みなさんこんにちはウインク


Soraですニコニコ


このブログは
10日間にわたり

『超ネガティブな私が長い妊活で得たたくさんの発見』

として

妊活をものすごく長い時間、こじらせてきた原因とたくさんの発見を私の半生を振り返りながらお話させていただくブログです。

よろしれば、お付き合い頂けたら嬉しいですおねがい


 前回は『結婚して幸せは一瞬、苦しい妊活のはじまり』をお伝えしました。



5日目の今日は

『死にたくなった不妊治療、

       必死で続けて不幸女に』


をお話させてたいただこうと思います。



結婚半年、34才を半分以上過ぎて開始した

不妊治療は

家から近くの

産科と不妊治療が有名な病院でした。



私は妊娠しにくい体という思い込みをもちながらも、

治療をしたら授かるだろうと

いう気持ちもあり通院しました。



主人の検査結果等から、

まず二回ほど人工受精をやり

すぐに体外受精へ進みました。

淡々と進められる、診察に心がおいつかないまま

血液検査の結果について医師から何も言われることがなかったので、そのまま病院へ通っていました。


いよいよ体外受精に進む時には、

頑張れば妊娠できるという気持ちの

方が強かったと思います。



ただ、自分で血液検査の数値をネットで調べるようになり

正常値から色々、外れている私は

確実に不妊症であることを思い知らされるのでした。



ネットでは

この数値の人は妊娠しずらい

卵子の老化

という言葉ばかりが目に入ってきました。

→このネット情報もわたしが引き寄せてたんですねガーン



はじめての体外受精の前に

今でも一般的でよく使われているプラノバール

という薬を飲んだ当日の夜に

ものすごい吐き気に襲われて

嘔吐を繰り返しました。



あまりにしんどくて目がうつろになっている私を

主人が夜中の1時頃、市民病院の救急外来に連れていってくれました。


主人が看護師に、飲んだ薬の説明をしてくれている横で

ベッドで点滴を受けながら、私泣きじゃくっていました。


主人は

「大丈夫。大丈夫だから。」

と泣く私の手をぎゅっと握ってくれたのを今でも忘れません。



私とその薬の相性が悪くて

副作用が強く出ただけだったのですが

その時の私は

ただ赤ちゃんが欲しいだけなのに

どうしてこんなに気持ち悪くならなきゃいけないの?

何でこんなに頑張ってるのに、こんなに苦しい思いをしなきゃいけないの?

なんでみんなみたいに普通に妊娠できないの?


という気持ちでいっぱいで涙がとまらなかったのです。悲しい




さらに不妊治療を開始してしばらくすると、結果がまったくでないことから、夜になると

子供ができなかったらどうしよう。

これから何のために生きていくのか?

焦り、不安、恐怖

に襲われて

眠れなくなりました。

ただ、涙がでてきて、生きていく意味がわからないくなり

『死にたい』

と夫に何度も言っていました。



その時も夫は根拠もなく

「大丈夫だから」私の背中をさすって

言ってくれていました。





寝不足で気持ちが落ちたまま

仕事は行っていましたが通院の予定が立たなく有給を使ってお休みを

もらうことが多くなり

明らかに他のスタッフに迷惑をかけていると感じて退職することにしました。




私は仕事をやめて

夫婦で、漢方や鍼灸にも通い、ウォーキングや食事改善もおこなっていましたが

私の不眠症や不安感はおさまることはなく


その状態のまま、採卵を3回、移植4回を繰り返し

あっという間に気づけば、三年がたっていました。



1回の採卵で取れる卵子は一個か二個


一度も着床することはありませんでしたネガティブ




みなさんは、病院の先生の言われる通りに治療をしていませんか?

焦りや不安を一人で抱えて苦しんでいませんか?

もし、苦しくて結果が出ない場合は、一度立ち止まってみることもお勧めしますおねがい


私のように、苦しすぎる気持ちを抱えたままの不妊治療は、お金と時間の無駄になってしまうこともあるかもしれません


是非

あなたの体と心を大事にして欲しいです照れ



次回は

『家族以外全員敵!妊活ドブスなわたし』

をお話させて頂きたいです。


今回も最後まで読んで頂いてありがとうございましたラブ