人生は様々な表現で語られています。
定番は…「山登り」や「マラソン」あたりでしょうか。
変わったところだと、「チョコレートボックス」。
映画フォレストガンプの中で、 トムハンクス演じる主役が言う「 人生はチョコレートの箱と同じ。 食べてみるまで、中に何が入っているか分からない。」だそう。
粋ですね(^O^)
他にもたくさんの例えが・・・・。こちらから参考にしました。
人生を何かに例えるなら?http://blog.livedoor.com/common_theme-169236.html?p=8
人の数だけ人生があるように、その例えも色々ありますね。
で、私はと言うと、例えに浮かぶのはいつも「螺旋階段」です。
スピ的に考えるとそれが一番しっくりくるのかなとも思います。
そして真ん中の柱を中心に右側は穏やかだったり、幸せな時期。
対して、左側は荒れていたり、つらいことがあったりして、幸せではない時期。
右側半分には上から光がさし、左側は薄暗い階段をイメージしていただけると分かりやすい気がします。
階段一段一段は、その人(魂)の課題や学びです。
スピ的に考えたとき一番大きな違いは、その螺旋階段は今世のあなただけの階段ではなく、魂の全過程の階段になっていることです。
あなたの立つ螺旋階段を覗いた時、足元には底が見えないほどのこれまで代々の過去世のあなたが登ってきた階段があり、そしてまた上を見上げれば、大いなる光につながる、先に先に続く来世の代々の螺旋階段があるのです。
幸・不幸の分け方も、階段の段数もすべて人は一緒なのです。
だから、いい時もあれば、悪い時もあるといえますし、トータルの螺旋で見たときには半々なのです。
でもその人生、人生において登れる階段数は人によって、違うのではないかと思います。
登れた高さに違いはありますが、それでもその人生で登った段数を眺めると、右側、左側の割合はほぼ同じなのです。
だから結局、美輪さんも言いますが「人生は、足し算と引き算がちょうど合うように誰にでも幸不幸が平等にあるのよ」ということなのだと思います。
階段の昇り方は、階段をさくさくと上がれる時もあれば、一段を上ることすらなかなかできない時もあります。
そして、ただただ早く上がってしまいたい段の時があったり、一段一段踏みしめて上がっている段の時もあるでしょう。
一番いいのはどの段の時も同じスピードで一段一段ゆったり上がれるようになれば、素敵ですね。
なかなか人は幸せな時は意識しないものですが、つらかったり、悲しい時、どうにも状態がうまく動かない時には螺旋階段をイメージして、こう思ってみてほしいなと思います。
「今は階段を上がれない時かもしれない。一休みして、上がれるようになったら上がろう」
いつもいつもさくさく上がれることがいいわけではありません。
でも、確実に上がれているのです。
そして左側を上がっていてつらい時期だと思っても、右側の階段に向けて登っています。
そこに向かっているんだと思うと、少しほっとしませんか??
私は、この地球に生まれた以上、課題や学びがない人はいないと思うのです。
よく、地球をサポートするために生まれた魂とか聞きますが、それでも何らかの課題や学びがある来ていると思うんですよ。
だから、薄暗い左側半分の時に、「私は光の存在なのよーん」「ポジティブに行かなきゃ」とそれをさほど捉えずに、感じずに階段を上がってしまうことに、それってどうなの??って感じますね。
一段一段大切に向き合わないと、下がることはないですが、結局、また同じ内容の段が繰り返される気がするんです。
それがいわゆる、カルマというものかもしれませんが、そればかりではないと思ってます。
だから、カルマにこだわっている方がいたら、「そんな因果応報ばかりじゃないから」と言いたいです。
大丈夫、つらいことをつらいと感じられる人は、健全ですよ。
心理学的にもね('-^*)/
この螺旋は、人間のDNA構造が螺旋を描いていることと符合する気がします。
何かを達成したら、すべて上向き一直線は幻想です。
ぐるぐる回りながら、上に上へとあがっているのです。