椅子にぷるぷるしながら乗せていた。
車椅子に乗ったおばあさんは、
私を不思議そうに見ていた。
何故あの子は杖をついているのだろう。
顔にそう書いてあった。
おじいさんはゆっくりと、
車椅子を反転させて、スーパーへと向かう。
さすがの私も彼らを追い越し、
先に中に入る。
野菜売り場で突然泣きそうになり、
なんとか堪えた。
私はあの人達より今大変だろうか。
一生懸命生きているだろうか。
もう良いかなどと思う暇があれば、
まだ出来る事を探すべきではないのか。
そもそも、もう良いかと思った所で、
どうしようと言うのだ。
息子を泣かすのか?
夫を一生、生きる屍のようにしたいのか?
お前の為に泣く人が二人もいるのだ、
とりあえずあのおじいさんより大変になってから、もういいかなと思ってみろ。
話はそこからだ。
そのような事を、小松菜をみながら一瞬思った。
正直、夏を越せる気がもうしていなかった。
歩く力が弱くなる。
座っているのもやっと。
姿勢の維持も難しい。
気温に体がついて行かない。
苦しくてたまらない。
家がどんどん汚くなって、
やりたかった事が出来なくなって行く。
良くなっているのか、悪くなっているのか、
もはや自分では分からない。
しかしあのご夫婦を見た時、
私にはまだやれる事があると思った。
私がもしいなくなったら辛いかい?
先日夫に笑いながら聞いた。
夫はスマホでゲームをしながら、
こちら見もせず言った。
辛いねえ。
どれくらい辛いと思う?
うーん。生きるのをやめようかと思うくらいかな。
そう言われた。
へえ〜愛されてるうわたし〜
と笑って言ったが、
本当は笑い事ではなかった。
生きなければ。
楽しみを見つけなければ。
六月は横になって、
七月に前から行きたかった遠方のお店にドライブに連れて行ってもらおう。
そう思った。
今日は気温が下がったせいで、
体が動いた。
一年中辛いわけではどうもなさそうだ。
買って来た葉っぱを植えたり(名前忘れた)
レモンの砂糖漬けと水菜のサラダも作った。
こたつ布団の毛布も洗って干せた。
動ける日は必ず来る。
慌てず寝込んで時を待て。
そんな事を自分に思った。
今メンタル疾患で苦しんでいる方へ。
人の辛さと比べずに、
暑い日は横になれるのなら休んで欲しい。
そして休んでいる自分を責めないで欲しい。
あなたがもういいかと消えてしまえば、
私は悲しい。
休めない人は、
簡単に休んでなどと言えないが、
あなたの守るべき何かの為に、
休めないのかもしれないと思う。
かつての私のように。
なんて言えば良いのか分からないが、
暑い中ありがとうございますと、
勝手ながらお礼を言いたい。
いつかこういう辛さが、
皆の体から消えると良いなと心から願っている。