「Song for」がブッ刺さりまくってるみなさんこんにちは、猫適性度60のそらえもんです。

雨宮天さん9枚目のシングル「Defiance」が発売になりました。
フライングせずにゲットし、聞いてみてやはり他のファンの方と同じく「はぁ、こりゃあスゴいの出してきたな・・」ってなってます。
「Song for」が話題になりがちですが「Defiance」めちゃめちゃ良いです!雨宮さんのハードナンバーの中ではトップに躍り出ました(当社比)からね!
疾走感ある曲にほどよく中二感を織り交ぜながらも「誓い」を感じさせる歌詞。好き。

そして、やっぱり「Song for」について書きたい。

歌詞についてはいもてんさん、楽曲提供者の塩野海さんについてはkaguyaさんのブログで書かれていて、とても良かったので少し違った方向から。

人はみんな肯定されたがっている、って言われています。
良く言われるのが承認欲求で、俺こんなことできるよ、こんなことやったよ、に対してすごいね、良いね、頑張ってるねと。
でもこれって何かを頑張ってる人が、成した事に対しての肯定なんですよね。

頑張ることに疲れたり、自分の目指すものの遠さに途方に暮れたり、いったい自分のどこが良いのか、自分はそもそも必要とされてるんだろか、なんて暗い思考に陥った時に、かける言葉って難しいと思うんです。
どんな言葉であっても、外側から見たものでしかないから、内側のごちゃごちゃになった何かにフィットしなくて、何も知らないくせに!なんてなったりね。

だから、ひとしきりぐっちゃぐちゃになった後の、ちょっと扉が開いた時に「そのままでいいんだよ」って言われたらタマらんと思うのです。
つまりは全肯定なんですよね。
じたばたと格好悪く足掻いたり、落ち込んだり泣いたり後ろ向きになったりぐちゃぐちゃになったり、立ち止まったり。それでいいんだよ、って、そんなの全部があなた自身なんだから。
そんなん言われたら泣くやん?
「Song for」ってそういう歌なんだと思うんです。

Song for が誰から誰へのものか?というのは、面白い議論になりえると思うのですが、僕はあくまで塩野さんから雨宮さん、と捉えています。それを雨宮さんが、ファン(とその代表としての塩野さん)からと捉え、雨宮さんからファンのみんなへという形での共有なんじゃないかな、って。

このタイミング(雨宮さんの扉がちょっと開いた今)でこんな曲を提供する塩野海さんほんとズルいと思うし、こんな曲を作れちゃう才能にひたすら嫉妬するし、こんな曲を作ってくれたことに心から感謝したいのです。